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ユースティティアの天秤―均衡の番人は揃わない―  作者: 野塩いぜ
第三章 仮面の舞台と銀の刃

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第二十四話 路地裏の批評家

 キィン、と高く澄んだ音が地下室に響き、そして消えた。

 まるで昂ぶっていた神経が鎮まるように、目の前の巨大な機械――ハーコート家の管理するアーティファクトのひとつである『星読みの秤』が、穏やかな寝息のような駆動音へと変わる。


「……終わりました、シビルさん」


 アレクセイが額の汗を拭いながら振り返ると、壁にもたれて腕を組んでいたシビル・ハーコートが、氷のような無表情でこちらを見下ろしていた。


「予定より十五分早いわね。……まあ、及第点よ」

「銀時計より状態は良かったです。ただ、部品の摩耗が少し気になります。次回のメンテナンスでは交換が必要かもしれません」

「必要なら手配するわ。貴方はただ、その手を動かせばいいの」


 シビルはカツカツと歩み寄ると、アレクセイには目もくれずにガラスケースへと手を伸ばす。アーティファクトの影響を抑えるために傷つき、痛々しく変色した指を這わせる。愛おしそうにも、憎らしそうにも、どちらにも見える手つきだった。


「アーティファクト達は我が家そのもの。……貴方のような他所(よそ)の人間に触らせるのは不本意だけれど、背に腹は代えられないものね」

「……ええ、そうですね」


 アレクセイは穏やかに微笑んで返した。

 彼女の言葉には刺がある。だが、その根底にあるのは、アーティファクトを管理することへの執着と、それができなくなっている現状への焦燥だ。

 彼女たち貴族にとって、アーティファクトは権力の源泉であり、同時に首を絞める鎖でもある。そうセンリが言っていた。


「報酬はセンリに振り込んでおくわ。……さっさと行きなさい。カビ臭い空気が入る」


 シビルは手で払うような仕草をした。

 アレクセイは一礼し、重荷を下ろした安堵感と共に、冷たい地下室を後にした。


***


 屋敷を出ると、空は茜色に染まり始めていた。

 冷たい貴族の空気から解放され、アレクセイは大きく息を吸い込む。

 今日はセンリもウルリカも別行動だ。まっすぐ帰るのもいいが、少しだけ寄り道がしたい気分だった。

 足が向いたのは、先日見つけた路地裏の古書店『銀の栞』だ。

 古びた木のドアを押し開けると、カランコロンと乾いたベルの音が鳴る。

 インクと古い紙の匂い。静寂に包まれた空間――のはずだった。


 カチャカチャカチャカチャッ!


 静謐な書架の奥から、けたたましい音が響いてきた。タイプライターではない。もっと軽く、硬質なプラスチックを叩く音だ。

 カウンターの奥を覗き込むと、店主の好々爺はいなかった。

 代わりに座っていたのは、ヘッドフォンを首にかけ、ノートパソコンに向かって猛烈な勢いでキーボードを叩いている青年だった。


「――よし、脱稿! 送信完了!」


 青年は「っしゃあ!」と両手を突き上げ、回転椅子を勢いよく回した。その拍子に、カウンターに積まれていた本の山が雪崩を起こす。


「わっ、ととと」

「……大丈夫?」

「おっと、いらっしゃい! 悪いね、ちょっと取り込み中でさ」


 青年は慌てて本を積み直しながら、人懐っこい笑顔を向けた。

 癖のある赤い髪に、好奇心で輝く大きな目。アレクセイと同年代に見えるが、纏っている空気はずっと騒がしい。


「じいちゃん――店長なら今は出かけてるよ。本の買取依頼だってさ。俺は留守番兼、執筆中ってわけ」

「そうなんですか。……あ、その本」


 アレクセイは、青年が積み直した本の一冊に目を留めた。『名もなき騎士の航海』の続編だ。

 青年は「お?」と眉を上げた。


「これに目をつけるなんて、あんた中々渋いね! これ、じいちゃんのイチオシなんだよ。売れないけど名作ってやつ」

「前作を読んでとても好きになって」

「そっか、いいセンスだ。あんた名前は? 俺はヒューゴ・ターナー、しがない物書きさ」


 ヒューゴと名乗った青年は、ニッと白い歯を見せた。


「僕はアレクセイ。ヒューゴは物書きって言うと……小説家?」

「いやいや、もっと俗な仕事さ。Webニュースのライターだよ。ゴシップから都市伝説まで、クリック数が稼げるなら何でも書く」


 ヒューゴは悪びれもせず言い、手元のタブレット端末をアレクセイに向けた。

 画面には、派手な見出しの記事が表示されている。


『世紀の怪盗アウレウス、次なる標的は貴族の正義か!?』

「アウレウス……」

「知ってるだろ? 今一番ホットなネタだよ。神出鬼没、変幻自在。警察の包囲網なんて紙切れみたいに破り捨てて、お宝を頂戴する現代の魔術師さ」


 ヒューゴは熱っぽく語り出した。その瞳は、スクープを追う記者というよりは、ヒーローに憧れる少年のようだ。


「でも、最近のアウレウスはちょっと違うんだ。これまでは悪徳商人や成金がターゲットだった。不正に手にしたアーティファクトなんかを奪う、義賊ってやつだね。だから大衆にウケた」

「……今は違うの?」

「ああ。今回の予告状、相手は男爵家だ。それも表向きは清廉潔白で通っている、由緒ある家柄さ」


 ヒューゴは声を潜め、まるで国家機密でも明かすかのように身を乗り出した。


「おかしいと思わないか? 義賊が、罪のない貴族を狙うなんて」

「……そうだね。彼が悪党でないなら、理由があるはず」

「その通り! 俺の仮説はこうだ。その男爵家は、実はクロなんじゃないかってね」


 ヒューゴは指先でタブレットを操作し、地図アプリを開いた。そこには赤いピンがいくつも立っている。


「ここ半年で起きた、原因不明のガス爆発、謎の振動、急な局地的停電。……全部、貴族の屋敷の近くなんだよ」

「……」

「公式発表は設備の老朽化。でも、ネットじゃみんな噂してる。あれはアーティファクトの暴走だ、ってね」


 アレクセイは息を呑んだ。この快活な青年は、無邪気に笑いながら核心を突いている。

 シビルたちが必死に隠している管理不全の事実が、一般市民の間では公然の秘密になりつつあるのだ。


「貴族が偉そうにしていられるのは、危険なアーティファクトをその屋敷で管理して、俺たち市民を守ってるっていう『契約』があるからだろ? でもさ、もし彼らが管理しきれなくなってるなら……あるいは、その力を隠蔽に使ってるなら」


 ヒューゴはそこで言葉を切り、コーヒーを一口飲んだ。


「俺たちが彼らに頭を下げる意味って、なんだろうな?」


 その問いかけは、軽く、しかし鋭利なナイフのようにアレクセイの胸に刺さった。

 管理できない力を持つ者は、支配者ではなく――ただの爆弾を抱えた隣人だ。

 アウレウスはそれを暴こうとしているのかもしれない。暴走する前に、その手から危険な玩具を取り上げるために。


「……よく見てるね」


 アレクセイがぽつりと呟くと、ヒューゴはキョトンとして、それから照れくさそうに鼻を擦った。


「へへ、商売道具だからな。……しかしあんた面白いね。普通の奴は陰謀論だろって笑うのに」

「……そうなの?」

「そうだよ! おいアレクセイ、連絡先交換しようぜ。もっといろいろ話したいんだ」


 ヒューゴはスマホを出して連絡用アプリを開く。早く、と急かすその強引さは、シビルの冷徹な命令とは違う。土足で踏み込んでくるが、そこには温かい体温があった。


「いいネタがあったら教えてくれよな。情報源は秘匿するからさ!」

「うん、分かった」


 アレクセイは苦笑しながら自分の職員用端末を取り出し、覚束ない手つきで連絡先を受け取った。

 画面には「Hugo」という文字と、陽気なサングラスをかけたアイコンが光っている。それがセンリとウルリカ以外に手にした、初めての名前だった。


***


 店を出ると、街はすっかり夜の帳に包まれていた。

 見上げる空には星。だが、地上の街明かりは、それ以上に眩しく輝いている。

 この光の下で、多くの人々が貴族の庇護を信じ、あるいは疑いながら暮らしている。


(管理しきれない力と、それを暴く怪盗、か……)


 アレクセイは購入した本を抱え直した。

 センリとウルリカは今、管理する側の闇に潜ろうとしている。そして自分は、その狭間で揺れている。

 ポケットに入れた端末の重みが、少しだけ心地よかった。

 新しい友人の、インクと電子の匂いがする言葉を反芻しながら、アレクセイは二人の待つ家へと歩き出した。


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