十九、悪夢
***
動揺していたのだ。あまりに予想外の行動に。
王太子はそう主張した。
「だって、普通、貴族令嬢が男のっ、それも王太子のっ、ズボン脱がせようとしてくるとは思わねぇだろっ!!しかも脱がし合い勝負だとか言われて……俺は何を脱がせればいいんだよっ!?動揺するだろうがっ!!あまりに予想外すぎて狼狽えちまったんだよ!!文句あっか!!そのせいで隙をつかれたんだよっ!!」
「伯爵令嬢にズボンどころかパンツまで脱がされた王太子の弁明など聞きたくないです」
「それで、見られたのか?」
「見られてねぇよっ!!隠したわっ!!あいつ、パンツ拾ってすぐに出てったし!!」
「脱がし合いっことかさぁ……普通は人に知られないようにやるもんでしょ。露悪趣味はどうかと思うよ」
「ねぇよそんな趣味!!だからっ、エロい意味はいっさいなかったんだっつうの!!」
ガルヴィードは昨日からずっと側近達に弁明を繰り返している。
あの夢以降、毎日城に連れてこられていたルティアだが、昨日は姿を見せなかった。代わりにやってきたロシュア・ビークベルが「虫が涌いた汚物」でも見るような目でガルヴィードを見ながら、パンツが入った紙袋を手渡してきた。手渡す時も、部屋から出ていく時も、ガルヴィードに眼を飛ばしたままで無言だった。不敬ではあるのだが、咎める気力も資格もガルヴィードにはなかった。
ロシュアはその後、フリックと共に魔法協会に出かけたらしかった。
「くっそ、あの女!俺に恥かかせやがって!!」
「嫌じゃなかったんだろ?」
「嫌に決まってんだろ!!どこの世界に女にパンツ脱がされて喜ぶ王太子がいると思ってんだ!!屈辱しかないわ!!」
ガルヴィードは出窓に頭を打ち付けて唸り出した。
「情けないなー。こんなんが英雄の父とか……どうした、フリック?」
エルンストは、隣に立つ友人がいつもより暗い顔をしていることに気付いて尋ねた。
尋ねられた当人は、はっと我に返ったような顔をしてエルンストを見た。
「いや、なんでもない」
「そうか?ならいいけど」
そう言いながらも、エルンストは首を傾げた。昨日、魔法協会から帰ってきてから、フリックは時々考え込むような表情をすることに、エルンストは気付いていた。
そのことについては、後でルートヴィッヒと共に報告を聞くことになっている。
「あー、くそ……今日もルティアは来ないのか?」
ガルヴィードが悪態の後に小さく呟いた。
「自分で聞け」
ルートヴィッヒがぴしゃりと言い放って、三人は傷心の王太子を残して部屋を出た。
「まったく……」
付き合いきれないとばかりに、ルートヴィッヒが大袈裟な溜め息を吐き出す。その気持ちはよくわかったので、エルンストは苦笑いで肩を叩いてやった。
「さて、フリックに昨日の話を聞きたいんだけど」
人払いを済ませた部屋まで移動し、話を促すと、フリックは「ああ」と頷いて真剣な表情を浮かべた。
「これはあくまで、一人の男の想像だが……」
昨日、タッセルから聞いた可能性を話すうちに、ルートヴィッヒとエルンストの顔色が変わった。
「心の病気だの転生だの魔王だのと……そんな訳ないだろ!」
エルンストが普段へらへらと笑みを浮かべることの多い顔をむっすりと歪めて憤慨した。
「魔法協会や教会に連れて行くというのもな……ガルヴィードが本当に「もう一人の自分」なんてものを持っているのか確信がないうちは、あまり目立つ行動はしたくない」
ルートヴィッヒも難しい顔で言う。他の二人もそれに同意した。
「もうとっとと結婚させちまおう!くっつけちまえば上手く行くよ、あの二人は」
口では「嫌い」だの何だの言っているが、あの二人は昔からお互いしか見えていないのだ。「何か」だかなんだか知らないが、あれだけ一緒に居れるなら問題ないだろうとエルンストは思う。
よしんば、本当に「もう一人のガルヴィード」が居たとしても、何も出来やしないだろう。ルティアさえ傍にいれば、ガルヴィードは体の主導権を渡したりしない。絶対に。
ガルヴィードはルティアと出会ってからはずっとガルヴィードだったのだ。「もう一人」のことなど、気にせず忘れてしまえばいい。
「それもそうだが……俺は一応、もう少し調べてみるよ」
フリックが前髪を掻き上げてそう言った。
三人の会話が途切れたところで、窓の外をガルヴィードがふらふら歩いていくのが見えた。
騎士団の訓練場の方へ歩いていくので、久しぶりに剣の稽古でもするのかもしれない。
王太子が剣を鍛えるのであれば、自分達も付き合わねばならない。三人はざっと立ち上がって部屋を出た。
***
アシュフォード・ヴィンドソーンは剣を納めて長い息を吐いた。
このところ、どうもよく眠れない。原因はわかっている。あの悪夢のせいだ。
アシュフォードは、一日目の夢で早々に魔王に殺されていた。
アシュフォードのみならず、国王も王妃も、国の中枢に位置する者はだいたい一日目の夢で殺されてしまっていた。王太子である兄を除いて。
兄だけでも生き残ってくれて良かった。彼の子どもが英雄として魔王を倒すことを考えてもそう思う。
しかし、忸怩たる想いも消せない。国の危機に、何も出来ずにあっさりと殺されてしまった自分が許せなかった。
次は必ず役に立ってみせる。第二王子として。
アシュフォードは再び剣を抜いて訓練用の人型に切りかかった。
「なんだ、お前もいたのか」
背後からかかった声に振り向くと、兄であるガルヴィード・ヴィンドソーンが訓練場に入ってくるところだった。周囲の騎士達が礼を取る。アシュフォードも姿勢を正した。
「兄上も稽古ですか」
「ああ。気分を引き締めたくてな」
ガルヴィードはふっと笑った。少し癖のある短い襟髪を掻き上げる仕草を眺めて、アシュフォードは自分の横髪をちょいと摘んだ。アシュフォードも父譲りの黒髪だが、ガルヴィードほど見事な漆黒ではない。光が当たると茶色にも見える。ガルヴィードの髪は太陽の光も飲み込んでしまう見事な漆黒だ。
父と自分は黒髪に青い瞳、母は茶髪に緑の瞳だ。ガルヴィードの漆黒の髪と瞳は、先祖返りなのだと父は言っていた。ヴィンドソーン王家には時折魔力値の高い子どもが生まれるが、それは黒目黒髪の場合が多いのだという。
だが、ガルヴィードの魔力値は平均値以下だ。先祖返りの魔力に期待していた周囲は落胆したが、父と母は「まあそういうこともあるだろう」と気にせず笑っていた。
アシュフォード自身は平均よりは少し魔力値が高い。そのため、近いうちに魔法協会を訪ねようと思っている。伸ばせる能力は貪欲に伸ばしておくべきだ。
「では、久しぶりに手合わせを願います」
「おお。俺も最近はサボっていたからな。お手柔らかに頼む」
そう言うと、ガルヴィードは軽やかに剣を抜いた。すらりとした立ち姿に抜き身の剣はよく似合う。
大陸は平和で、ヴィンドソーンは百年近く戦渦に巻き込まれていない。故に、戦場に出た経験のある騎士はいないが、もしも王太子が戦場に出れば敵は「黒狼の騎士」と恐れるだろう、と以前に誰かが言っていた。
魔力値は高くないが、それ以外のことは勉学でも剣技でもガルヴィードは極めて優秀だ。周囲の者からも好かれていて、王太子として申し分ない。
しかし、十歳になるまでのガルヴィードは些か周囲を心配させていたと聞く。喜びというものを感じることなく、周囲の者には常に不機嫌な顔しか見せず、話しかけても怒鳴るか黙り込むかだったという。
その頃のアシュフォードは六歳になるかならないかだったのであまり記憶にはないのだが、「ルティア嬢と出会ってから人が変わったように明るくなった」と皆が口々に言うのでその通りだったのだろうと思っている。
そのうちに王太子の側近達もやってきて、本日の訓練場は華やかで活気のあふれる場所となった。騎士達の士気も上がる。
今日はよく眠れそうだ。
流れる汗を拭って、アシュフォードはそう思った。
***
国王が倒れた。
それを庇うように王妃が覆い被さる。
そして、二人を守るように剣を構えた第二王子が立ちはだかった。
第二王子が何かを叫ぶ。声は聞こえない。青い瞳には驚愕と、不安と、憎しみが複雑に絡み合って揺らいでいた。
彼らを守るために騎士達が集まってくる。皆口々に何かを叫んでいる。中には、戸惑いの表情で剣を持つ手を震わせる者もいる。
王宮の中には血臭が漂っている。ここ以外の惨状はどうなっているのだろう。きっと何人も倒れているに違いない。
何故か音は聞こえない。恐ろしいことが起こっているのに、頭がぼんやりして何も考えられない。
なんだっけ。どうしてこうなったんだっけ。
こんなことはしてはいけない。こんなことは望んでいない。それなのに。
突然、騎士達が吹っ飛んで壁に叩きつけられた。
魔法だ。
第二王子が何かを叫ぶ。
床に倒れ伏した騎士達が血を吐いて苦しんでいる。
第二王子が怒りにまみれた表情で切りかかってきた。
その時、初めて、彼の叫ぶ声が聞こえた。
「何故なのですかっ!!ーーー兄上っ!!」
弟に切りかかられても少しも慌てることなく、この国の王太子ーーーガルヴィード・ヴィンドソーンは口の端を持ち上げて愉快そうに笑った。
目を開けた。
はあはあと、息が荒い。耳の中でどくどくと鼓動が鳴っている。全身が、おびただしい汗で濡れていた。
ガルヴィード・ヴィンドソーンは、たった今見た夢の光景が、三年後に起きる出来事だと目覚めた瞬間に悟った。
一日目に見た光景と全く同じだった。違ったのは、あの三日間の夢では決して見えなかった殺戮者の姿が見えたこと。
王家と主だった貴族を殺し尽くした殺戮者ーーー魔王の姿が。
寝台に横たわり荒い息を吐いたまま、ガルヴィードは夢の光景を頭から打ち払うことが出来なかった。




