第二十七話 望まれぬ守護者
深夜、ハーコート家の別邸に設置された通信機がけたたましく鳴り響いた。
それは、表の公的な依頼ではない。裏の、それも緊急を要する処理の合図だ。
「……嫌な予感がしてたんだ」
センリは寝癖のついた髪をかきむしり、受話器を取った。
短いやり取りの後、彼は受話器を叩きつけるように戻し、既に気配を察してリビングに降りてきていた二人を見た。
「二人とも着替えて。……仕事だよ」
その声の低さに、ウルリカとアレクセイの顔色が変わる。
センリは懐から一枚の書類を取り出した。『アーティファクト譲渡同意書』。
これまでの仕事で何度も使ってきた、ユースティティアの天秤による強制執行の切り札だ。
「場所はカニング子爵邸。……アーティファクトが暴走した」
***
現場となった子爵邸の広間は、既に半壊していた。
シャンデリアは砕け散り、高価な調度品が木片となって散乱している。
その中心で暴れ回っているのは、銀の巨体を持つ鎧の人形――『永劫の守護騎士』だった。
「来ないで!」
逃げ惑う使用人たちを庇うように、ウルリカが滑り込む。
今夜の彼女は、夜会帰りを装ったドレス姿だ。動きにくい装飾をものともせず、守護騎士の振り下ろした巨大な剣を、自らの剣で受け止める。
「チッ、重いな!」
鋭く火花が散る。人間離れした膂力だが、ウルリカの表情は険しい。
「おいセンリ! 壊していいのか!?」
「駄目だ!」
叫んだのはセンリではない。安全圏である二階のバルコニーから見下ろしている、この屋敷の当主である子爵だった。
「あれは我が家の守護神だ! 傷一つ付けるな! 鎮めろ、元通りにしろ!」
「……そうか」
ウルリカは忌々しげに吐き捨て、追撃をバックステップでかわした。
守りながら戦う。それも、敵を傷つけずに。それは戦士にとって、最も過酷な条件だ。
「アレクセイ、承認コードリブラ、第二種限定解除! ウルリカを援護!」
「分かった!」
物陰に隠れ、従者の服を着たアレクセイが緑の瞳で騎士を見すえる。
彼は右手をかざし、暴走する守護騎士を抑えながらその構造を読み解こうとしていた。
(……軋んでる)
アレクセイの脳内に、ノイズ混じりの機械音声が響いてくる。
『守れ、守れ、家族を……永遠に』
その核にあるのは、かつての魔術師が込めた純粋な祈りだ。この家がいつまでも繁栄するように。誰も欠けることがないように。
だが、その永遠への願いが、時を経て呪いへと変質していた。
代替わりした当主、成長し、老い、変わっていく家族や使用人。それらを正しく認識できず、家の異物として排除しようとしているのだ。
(これを壊すの? ……この祈りを?)
アレクセイの手が震えた。
この騎士を破壊することは、あの時の――ウルリカの意志を無視して理想を強いた自分と、同じ過ちを犯すことではないのか?
「センリ……」
「……チッ」
アレクセイが判断を仰ぐと、センリは短く舌打ちをした。アレクセイを責めるつもりはない。彼は騎士の動きを止め、ウルリカを助けている。
苛立つのは、決断できない自分に対してだ。
思わず懐の同意書を握りしめる。これを使えば、強制的に機能を停止させ、没収することができる。
だが、今のセンリには、それが正解だとは思えなかった。
あの時計塔で見た、アウレウスの姿が脳裏をよぎる。
彼は壊れゆく道具を看取っていた。それに比べて自分はどうだ?
権威という看板を使って、ただ問題を先送りにし、彼らの誇りを奪って管理下に置くだけではないのか?
(ユースティティアの天秤という看板がなければ、俺は……)
その迷いが、指揮に一瞬の遅れを生んだ。
守護騎士が咆哮を上げ、標的を変える。その視線の先にいたのは、逃げ遅れた子爵夫人だった。
「危ない!」
ウルリカが叫び、飛び込む。
だが、間に合わない。銀の刃が夫人に迫る。
「やめろ! 騎士を守れ!」
当主が叫んだ。
妻の命よりも、アーティファクトの価値を優先したその言葉が、広間に響いた。
その瞬間。
「……もう、いい」
震える声がした。
腰を抜かしていた夫人が顔を上げた。その瞳にあったのは恐怖ではない。長年、この守護神という名の重圧に耐え続けてきた者の、限界を超えた絶望と怒りだった。
「もういい! 終わらせて! そんなガラクタ、もういらない!」
夫人の叫びが、広間の空気を引き裂いた。
「私たちを縛るのはもうやめて!」
それは、サロンで聞いた多くの女性たちの本音であり、ウルリカが知る檻の中の住人の叫びだった。
その悲痛な声は、迷っていた二人の男を置き去りにし、一人の戦士に届いた。
「……了解!」
ウルリカは笑った。
迷いは消えた。彼女は今貴族の命令ではなく、一人の女性の願いを聞いたのだ。
「アレクセイ! 核はどこだ!」
「……っ! 胸部中央、赤い輝石の裏!」
アレクセイもまた、覚悟を決めて叫んだ。
保存か破壊か。その答えを出すのは自分ではない。今を生きる彼女たちだ。
ウルリカが床を蹴る。
ドレスの裾が花のように開き、銀の閃光が走った。琥珀の瞳は真っ直ぐに騎士を見つめ、穿つべき場所を狙い定める。
「時代遅れなんだよ!」
渾身の一撃が、騎士の胸部を貫いた。
金属がひしゃげる音と共に、赤い光が砕け散る。
巨体が揺らぎ、膝をついた。
『……ま、も……りを…………』
壊れたレコードのような音声を残し、永劫の守護騎士は完全に沈黙した。
広間に静寂が戻る。
「あ、ああ……宝が……我が家の誉れが……」
当主が崩れ落ち、瓦礫の山となったアーティファクトを見て嘆く。センリはその横を通り過ぎ、ウルリカとアレクセイの元へと歩み寄った。
懐から取り出しかけていた同意書を、くしゃりと握り潰してポケットに戻す。
「……行くぞ」
「処理は?」
「必要ない。……終わったんだ」
センリは震える夫人を一瞥した。彼女は夫ではなく、壊れた人形を見つめ、涙を流していた。それは恐怖の涙か、安堵の涙か。
少なくとも、彼女はもう守られる必要はない。
帰りの車内では、重苦しい沈黙が流れていた。
勝利の祝杯などない。ただ、苦い余韻だけが残る夜だった。
「……アレクセイ」
「なに?」
「痛かったか?」
ウルリカが、膝の上で自分の手を握りしめているアレクセイに問うた。
アレクセイは小さく首を振った。
「いや。……でも、少しだけ。あの子の最期の声が、聞こえた気がしたよ」
センリはハンドルを握りながら、バックミラーで二人を見た。
前とは違う。
以前なら、同意書という紙切れで解決したつもりになっていた。
だが今夜は自分たちの意志で選び、壊した。
これはアウレウスの言うゴミ拾いと同じ行為なのだろうか。
(……俺たちは、どこへ向かっているんだろうな)
センリの問いかけに答える者はいない。
車は夜の闇を切り裂き、ただ静かに走り続けた。




