二十七、選ばれた者
***
ルティアは愕然として立ち尽くした。
「に……兄様……」
帰宅した兄が、ぼろぼろになっていた。
侍女達が悲鳴を上げ、ロシュアはばつが悪そうな顔をした。
「いや……怪我はしていないから。擦り傷ぐらいで……」
言い訳がましくそう言うが、子どもの頃から穏やかで聡明だった兄がこんな風に服を破いて帰宅したことなどない。初めての事態に使用人達の恐慌といったらなかった。
手当だ風呂だ着替えだと連れて行かれてしまったロシュアを見送って、ルティアは肩を落とした。
(私のために……)
ロシュアがガルヴィードに決闘を申し入れたと使用人から聞かされて、ルティアは飛び上がるほど驚いた。王太子相手にまさか本気で決闘なんてしないだろうし、でも一応城まで止めに行くべきかと悩んでいるうちにぼろぼろの兄が帰ってきてしまったのだ。
喧嘩などしたことがないロシュアでは、ガルヴィードの相手にならないことはわかりきっていただろうに。
ルティアは目を潤ませて、それから、決意して顔を上げた。
(明日は城に行こう!ガルヴィードに会いに!)
きっと、ロシュアに挑まれたショックで落ち込んでいるだろう。自分が傍にいなくては、とルティアは気合いを入れる。
(そんで、何があったのかをちゃんと聞くんだ!)
きっと今、一人で苦しんでいるに違いないガルヴィードを、放っておくことは出来ないとルティアは思った。
そんな風に心を決めたルティアだったが、その時にわかに家の外が騒がしくなった。
「お、お嬢様!」
「なに?なんの騒ぎ?」
「そ、それが、侯爵家や公爵家からの使いや伯爵家や子爵家からの縁談の申し込みがっ!」
「はあ!?」
その日のビークベル家は日が暮れるまでひっきりなしにやってくる貴族の馬車に囲まれて、家人も使用人達もてんやわんやだった。
***
「精神的に百叩きにされた気分だ」
ガルヴィードが楽しそうにそう言うので、側近達は笑い飛ばした。
「自業自得だろ」
「ロシュアからしたら殴り足りないだろうさ。俺も加勢してやればよかった」
「今後、ルティア嬢に何かしたらまた手袋叩きつけられるぞ。肝に銘じておけ」
「……そうだな」
ガルヴィードは窓枠に寄りかかって外を眺めた。
まさか、ロシュア・ビークベルに決闘を申し込まれるだなんて、想像も出来なかった。
「厄介な相手だった」
一個師団相手にする方が楽かもしれない。
ガルヴィードがそう愚痴ると、三人はげらげら笑った。そして、エルンストがふと呟いた。
「にしても、あの場にいた令嬢達が全員ロシュアに惚れてたけど、サフォアの王女が結婚申し込んできたらどうする?」
「ロシュアに?妹がヴィンドソーンの王太子妃で兄がサフォアの王女婿になったらビークベル家強すぎるだろ」
確かに、そんなことになったらビークベル家の権勢が凄まじいことになる。
「サフォアの王女は惚れっぽいだけだから大丈夫だろうけど……」
「どっちかっていうとハルベリー嬢の方が有力だな。モガレア家とビークベル家が縁を結んだ場合の影響について親父に聞いておこう」
フリックがやけに真面目な声でそう言うので、ガルヴィードもついモガレア侯爵の顔を思い浮かべてしまった。確かハルベリーには弟がいたはずなのでビークベル家の嫡男に嫁ぐとしても問題はないはずだ。
ハルベリーはルティアとも仲が良いので、両家ともに理想的な縁談だろう。
外野から勝手にそんな計算をして深く頷く。
それから、ルティアを泣かせたままにしていることを思い、自嘲の息を吐いた。
「……明日、ビークベル家に行く。朝議が終わったらすぐに」
「ああ、陛下から伝言。明日の朝議はお前は立ち入り禁止だってよ。決闘で城の平和を乱した罰で」
ルートヴィッヒがびしっと指を突きつけて言うので、ガルヴィードは眉を曇らせた。
「なんでお前がそんな伝言を……」
「ガルヴィードが朝一番にルティア嬢の元に行くなら良し。朝議に出てからなんて寝言を言うならこう伝えろ。ルティア嬢の元に行くともなんとも言わなかったら伝えずに、朝議にのこのこ出てきたところを笑い物にしてやろう。という陛下のお心遣いからだ」
「……間違いなく俺に対するお心遣いじゃねぇな」
目頭を抑えながら、しょうがないなと思う。今、この城の中で一番人権が無いのは自分だ。
目の前の側近達の様子を伺う。
もしも、彼らがガルヴィードを見放していたら、自分は立ち直れなかっただろう。ルティアに会いに行こうと思う勇気も持てなかったはずだ。
それに、あの時、扉を開けてガルヴィードを止めてくれたのは、彼らが王太子という肩書きよりもガルヴィード自身を尊重してくれたおかげだ。
あの悪夢が、本当に未来に起こることなのだとしたら、それを覆すためには、彼らの協力が必要不可欠だ。ガルヴィード一人では、何も出来ない。身に沁みて、それがわかった。
だから、どうしてあんな真似をしたのかを、きちんと話さなくてはならない。
目を閉じると瞼の裏に蘇る。倒れた父と、切りかかってくる弟。それを嘲笑を浮かべて迎える自分ではない「自分」の姿。
ガルヴィードはゆっくり深呼吸をした。
それから、意を決して口を開いた。
「なぁ」
談笑をしていた三人が声を止めて、ガルヴィードに視線を寄越した。
三人の視線にしっかりと目を合わせて、ガルヴィードは言った。
「俺がーーー俺の中にいる「何か」が、魔王なのかもしれない」
***
大陸神ゴドランディア。
この大陸の生きとし生ける者を愛し司る太母神である。
天の神々に愛された彼女は、海の一番いい場所に横たわることを許された。
横たわった彼女の体が大陸となり、彼女の体からすべての生き物が産まれたのだ。
それが、大陸に存在する国家に伝わる神話である。
ヴィンドソーン王国でも、信仰する神は大陸神ゴドランディアだ。教会には彼女の像が安置され、大陸の平和と豊穣を願い神官と修道女が日夜祈りを捧げている。
シスターコゼットは修道女の中でも最も信仰心が熱いと皆口を揃えて言うほどに、熱心に祈る姿が印象的な少女だった。
王都の南地区の中心に聳える大聖堂は、ヴィンドソーン王国中の教会を束ねる役割を持つ。優秀で信仰心の篤さを認められた者でなければ、大聖堂には迎えられない。コゼットの若さで大聖堂の修道女になれたのは異例のことだった。
しかし、彼女は驕る素振りを微塵も見せず、田舎の小さな教会にいた時と同様に、真剣な表情で祈りを捧げている。
大陸神様がお救いくださる。コゼットは心からそう信じていた。
それは、あの三日間の夢の後でも些かも揺らがなかった。
神官や修道女の中には、魔王が蘇っても大陸神はお救いくださらなかったと、信仰を捨てる者もいる。
愚かなことだ。
あの夢をみせてくださったことこそ、大陸神様の偉大なる愛の証明ではないか。でなければ、誰が国民全員にあの夢を見せたというのだ。
きっと、大陸神様を信じた者だけが、救われるのだ。
熱心に祈り続ける彼女は、ステンドグラスから差し込む光に照らされる大陸神ゴドランディアの美しい彫刻を瞬きもせずに見上げていた。
その時、不意に頭の中にある光景が過ぎった。
コゼットははっとして祈りのために組んでいた手をほどいて額を押さえた。
ーーー今のは?
この大聖堂の中で、一人の男が神官と修道女を皆殺しにしていた。そして、大陸神の像さえ破壊していた。なんと恐ろしい光景だ。
「おお……主よ。ありがとうございます。私に使命を与えてくださったのですね……っ」
コゼットの胸は歓喜と誇らしさにはちきれそうになった。
神があの恐ろしい光景を見せて下さったのだ。コゼットに、それを防げとお命じなのだ。
自らが選ばれたことに、コゼットは身を震わせて感謝を捧げた。
そのコゼットの耳に、かすかな低い声が響いた。
ーーー……ち を あたえる
その声の直後、コゼットの脳に一気に見たことのない光景が流れ込んできた。
「……そう、そういうことだったのですね」
コゼットは微笑みを浮かべた。
その時、大聖堂の扉が開けられて、コゼットは振り向いた。
「にいさん」
窶れた表情に怯えを浮かべて立っていたのは、魔法協会に勤めている兄だった。
「コゼット……」
兄のビクトルは、よろよろと大聖堂に踏み入ってきた。
「……すさまじく恐ろしい魔力の持ち主を見つけたんだ……でも、……ああ、とても、誰も信じてくれないだろう」
コゼットはすぐさまそれが誰を指すか理解した。そして、自らに祝福を与えて下さった神に感謝した。
「にいさん、私も祝福を授かったの。たった今。にいさんのその目は神が与えた「祝福」だと私は昔から言っていたでしょう。その目で魔王の正体を見抜いたのね。やはり、私の思ったとおりだった」
コゼットは歌うように言った。
「私は、魔王が人々の命を奪う光景を見たわ。あれは未来に起こることよ。神はこうおっしゃられたの。「ちをあたえる」……智を与えると」
頬を上気させて「ほぅ」と息を吐いたコゼットは、青ざめたビクトルに寄り添った。
「にいさん。私達は選ばれたのよ。きっと、あの三日間の夢は神の与えた試練だったのだわ。偽物の英雄を信じて神への信仰を疎かにする者を退け、真の信仰を持つ者を見出すための神の御業だったのよ」
コゼットは確信に満ちた声音で言った。ビクトルは混乱した頭に響く妹の言葉が理解できなかった。
「コゼット……」
「一緒に戦いましょう、にいさん。私達は聖なる戦士に選ばれたのよ。皆の目を覚ますためには、にいさんの力が必要なの」
コゼットはビクトルの目を食い入るようにみつめた。
「あの魔王ーーー王太子から皆の命を守るために」




