幕間 ファインダー越しの魔法
その日、アレクセイは一人で街を歩いていた。
センリとウルリカは面倒な書類仕事に追われており、「適当に散歩でもしてていいよ」と小遣いを渡されたのだ。
行き交う自動車、色とりどりの看板。森の静寂しか知らなかった彼にとって、外の世界の喧騒はまだ少しだけ情報量が多すぎる。
『ピロンッ』
不意に、ポケットの中で電子音が鳴った。
天秤から持たされている職員用の通信端末。不器用な手つきで画面を開くと、先日連絡先を交換したばかりのヒューゴから短いメッセージと写真が届いていた。
【よう、古書店の常連さん! 今日も街をウロウロしてんのか?】
添えられた写真には、広場の噴水とその前に立つアレクセイの後ろ姿が写っている。
「えっ」
アレクセイが驚いて顔を上げ、きょろきょろと周囲を見回す。
すると、噴水の向こう側にあるオープンカフェのテラス席から、ラフなジャケットを着た青年が大きく手を振っていた。
「よお、アレクセイ! 奇遇だな!」
「ヒューゴ……。びっくりした。いつの間に僕の背中を?」
「今さっきだよ。お前、相変わらず隙だらけだなあ。スリに遭うぞ」
ヒューゴは笑いながら駆け寄ってくると、首から提げた黒い機械――カメラをポンと叩いた。
「すごい。……ねえ、これって新しいアーティファクト?」
「は?」
「だって、今、僕が噴水を見ていた時間を一瞬だけ切り取って、それを僕のスマホに飛ばしてきたんでしょう? 遠隔操作の魔法だね」
アレクセイが純粋な尊敬の眼差しを向けると、ヒューゴは目を丸くした後、腹を抱えて大笑いし始めた。
「あっははは! お前、どこの田舎から来たんだよ! 魔法や呪いじゃねえよ。このカメラで撮ったデジタルデータを、無線でスマホに転送しただけだ!」
「でじたる……むせん……」
「ほら、貸してやるよ。首から提げてみろ」
ヒューゴは笑い過ぎて出てきた涙を拭いながら、自分のカメラのストラップをアレクセイの首にかけてやった。ずしりとした金属の重みが伝わってくる。
「モニターを見るのもいいけどさ。そこの上の小さい窓から覗いてみろよ。四角い枠が見えるだろ? それが、お前の見ている世界だ」
言われた通りに、アレクセイはファインダーに目を当てた。
瞬間、彼は小さく息を呑んだ。
アレクセイの魔術師としての目には、普段あまりにも多くのものが見えすぎている。人々の生命力の揺らぎ、空間に満ちる魔力の粒、遠くで囁き合うようなアーティファクトの微かなノイズ。世界は広すぎて、境界線がなくて、いつだって彼を飲み込もうとする。
だが、この小さな四角い枠を通すと。
余計な情報がすべてブラックアウトし、自分の見たいもの――今なら、噴水の縁で欠伸をしている一匹の野良猫だけに、世界が切り取られてピントが合うのだ。
「……なんだか、すごく安心する。世界が、少しだけ小さくて優しくなったみたい」
「へえ、面白い感想だな。大抵の奴は『窮屈だ』って言うのに」
ヒューゴは面白そうに笑い、「シャッターボタン、半押ししてピント合わせてから押し込んでみろ」と促した。
カシャッ、と小気味良い電子的な駆動音が鳴る。
「よし、上出来だ。お前、スジがいいかもな」
「ヒューゴのその箱……すごくかっこいいね」
アレクセイがカメラをそっと返すと、ヒューゴはそれを愛おしそうに撫でた。
「貴族の隠し事とか、大きな組織の汚いやり口とかさ……。世界には、見え透いた嘘がいっぱい溢れてる。俺には権力も魔法みたいな力もないけど、こいつで真実を切り取って、ネットを通じて世の中に突きつけるのが、俺の戦い方なんだ」
ヒューゴの目は、少しだけ真剣だった。
アレクセイは、彼が真実を暴くという強い意志を持っていることに胸を打たれた。同時に、自分が魔術師であるという隠し事をしていることに、心臓がチクリと痛む。
「ヒューゴの戦い方……僕、すごく好きだな」
アレクセイが真っ直ぐに見つめてそう言うと、ヒューゴは少し照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
「……お前、なんか変な奴だけど、いい奴だな! よし、ダチの印に奢ってやる。あそこの屋台でホットドッグ食いに行くぞ!」
「ほっとどっぐ?」
「食べたことないのか!? 人生損してるぜ、ほら行くぞ!」
ヒューゴに肩を組まれ、アレクセイは引っ張られるように歩き出した。
ただの人間同士としての、何の打算もない温かい関係。
(帰ったら、センリとウルリカに言おう。友達ができたよ、って)
普通の世界の人間との時間は、不器用な魔術師の心に新しい光を記録していた。
本日2話投稿です。20時10分に27話を投稿予定します!




