第3話 京都での接近戦
修学旅行、一日目。
清水坂の石畳の雑踏が五人を押し流すように続いていた。
律がぽつりと言った。
「これは『険地』であり『隘路』だ」
由奈が背後から律のシャツをがしっと掴む。
低い声で威嚇するように言った。
「はぐれるでしょ。リーダーなら足並み揃えなさいよ」
人波に揉まれて列はぎゅうぎゅう詰めだ。
気づけば朋美が陽人の真横に寄っていた。
肩が触れ合う。
ふわりとシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。
陽人は自分の呼吸が少し荒くなっていることに気づく。
顔が熱くなるのを感じる。
(これは、単なる息切れ……のはずだ)
揉みくちゃになった瞬間、朋美の手が陽人の手に触れた。
「これ、畑野さんの!?」
一瞬、時間が止まったように思えた。
陽人は慌てて手を引っ込める。
朋美は無表情のままだが、耳たぶが少しだけ赤い。
***
清水寺の入場券売り場で律が耳打ちする。
「さっきの坂での二人の密着度。
女子は生理的に無理な相手とのパーソナルスペース侵害を徹底的に避ける。
しかし、彼女の歩幅はお前に同期していた。
これは『行軍の合流』宣言だ」
由奈が鼻で笑う。
「ただの満員電車みたいなもんでしょ。
合流って――まったく、隊列訓練じゃないんだから」
音羽の滝は三筋に分かれている。
参拝者が順に柄杓を使って水を汲む。
由奈が言った。
「学業、恋愛、長寿に効くんだって」
朋美は真ん中の「恋愛」の水をすっと汲んだ。
「じゃあ、俺も畑野さん一緒の恋愛成就の水にしよっと」
永山は、ニンマリと笑って柄杓を恋愛の滝にのばす。
朋美の手がぴくりと止まる。
隣の陽人をちらりと見た後、残りの二つの水も立て続けに飲み干した。
律は小さく笑いながら解説する。
「『兵を形すの極みは、無形に至る』
今の彼女は永山の言葉をスルーしつつ、残りの二つを飲むことで『恋愛成就』をごまかした。
つまり、隠したい本命がいる……片思い確定のムーブだ」
陽人は半分冗談めかして言う。
「まさか、ただの欲張りなんじゃないの」
そう言いながら、左から順に柄杓の水を飲んでいく。
由奈が追い打ちをかける。
「あっ、全部飲むとご利益消えるんだって。
欲張りすぎはダメなんだってさ」
「えっ、先に言ってよ?」
陽人が絶望の声を上げる。
朋美が口角をわずかに上げて「くすっ」と笑う。
陽人の心拍数が跳ね上がる。
***
境内の土産店。
陽人は小さな白い狐のキーホルダーを手に取る。
朋美が横から覗き込み、意味ありげに言った。
「へえ、風見ってこういうかわいい系が好きなんだ」
陽人は照れ隠しに「いいだろ、別に……」と返す。
永山が財布を取り出して乱入する。
「それ、気に入ったの? 俺がプレゼントするよ」
「いい。欲しいものは、自分で買うから」
朋美は即座に首を振り、そのまま店の奥へ向かった。
律が囁くように言った。
「聞いたか? 敵からの補給を断った。
これは明確な拒絶。
そして、お前が買ったものにだけ興味を示した」
「だから、何?」
「『天下の兵を役する者は利を以てなす』
同じものを持ちたいという欲求――つまり、お前の援軍になりたいんだ」
「でも、買わないであっちに行ったよ」
陽人は、キーホルダーを指で突いてみる。
白い狐が小さく揺れて、少しだけ寂しげに見えた。
***
産寧坂の石段。
下るとき、陽人が段差に足を取られて大きくよろけた。
「わっ!」
次の瞬間、朋美が彼の制服の腕を、がしっと掴んで引き寄せた。
息が頬にかかる。
体が一瞬、動かなくなる。
朋美の目が、少し怯えているように見える。
「風見、大丈夫だった?」
「あ、ありがと」
陽人は、朋美の過剰な反応に戸惑う。
「ここで転ぶと、大変だから」
朋美は、腕を掴んだままだった。
陽人が小声で言う。
「……あの、畑野さん、もう平気だから」
その言葉に彼女はハッとして、弾かれたように手を離した。
少し照れたように、そして逃げるように先を歩いていく。
陽人はその背中を見送りながら、自分の胸の高鳴りが収まらないことを確かめていた。
律が即座に分析する。
「『疾きこと風の如し』
今の素早い反応速度を見たか?
意識していない相手の危機に、あそこまで反射的に体は動かない。
あれはお前を『観測』していた証拠だぞ」
「……たまたま隣にいただけだよ。
それより、大変なことって何?」
由奈が不敵に笑う。
「ここで転ぶと、三年後に死ぬってやつね」
「まさか、迷信だろ?」
陽人は引きつった笑いを返す。
「じゃあ、試しに転んでみる?」
陽人は激しく首を振った。




