十五、兄の苦悩
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ロシュア・ビークベルはただの伯爵家の嫡男だった。
伯爵家といってもいいとこ中堅止まりの、ぱっとしない家柄だ。幸い平和な国の貴族に生まれたのだ。将来はのんびり領地経営をしようとのほほんと描いていた未来予想図ががらりと変わったのは妹のルティアのせいだ。
身内びいきで兄の目から見れば可愛いが、誰もが振り向く美少女ではない。中堅どころの伯爵家ではがつがつと上を目指すつもりも必要もなく、のんびりほやほやと育てられた妹は貴族令嬢としてはちょっと大らかすぎる成長を遂げてしまったが、将来は男爵家や子爵家の次男や三男に嫁げばいいよねーぐらいの感覚で見守られていた。
その妹が初めて参加したお茶会で王太子のズボンを引きずり下ろしてしまうだなんて、誰も予想していなかった。
国王陛下は寛容な御方だが、王太子殿下は生まれたときからぴくりとも笑わず、常に不機嫌な顔をして辺りの人間を威圧している峻厳な人間だと噂だった。
ルティアを守るために爵位を返上することになるかもしれない、と、ロシュアに詫びる父を励まして妹とともに謝罪に向かう姿を見送った日のことをよく覚えている。
父は送り出した時より青い顔で帰ってきた。妹が王太子の頬をひっぱたいたのだと聞かされて、ロシュアも青ざめた。
いつ王家から呼び出しが来るかと戦々恐々とした日々を過ごし、王妃からルティアに茶会の招待が来た日には一家で震え上がったものだ。
ロシュアは妹を領地に匿うべきだと主張したが、父は首を横に振った。この茶会には伯爵以上の令嬢は全員招待されている、行かなかったら王妃の顔に泥を塗ることになってしまう。行かないという選択肢はないのだと。
そうして、その日の茶会をきっかけに、何故か王太子はルティアに執着するようになった。
茶会でもパーティーでも舞踏会でも、王太子は会場に現れるやルティアを探し、二人でなんだかよくわからない勝負を繰り広げていた。
自分の娘を王太子に無視された貴族達はビークベル家をよく思わず、ちくちくと攻撃してきた。繰り返される嫌がらせに辟易していると、見かねた国王がルティアを領地へ連れて行くようにと命令してきた。特別裕福でも由緒正しい訳でもない伯爵家の娘を王太子妃にする訳にはいかないという想いもあったのだろう。もちろん、ビークベル家に否やはなかった。
ビークベル家にも、ルティアを王太子妃にしようなんて身の程知らずな考えはなかったのだ。
しかし、二ヶ月も経った頃、領地でのんびり過ごしているビークベル家に王家の使者が駆け込んできて「すぐに戻ってくるように」と言い渡された。
おそるおそる帰ってきてみれば、国王と高位貴族達は手のひらを返したようにビークベル家を迎え入れた。
もはやルティアを王太子から引き離そうとする者はおらず、むしろ頻繁に城に招かれて王妃や国王にも目通りするようになった妹に、ロシュアは別の意味で青くなった。
ルティアが王太子妃候補扱いされていることが明らかだったからだ。
そして、それはロシュアの環境をがらりと変える原因であった。
これまではただの伯爵家の嫡男だったロシュアは、「将来の王太子妃の兄」という立場になってしまったのだ。万一、ルティアが王妃になれば、実家のビークベル家は爵位が引き上げられる可能性もある。ルティアがたくさん子供を産めば、公爵家が創設されることもある。そうなった場合、ロシュアは公爵の伯父という立場になる。
気楽な中堅どころの伯爵家ではいられなくなる。
その証拠に、これまではビークベル家など見向きもしなかった貴族達から声をかけられることも多くなったしサロンへの誘いも引きも切らなかった。縁談も降るようにやってきた。
幸い、ロシュアは優秀だった。侯爵家や公爵家の令息達に混ぜられても渡り合うことが出来た。だが、ロシュアが何かしくじればルティアの傷になる。いかに王太子の寵を得ているとはいえ、妹の足を引っ張るわけにはいかないとロシュアは必死に勉強に励んだ。
結果、宰相に気に入られて、最近ではその補佐のような仕事をしている。
思わぬ事態になりはしたが、ロシュアは現状に不満はない。忙しい日々ではあるが充実しているし、王太子と妹は「犬猿の仲」と呼ばれるぐらい日々激しい勝負を繰り返しているが、王太子はルティアにまっしぐらだしルティアも王太子に勝つための努力を怠らない。周りからもすっかり認められ、いずれルティアが王太子妃になるのは決まっていた。
ガルヴィードが十八になったら正式に婚約させ、ルティアが十八になったら結婚させようと王家とビークベル家でも話がまとまっていた。
その矢先に、英雄の夢をみたわけだ。
時期が早まっただけで元々結婚はさせるつもりだったのだ。問題などない。
だから、城から帰ってきた妹に「お兄様!殿方が触られたりくっつかれたら思わず逃げたくなる体の部分ってどこですか!?」と尋ねられた時も、動揺などしなかった。決して。王太子に若干の殺意は抱いたが。
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「お前、ロシュアに何かしたか?」
「あん?」
フリックに尋ねられて、ガルヴィードは首を傾げた。
「ルティアの兄貴か?別に何も」
「嘘吐け。お前のことをゴミを見るような目で見てるじゃねぇか」
「元々だろ」
ロシュア・ビークベルは穏やかな性格と地味ではあるが柔らかく好ましい容姿を持った好青年で、人当たりも良い人気者なのだが、ガルヴィードのことは常に暗く据わった目で見る。「妹の敵は俺の敵」ということだろうとガルヴィードは気にしていなかったが、フリックは今日のロシュアはひと味違うと感じていた。
「今までは「薄汚れた紙屑」を見るような目だったけど、今日は「どろどろに腐敗して虫の涌いた生ゴミ」を見るような目なんだよ」
「どっちにしろ臣下が王太子を見る目じゃねぇな」
フリックの首を傾げながらの言葉に、エルンストが苦笑いを浮かべた。
「それより、そろそろルティア嬢が来る頃だな。俺達は退散しようか。ガルヴィード、後でね」
「おう」
エルンストとフリックと入れ違いのようにしてルティアがやってきた。
「とりゃあ!」
入ってくるなり掛け声と共に飛び込んできたルティアを受け止めて、ガルヴィードは溜め息を吐いた。「何か」が嫌がって逃げ出すまでルティアがくっつくという作戦を説明したところ、ルートヴィッヒから「どこまでいちゃつけば気が済むんだ」とさんざん説教されたのだ。昨日はガルヴィードもいい作戦だと思ったのだが、側近からさんざん叱られ詰られ罵られたせいで、今日は若干心が折れかけていた。
「いきなり飛び込んでくるな」
「いきなりで驚いた「何か」が逃げ出すかもしれないじゃない!」
ルティアは「二人で「何か」が嫌がることをしよう!」と息まいた。
「嫌がることっつったってなぁ……お前のことは嫌がっているけど」
「じゃあ、私に今までにされて一番嫌だったことは?」
ガルヴィードは「ふむ」と考え込んだ。
「嫌……というか、一番衝撃を受けたのはそりゃズボンを下ろされたことだけどよ」
初対面の衝撃は忘れられない。その後に続いた言葉も含めてだが。
「じゃあズボン下ろすね!」
「なんでだよ」
なんの躊躇いもなくとんでもないことを宣言されて、ガルヴィードは思わず頭が真っ白になった。
「だって、嫌なんでしょ」
「嫌というか……おいやめろ手を放せ」
有言実行しようとするルティアの手を掴んで阻止する。一国の王太子たるもの、そう簡単にズボンを脱がされる訳にはいかない。
「邪魔しないでよ!」
ルティアは不平を漏らして暴れるが、ガルヴィードはそれを抑えて説得する。
「落ち着け!」
「どうして邪魔するのよ!大人しくしてて!」
「大人しく伯爵令嬢にズボンを脱がされるような王太子でいいのか!?国民が泣くぞ!」
軽く突き飛ばして距離を取ると、ルティアは悔しげに顔を歪めた。
「くっ……無駄な抵抗はよせ!」
「無駄じゃない!国民のために全力で抵抗するぞ俺は!」
あの国の王太子は伯爵令嬢にズボンを脱がされたなどと笑い者にされて国民に恥をかかせる訳にはいかない。王太子としての努めだ。じりじりと迫る伯爵令嬢から矜持を守り通すため、ガルヴィードは構えを取った。
一触即発の空気が流れる。
好敵手である二人の胸には決して負けられないという想いが漲っていた。
ルティアは覚悟を決めた。
「勝負よ……!脱がした方が勝ち!行くわよ!」
「おい、ちょっと待て、脱がした方って俺は何を脱が……」
「うりゃあああっ!」
***
ロシュア・ビークベルは回廊を歩いている途中で声をかけられて振り向いた。
宰相の息子であるフリック・デューラーが歩み寄ってくるのを見て、ロシュアは軽く頭を下げた。
「何か?」
「いやぁ、ちょっと頼みがあるんだけどよ。魔法協会に付き合ってくれねぇかな」
「魔法協会、ですか」
首を傾げたロシュアの肩を叩いて、フリックはにかっと笑った。
「知り合いに会いに行きたいんだけどよ。俺、今あそこに行くとしつこく勧誘されそうでさ」
ああ、とロシュアは頷いた。魔法協会が戦力増強に躍起になっているという噂は聞いている。フリックは魔力値が高いということだろう。
「……羨ましいです」
「ん?」
「僕も、魔力値が高ければ、甥と一緒に戦えたかもしれないのに……」
思わず本音をこぼしてしまった。あの夢をみて以降、ロシュアは英雄となる自分の甥の助けとなりたいと願っている。でも、子供の頃に測った魔力値は平均以下だったし、剣の才能もない。貴族の息子として一通りの武芸も習ったが、どの家庭教師も護身用以上の教えは施してくれなかった。真面目に努力してもそこまでの実力しか得られなかったからだ。
ビークベル家は武門の家柄ではないためこれまでは気にしていなかったが、三年後に魔王が蘇ると知った今では、戦える力がないことが歯がゆくて仕方がない。まして、ロシュアの甥は魔王を倒す英雄なのだ。
それなのに、ロシュアにはその英雄が成長するまで守るだけの力もない。
「……申し訳ありません。失礼を」
「いやあ、別に」
恥じるように目を伏せたロシュアに、フリックはひらひらと手を振って見せた。
「まあ、妹御と甥御は国全体で守るから、そんなに気に病まず……」
言葉の途中で、フリックは振り返って王宮の前庭を見た。ロシュアも顔を上げてそちらに目をやる。城の外へ向かって走っていく少女の「いやったあああああっ!」というはしゃいだ声が聞こえたからだ。
ルティアは両手をあげて嬉しくてたまらないというように軽やかに走っていく。「勝ったー!」と叫んでいるので、またぞろ何かくだらない勝負をしていたのだろう、と周りの者は皆「日常茶飯事」と判断して興味をなくした。もちろん、フリックとロシュアも「やれやれ」と肩をすくめただけだった。
「よくああも全力で勝負出来るよな」
「妹がご迷惑を……」
「いや、あのおかげで王太子が人間らしくなったんだから、ルティア嬢には感謝してるさ」
そう言いつつ、フリックはふと首を傾げた。
「ルティア嬢、何を握りしめてるんだ?」
駆け去っていくルティアは、確かに片方の手に何か布のようなものを強く握りしめているように見えた。
その後、帰宅したロシュアは「ズボンを脱がすはずだったのに勢い余ってパンツまで脱がせてしまってそのままの勢いでパンツを持って帰ってきてしまったから返しに行く!」とわーわー泣きじゃくって飛び出そうとする妹を全力で阻止している使用人達を目にして、かつてない殺意が胸にこみ上げるのを感じたのだった。
無論、王太子に対しての。




