十七、転生魔法
***
王都の西側地区は魔法協会を中心に魔法道具を売る店や魔法協会に関わる人間が多く居住している。
魔法に縁がない者は西側地区に滅多に立ち入らない。そのため、ロシュアが魔法協会を訪れるのは初めてだった。
フリックについて巨大な魔法協会の建物に足を踏み入れると、すぐに柄の悪そうな若い男がやってきてフリックに声を掛けた。
「よう、来たな。魔法使いになる決心はついたか」
「次期宰相を勧誘するな。タッセル、こちらはロシュア・ビークベル殿だ。ロシュア、こっちの胡散臭い男はタッセル・エメフ」
「初めまして。ロシュア・ビークベルと申します」
「どうも〜。んじゃ、まあ俺の部屋で話すか」
狭いけど勘弁な、と言うタッセルについて行き、訓練棟の中にある職員寮の一室に案内される。部屋は大人が五人ほど入れそうな広さだが、ベッドの上と簡素な椅子とテーブル以外は大量の本が積み上げられていて、足の踏み場もない。
「ビークベル様は椅子にどうぞ。お前はその辺の箱にでも座っとけ」
自分はベッドに腰を下ろしてそんなことを言う。フリックが本当に本を避けて部屋の隅に転がっていた木箱を持ってきたのでロシュアは慌てた。
「フリック様がこちらに……っ」
「あー、いーからいーから。いつものことだから」
フリックは慣れた調子で木箱に座ってしまうが、ロシュアは立ったままおろおろした。デューラー家は侯爵位だ。フリックを箱に座らせて自分が椅子に座る訳にはいかない。
だが、焦るロシュアを尻目にタッセルは「それで、何が聞きたいんだよ」と話を始めてしまう。
「ちょっと聞きたいんだがな。人間が人格を二つ持つってことがあり得るのか」
フリックも真剣な表情で話題を切り出してしまい、口を挟めなくなったロシュアは狼狽えた後で仕方がなく椅子に腰を下ろした。
「人格が二つ?つまり……」
「自分の中に、もう一人の自分がいるっていう感覚だ。過去にそういう例はないか?」
「ふぅん……」
タッセルは興味深そうに顎に手を当てた。フリックは真剣な表情を崩さないまま続ける。
「例えば、悪魔憑きとか……」
「悪魔憑きなんてもんはない」
フリックが言い掛けた言葉を、タッセルがずばっと切り捨てた。思わず目が点になる。フリックとロシュアは一瞬目を見合わせた。
「悪魔が人に取り憑いたっていう例はないのか?協会の歴史の中にそういう話が伝わってたり……」
「ない。まず、悪魔というもんがこの世にはない」
タッセルがきっぱりと告げた。
「魔法というのは人間が元々持っている魂の力を使って行うものだ。だから、悪魔は存在しない。魔法使いが戦うのは、魔法を悪さに使う人間や、自然災害だ。悪魔だの魔物だのと戦った魔法使いなどいない」
ロシュアは目を白黒させた。そんな馬鹿な、と思った。
だって、小説でも伝説でも、魔法使いや勇者が戦う相手は悪魔や魔物だ。
「でも、三年後には、魔王が蘇るんですよ?」
思わず口にしていた。
魔王が存在するのだから、悪魔や魔物だっているはずだろう。ロシュアはそう思うのだが、タッセルに面白そうな目つきを寄越されてぐっと口を噤んだ。
「正確には、「魔王」と呼ばれるほどに強大な魔力を持った存在が、だろ?」
タッセルの言葉に息を飲む。
「つまり、今は普通の人間でも、強大な魔力を持っている奴が悪に墜ちて他人を傷つけ出したら、周囲の者はそいつを「魔王」と呼ぶかもしれないってこった」
確かにその通りだ、とロシュアは思った。三年後に蘇ると言われたから、てっきり封印が解けたとかで魔王が蘇ったりするのかと思っていたが、もしかしたら三年後に魔王と呼ばれる人間が、今は普通に生きているのかもしれない。
「それはお前の想像だろう?」
「もちろんだ。もしかしたら、地獄の底から本当に魔王が出てくる可能性だって当然ある。ただ、俺は「魔王」と呼ばれる存在は今は普通の顔して生きているんじゃないかと思っている」
タッセルはにやにやと人の悪そうな笑みを絶やさないが、彼の言うことは一理あるとロシュアは思った。フリックも思案の表情を浮かべる。
「んで、自分の中にもう一人の自分がいる、だったか?悪魔憑きなんてもんはないが、性格がころころ変わるって例なら聞いたことがあるぜ。大人しい性格だったのに、突然人が変わったように暴れ出したり、おしとやかな女の子がいきなり男言葉で喋り出したりってな」
そういう場合、周囲はやはり「悪魔憑き」を疑って魔法使いを呼ぶか教会に連れて行くのだという。
「うちでも教会でも気休め程度のお祓いはするがな。そういう例は大抵の場合周囲の環境に原因がある。長年の虐待で憔悴したせいで、精神の糸が突然切れて暴れ出したり、過度な期待と教育で押し潰されそうになっていた令嬢が、苦しい境遇から抜け出したくて自分の中に自由に生きる男の人格を創りだしてしまったり、だな。自覚があって演じている場合と自覚のない場合があるが、どちらにしろ、最終的に必要なのは医者の治療と、信頼できる人間に話を聞いてもらうことだ」
「つまり、心の病気だといいたいのか?」
フリックが血相を変えて眉根を寄せた。
「その可能性が高いな」
「馬鹿な……っ」
フリックが苛立たしげに前髪を掻き上げるのを見て、ロシュアは誰かフリックの身近な人物がそのような状態なのだろうかと心配した。
タッセルもそう感じたのか、笑みを引っ込めて言った。
「まあ、なんか気になるなら、うちか教会に連れて行ってみたらどうだ?」
「……」
フリックは無言で目を伏せた。
納得のいっていないその様子を見て、タッセルは肩を竦めた。
「他の可能性としては、「転生」だな」
「転生?」
聞き慣れない言葉に、フリックとロシュアは眉をひそめた。
「ある人間の死に際に、その人間の魂を未来もしくは過去に生きる人間の中に飛ばしてしまう魔法だ。その場合、魂が体の中に二つあるという状態になるな」
「二つ……」
フリックが呻いた。
「その魔法は、どういう魔法なんだ?飛ばしてしまうって……勝手に他人の魂に体の中に入られるっていうことか?」
「まあ、落ち着け。「転生魔法」というものは、伝説の中にしか存在しない。そんな魔法、使える人間はいねぇよ」
立ち上がって身を乗り出すフリックを宥めて、タッセルが説明する。
「大陸に伝わる伝説は聞いたことがあるだろう。白い魔法使いと黒い魔法使いの話だ。彼らが転生魔法を使えたっていう話が伝えられてるだけだよ。悪に墜ちた黒い魔法使いが白い魔法使いに倒された際に、転生魔法でどこかの時代に逃げたっていう説があるってだけだ」
それを聞いて、フリックははーっと息を吐いて木箱に座り込んだ。
「単なるくだらねぇお伽話だよ。ただ……」
タッセルが不意に表情を消して言った。
「もしも、三年後に蘇る魔王というのが、転生してきたその黒魔法使いだったら、どうする?」
***
「あら?」
タッセルの部屋を後にして歩く二人の背に、鈴を転がすような声が掛けられた。
振り向くと、見覚えのある少女が目をきらきらさせてこちらを見ている。
「デューラー様にビークベル様。お久しぶりでございます。私、ハルベリー・モガレアがご挨拶させていただきます」
「ああ、ハルベリー嬢か。ローブ姿だから、一瞬わからなかったよ」
いつもふわふわとしたドレスを身にまとっていた侯爵令嬢が、動きやすそうなローブにすっきりとまとめ上げた髪で微笑んでいる。
妹の親友の登場に、ロシュアも驚いて口を開けた。
「魔法協会に行ったとは聞いていたけれど……」
「ふふふ。私、三年後までに立派に戦えるようになりたいんですの。周囲に眉をひそめられながら頑張っておりますわ」
ハルベリーは可愛らしく微笑みながら言う。
「私が強くなれば、これから英雄をお産みくださるルティア様をお守りすることが出来ますから」
「ルティアのために?」
「もちろん、それもございます。一番は、私が魔王に一太刀浴びせたいという野蛮な動機ですわ」
にこにこ笑うハルベリーに、ロシュアは唖然とした後で肩を落として俯いた。
「ビークベル様?」
「……申し訳ありません。自己嫌悪で……」
侯爵令嬢がここまでしているのに、ルティアの兄である自分は何も出来ていない。そのことに、内心忸怩たるものがある。
自分にも力があったら……いや、今力を持っていなくとも、何かするべきなんじゃないのか。妹を、甥を守るために。
ひたすら自分の無力さを恥じるロシュアに、ハルベリーが微笑みを消してきっと顔を引き締めた。
「しっかりなさいませ、ビークベル様」
ロシュアは顔を上げた。
「貴方はルティア様のたった一人のお兄様ですのよ。貴方にしか出来ないことがこれから先、きっとあるはずです。くよくよと顔を俯けていては、いざすべきことがやってきた時に、見逃してしまいますわ!顔を上げて、しっかりと目を開いていらして!」
ロシュアが目を瞬くと、ハルベリーは再びにっこりと微笑んだ。




