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ブラッディー・ムーン ~最凶の悪役令嬢、かぐや姫に転生する~  作者: しんいち
弐ノ章③

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月下の獣⑨

 鬼一の姿を認めた瞬間、若様の全身から力が抜けたのが分かった。

 

「……鬼一、さ……」

 

 安堵と混乱が混ざった声。

 その膝が折れかけるのを、私は即座に支えた。

 

「若様、気を抜かないで。まだ終わっていませんわ。」

 

 そう言いながら、私は若様を自分の背後へと下がらせる。

 玄斎と鬼一――二人の間に、割って入る気はない。

 

 これは、あの二人の戦いだ。

 

 夜気が張り詰める。

 殺気が、まるで獣の唸りのように空気を震わせていた。

 最初に口を開いたのは、玄斎だった。

 

「……お前、ワシが犯人だと気づいていたのか。」

 

 声は低く、怒りよりも――試すような響きを帯びている。

 鬼一は刀を肩に担いだまま、鼻で笑った。

 

「ああ。

 だから、ここにいるんじゃねえか。」

 

 それだけ。

 だが、その一言に含まれた確信が、場の空気を決定づけた。

 玄斎は、ふっと息を吐いた。

 

「ほう……」

 

 次の瞬間、玄斎の足が滑るように前へ出た。

 予備動作はない。

 まるで、思考と斬撃が同時に発生したかのような一太刀。

 

 ――速い。

 

 だが、鬼一は既にそこにはいなかった。

 

「師匠いつもと違うじゃねえか、初手から殺しに来るとはねぇ。」

 

 鬼一の声は、玄斎の斜め後方。

 刀と刀がぶつかり、乾いた金属音が夜に弾ける。

 

「ガキィン!」

 

 衝撃波が、私の頬を撫でた。

 若様が息を呑むのが背中越しに分かる。

 

 これが――本物の剣だ。

 

 玄斎の剣は無駄がない。

 鬼一の剣は、荒々しい。

 だが、荒いだけではない。

 玄斎の太刀筋を“知り尽くしている”剣。

 

 師弟。

 

 教えた者と、教えられた者。

 互いの癖、間合い、呼吸――

 すべてを承知した上で、殺しに来ている。

 

「鬼一……」

 

 玄斎が低く唸る。

 

「お前、まだそんな剣を振るっておるのか。

 それでは、いずれ死ぬぞ。」

 

「はっ」

 

 鬼一は踏み込み、横薙ぎを叩きつける。

 

「その“いずれ”を気にして生きてたら、

 今夜みてぇな真似は出来ねぇよ、師匠。」

 

 玄斎は紙一重で受け流し、返す刀で喉元を狙う。

 鬼一はそれを弾き、体ごと距離を取った。

 

 ……凄い。

 

 私でも、割って入れる隙がない。

 若様は、ただ呆然とその背中を見つめていた。

 無理もない。

 これは剣術ではない。

 殺し合いという名の対話だ。

 

「鬼一さま、玄斎殿……」

 

 若様はうわ言のように声を上げ、手を伸ばしながら二人を止めようとしている。

 

 そんな若様に私は首を振りながら小声で呼びかける。

 

「今は見ていなさい。

 あれは――あなたが踏み込む場所ではありません。」

 

 若様は唇を噛みしめ、黙って頷いた。

 その間にも、刃と刃が幾度となく交差する。

 

 鬼一が踏み込み、玄斎が捌く。

 玄斎が誘い、鬼一が噛みつく。

 どちらも、一歩も引かない。

 

 だが私は見ていた。

 ほんの僅か――

 

 玄斎の剣が、鬼一の剣を躊躇なく殺しに行っているのに対し。

 

 鬼一の剣は、どこか――

 最後の一線を、踏み越えていない。

 それが意味するものを、私は理解してしまった。

 

 だからこそ――

 この勝負は、長くは続かない。

 どちらかが、決断するまで。


 玄斎は、ふっと刀を下ろした。

 その仕草は、戦いの最中とは思えぬほど静かで――だからこそ、底知れぬ不気味さを孕んでいた。

 

 見下すような視線を鬼一へ向け、呆れたように吐き捨てる。

 

「……お主、迷いがあるのか。」

 

 鬼一の眉が僅かに動く。

 

「先程の攻防、ワシを斬れる機会が一度あったにも関わらず、切っ先が鈍りよった。

 その程度の覚悟では、ワシは斬れぬぞ。」

 

 玄斎は自らの胸を、どん、と叩いた。

 挑発――否、確信に満ちた断言。

 鬼一は小さく舌打ちすると、距離を取り、平正眼に構え直す。

 

 踏み込まず、急がず、ただ玄斎を見据えた。

 玄斎は、ゆっくりと鬼一の周囲を回り始める。

 

「本音を言おう。

 ワシはな……お主を斬ることを、ずっと考えておった。」

 

 その言葉に、空気が軋んだ。

 

「天才の剣に、凡人の剣が勝てる術を、じゃ。

 寝ても覚めても、それだけを考えて生きてきた。」

 

 玄斎の声は、どこか楽しげに鬼一に語りかける。

 

「そして辿り着いたのが、今のワシの剣術。

 天才を殺すためだけの剣――」

 

 一歩、また一歩。

 間合いを測りながら、玄斎は続ける。

 

「試したかったのじゃ。

 このまま衰え、誰にも継がせることなく死ぬのかと思っておったが……」

 

 そこで、玄斎は足を止めた。

 

「ようやく、願いが叶った」

 

 鬼一を真正面から見据え、告げる。

 

「鬼一よ。

 本気を出せ。

 ワシを殺さねば、その若者を殺す。」

 

 若様の肩が、びくりと震える。

 

「それにな……」

 

 玄斎は、わずかに口角を吊り上げた。

 

「ワシは、もう昔のワシではない。」

 

 正眼に構えた、その瞬間だった。

 ――瞳が、赤く光を帯びた。

 ぬらりとした異質な輝き。

 それは、先ほど見た“真白の目”と同じもの。

 だが――質が違う。

 

(……ああ)

 

 私は、確信していた。

 

(この人……堕ちていたのね。)

 

 人であることを捨て、力を選んだ目。

 もはや、戻れぬ場所に踏み込んだ者の眼。

 その瞳を見た鬼一は、ふっと構えを緩めた。

 短く息を吐き、どこか残念そうに呟く。

 

「……そうかい、師匠。

 なら、手加減はいらねぇな。」

 

 鬼一は刀を正面に掲げ、峰に左手を添えた。

 まるで祈るように――いや、誓うように。

 

「俺が、冥土に送ってやるよ。」

 

 低く、重い言霊が落ちる。

 

「――妖魔伏滅」

 

 その瞬間。

 鬼一の気配が、完全に変わった。

 空気が、重く沈む。

 全身から噴き上がる殺気は、もはや人のものではない。

 

 鬼の相。

 

 それこそが、鬼一の本性。

 平正眼に切り返した構えから放たれる圧力は、私の想像を遥かに超えていた。

 二人の間合いが、じり……じり……と縮まっていく。

 

 そして。

 

 玄斎が、一足一刀の間を踏み越えた。

 ――その瞬間を合図に。

 二人の、本気の殺し合いが、夜に解き放たれた。



 二人が踏み込んだ瞬間、世界が弾けた。

 

 ――ガキィンッ!!

 

 金属がぶつかる甲高い音が夜気を切り裂き、火花が月光を散らす。

 私の目が捉えたのは、剣と剣が交錯した残像だけだった。

 

 速い。

 いや、それだけではない。

 重い。

 

 玄斎の剣は、ただの斬撃ではなかった。

 一太刀ごとに「殺す」という意思が込められている。

 鬼一の首、喉、心臓――狙いは常に一点。

 

「――ッ!」

 

 鬼一は半身でかわし、刃を滑らせ、受け流す。

 真正面から打ち合わない。

 

 だが、玄斎は止まらない。

 踏み込み、切り上げ、返す刃。

 間髪入れぬ連撃。

 

 ――ガン、ガガンッ!

 

 鬼一が弾き、距離を取る。

 しかし、その瞬間を逃さず玄斎が詰める。

 まるで、鬼一の動きを先読みしているかのようだった。

 

(……教えている)

 

 私は気づいた。

 玄斎は、いまだに――

 剣で教えているのだ。


 殺すための剣。

 生き残るための剣。

 すべてを、弟子に叩き込むかのように。

 

 鬼一の肩口を、刃が掠める。

 血が飛ぶ。

 それでも鬼一は表情を変えない。

 次の瞬間、鬼一が踏み込んだ。

 

 ――ズンッ!!

 

 地を踏み抜く音。

 重心を低く落とし、渾身の一太刀を振るう。

 玄斎はそれを、紙一重で避けた。

 

「甘い!」

 

 反撃の横薙ぎ。

 鬼一は体を沈め、刃の下を潜る。

 その距離、ほぼ零。

 互いの息遣いが聞こえるほどの近さで、二人は刃を打ち合った。

 

 ――キン、キン、キン!!

 

 火花が弾け、夜が揺れる。

 木々が斬撃の余波で裂け、地面が抉れる。

 まるで、人ならざる者同士の戦い。

 私は、動けなかった。

 

(……別次元だわ。)

 

 二人を侮っていた。

道場で初めて剣を交えた鬼一に本気を出せば余裕で勝てると思っていた。

 玄斎に至っても、正直私は生き残るための剣『弱者の剣』と鼻で笑っていた。

  

 しかし、今この場に踏み込める者など、誰一人いない。

 達人同士の命の攻防に私は胸を踊らせていたのだ。

 

 やがて――

 

 鬼一の動きが、僅かに変わった。

 それまでの“受け”が消えた。

 

 一歩、下がる。

 

 そして、静かに間合いを切る。

 玄斎が訝しげに眉を動かす。

 

「……どうした、鬼一」

 

 鬼一は答えない。

 ゆっくりと、刀を下ろす。

 そして。

 

 ――カチリ。

 

 鞘に、刀を収めた。

 夜の音が、消えた。

 風が止み、虫の声すら遠のく。

 鬼一は、半身に構える。

 

 左手は鞘。

 右手は柄。

 

 視線は、玄斎だけを捉えている。

 

(……来るわね。)

 

 私は息を呑んだ。

 これは、今までの剣とは違う。

 技でも、型でもない。

 終わらせるための一刀。

 鬼一は低く、静かに告げた。

 

「……師匠」

 

 月光が、二人の間に落ちる。

 次の瞬間――

 世界は、再び斬り裂かれる。


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