十三、ルティアの不安
***
目の前で、ガルヴィードが苦しんでいる。
体をくの字に折り曲げて、荒い息を吐いて頭を抱えて、呻き悶えている。
「ルティア!」
誰かが、ルティアの肩を引いてガルヴィードから遠ざけた。
「理由はわかりませんが、ルティア嬢が傍にいると、王太子殿下の容態が悪くなるようです」
誰かの声がした。
「しばらくは、ルティア嬢には王太子殿下に会わないでいただきましょう」
「嫌っ!!」
叫んで飛び起きたルティアは、ぜぇぜぇと息を吐いて辺りを見渡した。
自分の部屋の内装を確認して、夢だったのだと確信して肩の力を抜いた。
しかし、すぐに不安になる。
以前にも、ガルヴィードが近い将来に病気になっているような夢を見た。あの時は、ガルヴィードも同じ夢を見ていた。
あの後、ガルヴィードは一応医者に体を診てもらい、どこにも悪いところはない健康体だと太鼓判を押してもらっていた。なので、ルティアも安心していたのだが、再びガルヴィードが病気になっている夢を見てしまった。今はなんともなくともやはり近い将来に病気になるのではないか。
「ガルヴィードッ……」
ルティアは募る不安に胸を押さえて呟いた。
***
いかん、このままでは。
王太子ガルヴィードは深刻な眼差しで窓の外の青空をみつめた。
このところ、側近達の自分を見る目がとても冷たい。具体的には「このエロ王子め」という目で見られている。違う。俺はエロいことなんてしていない。
「くそっ……俺はルティアをベッドに押し倒して触ったり足に挟んでスカートの中に手を突っ込んだりしただけなのに……っ!!」
「それだけやらかして責任とらないとか言ったら全国民から見捨てられるぞ」
ルートヴィッヒが凍てつくような声で突っ込みを入れてくる。
頭を抱えて唸っていたガルヴィードはぴたりと動きを止めた。
「……なあ、おい」
「ん?」
「俺の中に、別の誰かがいるって言ったら、信じるか?」
ルートヴィッヒは眉をしかめて読んでいた本から顔を上げた。
「つまり、破廉恥行為をしたのは自分ではなくもう一人の自分です、と言いたいわけか。最低だな。人間の屑だ。そんな言い訳で責任から逃れようとするとは、唾棄すべき行いだ。このクズ!痴漢野郎!不能になっちまえ!!」
「ちっげーよ!!つーか、俺が不能になったら英雄が生まれねーぞ!それでもいいのか!?」
「くっ……卑怯な!!」
英雄を人質にとる卑劣なやり方に、ルートヴィッヒは唇を噛んだ。
「そうじゃなくて……」
ガルヴィードは寸の間口ごもってから、思い切ったように言った。
「ルティアのことだ。ルティアに対する俺の……言動の矛盾だ」
窓辺に立っていたガルヴィードは、ルートヴィッヒの前のソファに腰を下ろして目を伏せた。
「お前達に指摘された通り、俺は常にルティアばかり構って、ルティアを見るや急に元気になって勢いよく絡んでいくだろ?」
「さすがに自覚したか」
「おう。それでな……上手く説明できないんだが、俺の中にもう一人いるって話」
ルートヴィッヒは持っていた本を置いて、怪訝な表情を浮かべながらもガルヴィードに向き直った。
自分の中にもう一人別の誰かがいる、など、噴飯ものの言い訳であるが、ガルヴィードはどうやら本気でそう言っているようだ。
「頭がおかしくなったと思われるだろうが……最後まで聞いてくれ。俺には俺と、もう一つ俺じゃない「何か」があって、俺と「何か」は常に争っているんだよ。その「何か」は俺を抑えつけて、俺の前に出たいんだ。つまり、この体を俺から奪いたいんだと思う」
荒唐無稽な話だが、ルートヴィッヒは口を挟まずに最後まで聞くことにした。ガルヴィードは真剣な面持ちで、冗談を言っているようには見えない。
「俺はずっとその「何か」に抑えつけられていた。でも、ルティアの前にいる時だけは、俺の方が強くなれたんだ。抑えつけるそいつを跳ね除けて、俺のままでルティアと接することが出来た。俺を支配したいそいつからしたら、ルティアは邪魔だろ?だから、そいつはルティアのことが嫌いで、俺にもルティアのことを嫌わせようとしてくる」
ガルヴィードはふーっと長い息を吐いた。
「ルティアが先に気づいたんだ。あいつ、「俺」が嫌いなんじゃなく、「俺」の中にいる「何か」が嫌いだって言った。それで、俺も自分の中にルティアを嫌う「何か」がいることに気づいた」
ガルヴィードは自分の胸元を指さして、ルートヴィッヒに訴えた。
「俺がルティアと結婚したら、ルティアは俺の中にいる「何か」とも結婚しちまうことになるだろ?俺もルティアも、それが嫌なんだよ」
「……」
ルートヴィッヒは何と言っていいかわからずガルヴィードの胸元を眺めた。くだらない妄想だと一蹴してやりたいが、ガルヴィードの表情は真剣で、目にも迷いがない。
「この「何か」を俺の中から追い払えさえすれば、俺は……」
その時、ドタドタドタ!と荒々しい足音が響いて、部屋の扉が勢いよく開けられた。
「ガルヴィードっ!!」
「ルティア?」
突如現れたルティアを見て、ガルヴィードがソファから腰を浮かす。そんなガルヴィードに、ルティアは勢いよく飛び込んで腹に頭突きを食らわせた。
げふっ、という呻きと共に、ガルヴィードが腰を上げかけていたソファに沈み込む。ルティアは彼の腹に腕を回してぎゅーっと抱きついた。
「ガルヴィード!どこも痛くない?苦しいとかない!?」
「い、痛いし苦しいわ……テメェ、いきなり」
「えええ、どこ!?どこが痛いの!?息が苦しいの!?お、お医者さん!お医者さんを呼んでーっ!!」
どう見てもガルヴィードが痛いのは腹に頭突きを入れられたせいだし、苦しいのは力一杯に腹を締め上げられているせいだ。しかし、ガルヴィードの答えを聞いたルティアはより一層力を込めてガルヴィードを抱きしめる。
「なんの騒ぎ?」
エルンストとフリックが顔を覗かせる。ルートヴィッヒは彼らに向かってふるふると首を振って見せた。
「もう嫌!なんであんな夢を見せられるの!?なんで私がアンタから引き離されなくちゃいけないの!」
ルティアが叫んだ。
「私は一緒に戦うからっ!置いていかないで!!」
そう叫んで泣きつくルティアに、ガルヴィードは言葉を失った。
ルートヴィッヒが立ち上がりエルンスト達と共に手を振って部屋から出ていった。
二人きりになった部屋で、ガルヴィードはそっとルティアの肩を抱いた。
『一緒に戦うから』
出会ったばかりの幼い頃に、ルティアがくれた言葉を、ガルヴィードは覚えている。
クローバーを差し出しながら、少女は笑顔で言ったのだ。
『私も一緒に戦いますよ。だから、絶対負けないでください』
その言葉がどれだけガルヴィードを救い、その後の彼女の行動がどれだけガルヴィードを支えてきたのか。
誰にもわからないだろう、と、ガルヴィードは思う。
***
「どう思う?」
揃って廊下を歩きながら、他の二人に尋ねてみる。
「いやあ、あんだけ想い合っててなんで「結婚はしたくない」なんてほざいてるのか、意味がわからないよね」
「二人とも「結婚は無理」っていう癖に、ずっと一緒にいるつもりなんだよなぁ」
エルンストとフリックが呆れ顔で言う。
ルートヴィッヒは周囲に人影がないのを確認して、今し方聞いた話を二人に打ち明けた。
二人は最後まで表情を変えずに聞いて、聞き終えた後もしばし無言だった。
「ふむ」
ややあって、エルンストが唸った。
「その話を聞いて思い出したんだけどさ。俺は子供の頃、ガルヴィードのことが怖かったんだよな」
乳兄弟で一番付き合いの長いエルンストの告白に、他の二人はぎょっと目を見張った。エルンストはそんな二人に構わず続ける。
「子供の頃のガルヴィードってさ。外の世界のことには興味がなさそうっていうか、誰が話しかけても無関心で、気に入らないことがあると不機嫌になったり怒鳴ったりはしたけど、喜んだり笑顔になったりしたことはなかった。いつでもぴりぴりした空気を放ってて、にこりともしねぇから、俺はあいつのことあんまり好きじゃなかったね」
エルンストの言い分には唖然とさせられたが、ルートヴィッヒもフリックも、言われて思い出してみれば確かに幼い頃のガルヴィードはぴくりとも笑わない子供だった記憶がある。
王太子の遊び相手として侍っていた彼らだが、ガルヴィードは何をしていてもむっつり黙り込んでいることが多く、時折我慢ならないように顔を歪めるので彼の周りは常に張りつめた空気が流れていた。
それが変わったのは、ルティアと出会って以降だ。
ルティアとくだらない勝負を繰り返すうちに、ガルヴィードは嘘みたいに生き生きするようになった。
「もう一人いる、か……」
フリックが低い声で呟いた。
「もしも、それが本当なら、今の殿下はもう一人の殿下を抑えつけて表に出ているということか……」
ありえない、荒唐無稽な話のはずなのに、頭ごなしに否定することが出来なかった。以前、ルティアと会えなくなった時に、ガルヴィードが生ける屍のようになったことが思い出されたからだ。あのままルティアが戻ってこなかったら、ガルヴィードは幼い頃のように笑わない人間になっていたかもしれない。
「そんなことがあるのか……魔法協会に知り合いがいるから、聞いてみようかな」
フリックは魔力値が高い。宰相の息子という立場から魔法協会に所属することはなかったが、一度見学に行ったことがあり、その際に出会った魔法使いとはたびたび連絡を取っている。魔法協会からはあの夢の後には何度か勧誘が来ていて、少しでも戦力を増強したいという意志をひしひしと感じる。
「連絡したらまた勧誘されそうで嫌だけど……」
「魔力値が高い奴は大変だねぇ」
溜め息を吐き出すフリックの肩を叩いて、エルンストが苦笑いを浮かべた。




