二十五、ロシュア・ビークベルの憤慨
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「いきなり同行させていただいて申し訳ありません。助かりましたわ」
向かいに座った美少女が輝くような笑顔で言う。直視できないので目を背けながらビクトルは曖昧に頷いた。
「構いませんが……侯爵家のご令嬢がこんな粗末な馬車で平民と同乗など、お嫌でしょうに」
「あら、魔法協会では身分は関係ないのでしょう?」
「ここは魔法協会ではなく馬車の中、ですから」
「ええ。魔法協会の馬車の中、ですわ」
ハルベリーは口元に手を当ててくつくつ笑った。
先行する魔法協会の馬車の後ろには、とてもきらびやかな馬車が走っている。サフォアの王族が使う馬車だ。
城に向かうサフォアの王女の案内役として魔法協会から出てきたビクトルだが、久々に外に出たというのに気分は晴れなかった。
ユーリ・シュトライザー。
彼の少年のことを思うと、陰鬱な気持ちになる。
大魔法使いから傍で見守るように命を受けたものの、こうして別に自分でなくとも務まる役目をかすめ取って外に出てまでユーリから離れようとするぐらいにはビクトルはあの子どもを恐れているのだ。
いい大人が八歳の子どもに怯えるだなんて、と思わなくもないが、ビクトルの目には絶えず勢いよく噴き上げられる魔力が見えるのだ。いつ見ても、恐ろしいとしか思えない。
最近では大魔法使いが直々に教えを施しているし、何故か男爵家の息子があれこれ面倒を見ているようなので、本来ユーリの教育係であるはずのビクトルは遠ざかっていられる。
ーーーあんな子ども、見つけなければよかった。
もはやビクトルには、三年後に現れる魔王よりも、目の前のユーリの方が現実的な恐怖だった。
だって、彼がちょっと腹を立てて杖を人に向けただけで、その体は灰と化すだろう。頑丈な杖が軽く手を振っただけで粉々になったように。
いっそ魔法協会を辞めてこの国からも逃げ出してしまいたい。国境を越えるには厳しい審査と長い時間がかかるが、魔王を恐れて逃げ出した国民もいると聞く。彼らのように、ビクトルもすべてを捨てて逃げ出してしまいたい。
元々、ビクトルは魔法使いになりたかった訳ではない。貧乏人の子沢山の家庭に生まれて、跡取り以外の子どもは皆口減らしのために教会に放り込まれた。その中でビクトルだけは「ひとから靄が噴き出している」などとおかしな言動をしていたため、神官が「キミは魔法協会で学んだ方がいいだろう」と勧めてくれただけだ。
こんな目さえ持たなければ、今頃は神殿で大陸神ゴドランディアの像に祈るだけの日々を過ごしていられただろうに。
「そうだ。私、城で降ろしていただいて、その後は侯爵家に寄ります。明日の朝に帰ると許可をいただいておりますので」
ハルベリーが帰りは馬車に乗らないと言うので、ビクトルは思わずほっとした。どうも貴族という奴は苦手だし、このお嬢様は自ら魔法協会に飛び込んでくるような変わり者ではあるが、ご令嬢なんてものはどんなくだらないことで気分を害するかわかったものじゃない。
「かしこまりました……しかし、急に城に向かうから同乗させてほしいだなんて、侯爵家の馬車を用意するのも待てないほどの急用なのですか」
「ええ。私、城でやらねばならないことがありますの」
ハルベリーは微笑みを深くして言った。
「実家との連絡係をしてくれております侍女からとっても不愉快なお話を聞かされまして。真実か否かを是非とも確かめたいのですわ」
うふふ、と優雅に笑うハルベリーのこめかみに青筋が浮かんでいる。
「もしも真実で、私のお友達を傷つけたのだとしたら……うふふふふ。命と下半身だけは助けてさしあげますわ。本当は最優先でぶっ潰したいところですけど。それをしてしまうと……」
なにやら不穏なことを呟くハルベリーに、ビクトルはよくわからないまま縮み上がった。
ほどなく、馬車は城に到着し、門番の許可を経て王宮前に停まる。
「なんだか騒がしいですのね?」
降り立ったハルベリーが首を傾げて呟いた。
***
王宮の広い敷地の中には騎士団の訓練場がある。その訓練場より西に200メートルほど離れた場所に丸い舞台が設えられている。決闘場である。
貴族の神聖な権利である決闘を行うのはこの円形の舞台の上であり、ここで決まった勝敗には何人たりとも異を唱えることは許されない。
かつては年に十数回は使われていたというその舞台は、しかし今では忘れられて寂れていた。決闘など、最後に行われたのは恐らく今から三十年以上前のことだ。
その舞台の周りに多くの貴族達が集まり、ざわざわと騒いでいた。
彼らの目が集まる舞台の中心には、二人の若者。
王太子ガルヴィード・ヴィンドソーンとギーゼル伯嫡男ロシュア・ビークベルの姿があった。
「……本気でやるのか?」
この場に立ってなお、ガルヴィードは目の前の相手に問いかけずにはいられなかった。
既に二人の手には抜き身の剣が握られており、洒落や冗談では済まされない状況になっていることはわかっている。それでもまさか、ロシュアと決闘など出来るわけがないとガルヴィードは考えていた。
相手はルティアの兄だ。万が一にも傷一つ付ける訳にはいかない。
既に十二分に彼女を傷つけているのだし、ロシュアが決闘を申し入れてきたのはそのことで怒りを抑えられなかったからであろうことはわかっている。自分がすべて悪いのだ。悪いのは自分だ、だからこそ、ガルヴィードはこの上ロシュアに傷を負わせてルティアを悲しませることは出来ない。
だが、ロシュアはガルヴィードの言葉はもちろん、側近達の説得も高位貴族からの非難も上司である宰相や国王からの懇願も聞き入れることはなかった。
彼は本気で決闘を行うつもりなのだ。
通常の決闘であれば申し入れられても断ることが出来る。
だが、ヴィンドソーン王国では決闘を申し入れられた側に「明らかに非がある」場合は決闘を断ることが出来ないという掟がある。
今回の場合、明らかにガルヴィードに非がある。故に、決闘を受けざるを得ない。断れば、「自分には非がない」と主張していることになるからだ。
だから、ガルヴィードの側からは断れない。なんとしてでも、ロシュアに剣を納めてもらわねばならない。
何故なら、勝負にならないからだ。
ロシュアはルティアの兄だけあって小柄だ。年はガルヴィードより一つ上だが、頭一つ分くらいは小さい。武芸に秀でているという話も聞いたことがない。非常に優秀で、仕事中毒の宰相から「我が唯一の癒し」と言われるぐらいに穏やかな性格である彼と、騎士の家系に生まれていれば騎士団長になっていただろうと言われるガルヴィードでは、力の差がありすぎる。
周りの貴族達もそれはわかっているので、誰もがロシュアを心配して見守っていた。
何を言っても表情を変えないロシュアに、説得が無理なことを悟ってガルヴィードは溜め息を吐いた。かくなる上は、開始と同時に彼の剣を弾き飛ばすしかない。
決闘はどちらかの死、或いは闘う意思の喪失のみで決着が付く。相手を死なせないためには闘う手段を奪うしかない。
ガルヴィードも覚悟を決めて構えを取った。
舞台に上がったフリックが心配そうに二人をみつめた。開始の号令は可能な限り両者にとって公平な立場の者によるとされる、ガルヴィードの側近でありロシュアの上司である宰相の息子のフリックが貧乏くじを引いたようだ。
「3」
フリックが仕方なさげに声をあげた。貴族達の喧噪が収まり、誰もが息を飲んだ。
「2」
フリックの声が響く。し、ん、と、静寂が張りつめる。
「……1っ!」
一瞬だった。
強く踏み込んだガルヴィードが一気に間合いを詰め、ロシュアの握る剣を剣で払い上げた。
人々が目にしたのは、青空に飛ばされた剣がぎらりと銀色に光る輝きだった。
終わった。
誰もがそう思い、ほっと息を吐いた。
ガルヴィードも、剣を弾いた感触にほっと胸を撫でおろした。
誰もが等しく安堵したその中で、ロシュア・ビークベルは剣を握っていた方とは逆の手を握り締め、ガルヴィードの腹に叩き込んだ。
「ぐっ……」
咄嗟に後ろに飛んで勢いを殺したため、ロシュアの拳はほとんど空振りだったが、虚を突かれたガルヴィードは足をよろけさせた。
ロシュアは勢いを止めることなく殴りかかってくる。
「おいっ……」
フリックが絶句した。
ロシュアがガルヴィードの顔に拳を叩き入れた。野次馬の中から悲鳴が上がる。
「っ……」
ガルヴィードがなおも拳を振り下ろそうとするロシュアに足払いをかけて転ばせる。
「おい、終わりだ!」
尻餅をついたロシュアにフリックが怒鳴るが、逆に「まだだ!」と怒鳴り返されて声を失った。
ロシュアはすぐに立ち上がり、ガルヴィードに向かっていく。
「……っ」
止めようとして、しかし、フリックは躊躇った。
決闘の勝敗は、どちらかの死、或いは、戦意の喪失。
剣さえなくせば、ロシュアは闘えなくなると思っていた。剣さえ手放させればいい、と。
だが、剣を失ってもロシュアの闘う意思はなくなっていない。だから、止めることが出来ない。
ガルヴィードがちらりとフリックに目をやって、剣を投げ捨てた。丸腰の相手の前で剣を握り続けるのは、決闘においては相手を侮辱するに等しい行為だ。
身軽になった腕で、ロシュアの拳を受け止める。
「落ち着いてくれ、このままじゃお前が手を痛める」
剣では実力差がありすぎて勝負にならない。だからといって、素手なら勝負になるという訳でもない。ロシュアの戦い方はめちゃくちゃだ。闇雲に拳を振り回して、ガルヴィードに突っ込んでくる。
「とにかく、一度……っ」
拳を押さえられたロシュアが、ガルヴィードの顔面に頭突きを食らわせた。予想外の攻撃に、ガルヴィードがよろよろ後ずさる。そのガルヴィードを追いかけ、ロシュアは胸倉を掴んで拳を振り上げる。
「っ、ちっ……」
体勢を整えたくて、思わず腹に蹴りを入れてしまった。ロシュアが倒れ込んで咳き込む。
我に返ったガルヴィードが駆け寄って手を差し伸べた。怪我をさせないと誓っていたのに、と後悔の念が湧き上がる。
「平気か……」
「触るなっ!!」
ガルヴィードの手を振り払って、ロシュアは叫んだ。ぎっと目を怒らせて睨み上げてくる。
「ロシュ……」
「お前がっ……」
よろよろと立ち上がりながら、ロシュアは言った。
「いつまでも、ルティアに甘えてるから、こんなことになったんだ……っ」
「え……?」
「僕は……お前ら二人の間に、何があったのかは知らない。でも……お前のせいで、ルティアは変わった」
はあはあと荒い息を吐きながら、ロシュアはガルヴィードを憎しみのこもった目で睨みつけた。
「勉強なんて大嫌いな子だったのに、「王太子に勝つんだ!」なんていって、難しい本を読んだり、楽器の練習したり、雪だるまの作り方を研究したり……口を開けば勝負のことばっかりで……茶会でもパーティーでも、どんなドレスを着るかより王太子との勝負のことばかり気にして、華やかなドレスより勝負が出来るように動きやすい簡素なドレスを欲しがって、勝負の邪魔だからって髪も肩より長くは伸ばさなくて……王太子の気に入りだからって年頃になっても誰からも手紙も花も貰えなくても気にしてなくて、ほんと……王太子しか見えてなくて……」
ロシュアは悔しそうにぐっと唇を噛んだ。
「それなのに、お前はいつまで経ってもルティアを「宿敵」だのなんだのとふざけた扱いしやがって……執着するだけしておいて、いざ結婚の話が出ると「なんでこいつと」だと?……馬鹿にするのもいい加減にしやがれ」
ロシュアがだんっと足を踏み鳴らした。
誰に聞いても穏やかで大人しいと評される伯爵家の嫡男が、王太子に怒りをぶちまける姿を、誰もが声もなく見守った。
「令嬢として扱ったことなんか一度もないくせにっ、自分の都合で自分の女扱いしやがってっ!!ふざけんな……っ、ふざけんなっ!!」
叫んで、殴りかかってきたロシュアの拳を、ガルヴィードは甘んじて受けた。避ける気にならなかった。
「お前なんかっ、お前なんかぁぁぁっ!!」
ロシュアの吠える声が、声をなくした人々の上にこだました。




