表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ユースティティアの天秤―均衡の番人は揃わない―  作者: 野塩いぜ
第二章 忠犬の枷と自由の根

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/43

第十八話 天秤の裁定

「チッ、軽すぎる! 爪楊枝かこれは!」


 ウルリカが悪態をつきながら切っ先を返した。

 彼女の手にあるのは護身用の短剣だ。普段、身の丈ほどある大剣を振るう彼女にとって、その刃はあまりに頼りなく、そして短い。


 一方で、会場はパニックに陥っていた。

 悲鳴と怒号。先ほどまで優雅に談笑していた紳士淑女たちが、我先にと出口へ殺到する。

 車椅子のエドワードが、逃げ惑う人波に押されてバランスを崩しかけていた。


「ひ、ひぃ……! 怪物が!」


 彼は恐怖に引きつった顔で、アレクセイを指差して叫んだ。

 ついさっきまで、孫と遊びたいと微笑みかけてくれた老人だ。その彼が今、アレクセイをこの世で最も忌まわしいものを見る目で見ている。

 アレクセイが息を呑み、手を伸ばしかけて――力なく下ろした。今の自分は、彼らにとって悪夢そのものだ。


「お客様を避難させろ! 我々が盾になる!」


 警備会社の強化兵たちが叫び、一糸乱れぬ連携でウルリカを壁際へと追い詰めていく。彼らの目的は、スポンサーたちを悪魔から遠ざけることだ。

 彼らの動きは研ぎ澄まされており、何より重い。


「社長の夢を汚すな!」


 兵士の一人が、人間離れした跳躍でウルリカの頭上を取る。

 殺すわけにはいかない。だが、この数と速度を、手加減しながら制圧するのは至難の業だ。

 そのうえ下手に暴れれば、逃げ遅れているスポンサーたちに流れ弾が飛びかねない。ウルリカは舌打ちし、あえて目立つように大仰に動いた。


「……ジリ貧だな」


 後方で戦況を見ていたセンリが、冷静に判断を下した。


 「アレクセイ。彼女に重さを貸してやれ。殺さない程度の、とびきりのやつを」


 ウルリカの戦闘能力でも短剣での戦闘はもう限界だ。スポンサーが全員会場を出たことを確認し、センリはネクタイを緩めた。首筋にある天秤の紋章が赤く明滅する。


「承認コード『リブラ』。――限定解除、第二種。物理干渉を許可する」

「……分かった」


 アレクセイが指を振る。

 その指先から、目に見えない風の塊が、矢のようにウルリカへと飛んだ。


「ウルリカ、そのまま振って!」

「加減はできてるんだろうな!」


 ウルリカは叫びながらも、反射的に短剣を横薙ぎにした。

 本来なら、敵の鼻先数センチを空振るだけの間合い。

 だが。

 巨大な質量が空気を叩き潰すような、重低音が響き渡った。

 短剣の延長線上に圧縮された気圧の塊が、見えざる大剣となって顕現したのだ。

 襲いかかっていた兵士たちが、ボウリングのピンのようにまとめて吹き飛んだ。壁に叩きつけられ、強化された肉体が軋みを上げる。


「……なるほど」


 ウルリカは短剣を見つめ、ニヤリと口角を上げた。


「悪くない重さだ」


 彼女は再び剣を振るう。

 そこにあるのは刃ではない。空気のハンマーだ。

 斬るのではなく、叩き伏せる。ウルリカの最も得意とする大剣の間合いが、この狭いホールを支配した。

 次々と壁に張り付けられ、沈黙していく英雄志願者たち。

 数分と経たずに、立っているのはセンリたち三人だけになった。


 センリは、倒れた兵士たちを一瞥し、ステージへと歩み寄った。

 そこには、まだ二人の男女が立っている。

 エレナ・ワイズマンは、逃げる素振りすら見せていなかった。彼女は手元の端末を操作し、今の戦闘データを食い入るように見つめている。


「人類の進化が、魔術に汚されている……私たちが、技術で辿り着かないといけないのに」

「君の研究には意味と理想があるんだな、エレナ」


 センリは壇上に上がり、彼女と対峙した。


「だが、売り方が間違っている。未完成品を完成と偽って市場に流し、他人の命を実験の薪にするのは科学への冒涜だ。……人間への冒涜でもある」

「彼らは望んで買ったんだ!」


 ノアがエレナを庇うように前に立ち、血を吐くような声を上げた。

 そこに先ほどまでの洗練されたカリスマの面影はない。


「見ただろう! 彼らは自分の人生を賭けてでも、力を欲した! エドワードだってそうだ、孫と遊べるなら寿命なんていらないと言ったのは彼自身だ! ……全てを投げ打つ覚悟があったんだ!」

「ああ。だが君たちは、賭け金の正確な額を明示しなかった」


 センリは静かに告げる。


「それは商売じゃない。合意を装った詐欺だ」


 センリはノアが持っていた制御端末を取り上げると、迷わずそれを床に叩きつけ、革靴の踵で粉砕した。

 さらに、演台にあるメインコンソールへ歩み寄る。

 そこには、プロメテウス・テックの顧客データと、エレナの研究データが収められている。

 センリはキーボードを叩き、顧客リスト、銀行口座、裏社会の流通ルート――ノアが築き上げたビジネスの全てを消去していく。


「や、やめろ……!」


 ノアが顔面蒼白で叫ぶ。ウルリカが構えていなければ、今にも飛びかかってきそうなほど必死な形相だった。


「金が……スポンサーが消えたら、加速器も回せない! サーバーの維持費はどうする! 研究が止まる!」

「……」


 センリの手が、最後のフォルダ――『研究中枢』――の上で止まる。

 エレナが初めて端末から顔を上げ、息を呑んだ。

 これを消せば、プロメテウス・テックの技術は数十年後退する。

 だが、センリはそのフォルダには触れず、エンターキーを押した。

 消えたのは、金と顧客だけ。研究データは残された。


「……消さないの?」


 エレナが怪訝そうに問う。その冷たい瞳の奥に、初めて人間らしい動揺が走っていた。

 センリはコンソールから手を離し、エレナを見た。


「君の研究は続けていい」


 それだけ言って、センリは背を向けた。エレナは何か言おうとして、口を閉じた。

 エレナの人生から研究を奪う資格はない。ここまで己の肉体を削って積み上げた彼女の執念を、全て無に帰す気にはなれなかった。


「これからはユースティティアの天秤が監査を行う。未完成品が世に出ることは二度とない」

「……そんな」


 ノアが膝から崩れ落ちた。


「それではエレナの才能が、人類の進化が、数十年遅れてしまう……! エレナ、エレナ! その間に君の体も……!」


 金が惜しいのではない。彼の絶望は、崇拝するエレナが引きずり下ろされたことへ、そして彼女を救うための時間が失われたことへの嘆きだった。

 エレナは、泣き崩れるノアを見つめ――彼の肩にそっと触れた。


「……泣かないで、ノア。厳しいパトロンがついたけれど、ゼロに戻ったわけじゃないわ」


 彼女はセンリに、皮肉とも敬意とも取れる視線を送った。

 彼女の手元には研究の火が残った。だが、それを燃え上がらせるための薪はもうくべられない。


 会場では、気絶していた兵士たちが呻き声を上げ始めていた。

 夢から覚めた彼らは、強化された肉体がもたらす激痛と、夢の終わりの現実に直面することになるだろう。


「行こう」


 センリは背を向けた。

 その背中は、勝者と呼ぶにはあまりに苦々しかった。


「……僕たちが、壊したんだね」


 アレクセイが、壊れはてた会場の残骸を見つめて呟く。

 老人と、孫のささやかな夢。それを守るはずだったシステム。すべてが瓦解した。

 ウルリカは短剣を鞘に納め、乱れた髪をかき上げた。


「いいや。彼らが進むはずだった崖の手前で止めただけだ」


 ぶっきらぼうな彼女の言葉だけが、静まり返ったホールに響いた。

 センリたちは歩き出す。

 正義の天秤は、今日もまた、誰かの希望を削り取ることで水平を保っている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ