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ユースティティアの天秤―均衡の番人は揃わない―  作者: 野塩いぜ
第三章 仮面の舞台と銀の刃

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第二十七話 望まれぬ守護者

 深夜、ハーコート家の別邸に設置された通信機がけたたましく鳴り響いた。

 それは、表の公的な依頼ではない。裏の、それも緊急を要する処理の合図だ。


「……嫌な予感がしてたんだ」


 センリは寝癖のついた髪をかきむしり、受話器を取った。

 短いやり取りの後、彼は受話器を叩きつけるように戻し、既に気配を察してリビングに降りてきていた二人を見た。


「二人とも着替えて。……仕事だよ」


 その声の低さに、ウルリカとアレクセイの顔色が変わる。

 センリは懐から一枚の書類を取り出した。『アーティファクト譲渡同意書』。

 これまでの仕事で何度も使ってきた、ユースティティアの天秤による強制執行の切り札だ。


「場所はカニング子爵邸。……アーティファクトが暴走した」


***


 現場となった子爵邸の広間は、既に半壊していた。

 シャンデリアは砕け散り、高価な調度品が木片となって散乱している。

 その中心で暴れ回っているのは、銀の巨体を持つ鎧の人形――『永劫の守護騎士』だった。


「来ないで!」


 逃げ惑う使用人たちを庇うように、ウルリカが滑り込む。

 今夜の彼女は、夜会帰りを装ったドレス姿だ。動きにくい装飾をものともせず、守護騎士の振り下ろした巨大な剣を、自らの剣で受け止める。


「チッ、重いな!」


 鋭く火花が散る。人間離れした膂力だが、ウルリカの表情は険しい。


「おいセンリ! 壊していいのか!?」

「駄目だ!」


 叫んだのはセンリではない。安全圏である二階のバルコニーから見下ろしている、この屋敷の当主である子爵だった。


「あれは我が家の守護神だ! 傷一つ付けるな! 鎮めろ、元通りにしろ!」

「……そうか」


 ウルリカは忌々しげに吐き捨て、追撃をバックステップでかわした。

 守りながら戦う。それも、敵を傷つけずに。それは戦士にとって、最も過酷な条件だ。


「アレクセイ、承認コードリブラ、第二種限定解除! ウルリカを援護!」

「分かった!」


 物陰に隠れ、従者の服を着たアレクセイが緑の瞳で騎士を見すえる。

 彼は右手をかざし、暴走する守護騎士を抑えながらその構造(こころ)を読み解こうとしていた。


(……軋んでる)


 アレクセイの脳内に、ノイズ混じりの機械音声が響いてくる。


 『守れ、守れ、家族を……永遠に』


 その核にあるのは、かつての魔術師が込めた純粋な祈りだ。この家がいつまでも繁栄するように。誰も欠けることがないように。

 だが、その永遠への願いが、時を経て呪いへと変質していた。

 代替わりした当主、成長し、老い、変わっていく家族や使用人。それらを正しく認識できず、家の異物として排除しようとしているのだ。


(これを壊すの? ……この祈りを?)


 アレクセイの手が震えた。

 この騎士を破壊することは、あの時の――ウルリカの意志を無視して理想を強いた自分と、同じ過ちを犯すことではないのか?


「センリ……」

「……チッ」


 アレクセイが判断を仰ぐと、センリは短く舌打ちをした。アレクセイを責めるつもりはない。彼は騎士の動きを止め、ウルリカを助けている。


苛立つのは、決断できない自分に対してだ。


 思わず懐の同意書を握りしめる。これを使えば、強制的に機能を停止させ、没収することができる。

 だが、今のセンリには、それが正解だとは思えなかった。

 あの時計塔で見た、アウレウスの姿が脳裏をよぎる。

 彼は壊れゆく道具を看取っていた。それに比べて自分はどうだ?

 権威という看板を使って、ただ問題を先送りにし、彼らの誇りを奪って管理下に置くだけではないのか?


(ユースティティアの天秤という看板がなければ、俺は……)


 その迷いが、指揮に一瞬の遅れを生んだ。

 守護騎士が咆哮を上げ、標的を変える。その視線の先にいたのは、逃げ遅れた子爵夫人だった。


「危ない!」


 ウルリカが叫び、飛び込む。

 だが、間に合わない。銀の刃が夫人に迫る。


「やめろ! 騎士を守れ!」


 当主が叫んだ。

 妻の命よりも、アーティファクトの価値を優先したその言葉が、広間に響いた。

 その瞬間。


「……もう、いい」


 震える声がした。

 腰を抜かしていた夫人が顔を上げた。その瞳にあったのは恐怖ではない。長年、この守護神という名の重圧に耐え続けてきた者の、限界を超えた絶望と怒りだった。


「もういい! 終わらせて! そんなガラクタ、もういらない!」


 夫人の叫びが、広間の空気を引き裂いた。


「私たちを縛るのはもうやめて!」


 それは、サロンで聞いた多くの女性たちの本音であり、ウルリカが知る檻の中の住人の叫びだった。

 その悲痛な声は、迷っていた二人の男を置き去りにし、一人の戦士に届いた。


「……了解!」


 ウルリカは笑った。

 迷いは消えた。彼女は今貴族の命令ではなく、一人の女性の願いを聞いたのだ。


「アレクセイ! 核はどこだ!」

「……っ! 胸部中央、赤い輝石の裏!」


 アレクセイもまた、覚悟を決めて叫んだ。

 保存か破壊か。その答えを出すのは自分ではない。今を生きる彼女たちだ。

 ウルリカが床を蹴る。

 ドレスの裾が花のように開き、銀の閃光が走った。琥珀の瞳は真っ直ぐに騎士を見つめ、穿つべき場所を狙い定める。

 

「時代遅れなんだよ!」

 

 渾身の一撃が、騎士の胸部を貫いた。

 金属がひしゃげる音と共に、赤い光が砕け散る。

 巨体が揺らぎ、膝をついた。


『……ま、も……りを…………』


 壊れたレコードのような音声を残し、永劫の守護騎士は完全に沈黙した。

 広間に静寂が戻る。


「あ、ああ……宝が……我が家の誉れが……」


 当主が崩れ落ち、瓦礫の山となったアーティファクトを見て嘆く。センリはその横を通り過ぎ、ウルリカとアレクセイの元へと歩み寄った。

 懐から取り出しかけていた同意書を、くしゃりと握り潰してポケットに戻す。


「……行くぞ」

「処理は?」

「必要ない。……終わったんだ」


 センリは震える夫人を一瞥した。彼女は夫ではなく、壊れた人形を見つめ、涙を流していた。それは恐怖の涙か、安堵の涙か。

 少なくとも、彼女はもう守られる必要はない。


 帰りの車内では、重苦しい沈黙が流れていた。

 勝利の祝杯などない。ただ、苦い余韻だけが残る夜だった。


「……アレクセイ」

「なに?」

「痛かったか?」


 ウルリカが、膝の上で自分の手を握りしめているアレクセイに問うた。

 アレクセイは小さく首を振った。


「いや。……でも、少しだけ。あの子の最期の声が、聞こえた気がしたよ」


 センリはハンドルを握りながら、バックミラーで二人を見た。

 前とは違う。

 以前なら、同意書という紙切れで解決したつもりになっていた。

 だが今夜は自分たちの意志で選び、壊した。

 これはアウレウスの言うゴミ拾いと同じ行為なのだろうか。


(……俺たちは、どこへ向かっているんだろうな)


 センリの問いかけに答える者はいない。

 車は夜の闇を切り裂き、ただ静かに走り続けた。


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