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ブラッディー・ムーン ~最凶の悪役令嬢、かぐや姫に転生する~  作者: しんいち
弐ノ章③

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月下の獣⑧

 ――若様では、玄斎には勝てない。

 

 その結論が、冷たい刃のように胸を貫いた。

 

 私が加勢に入ろうと一歩踏み出した、その瞬間だった。

 背後から突き刺すような殺気を感じ、反射的に身を翻す。

 

 風を裂く音。

 

 真白が腕を大きく振りかぶり、私に向かって叩きつけてきていた。

 

「……しつこいわね。」

 

 低く吐き捨て、私はその大振りの一撃を紙一重でかわす。

 不思議なことに、胸の奥がざわついていた。

 苛立ちとも、焦燥ともつかぬ感情が、じわりと広がってくる。

 

 真白そのものは、決して強敵ではない。

 このなまくらな刀でも、十分に押し切れる相手だ。

 

 だが――無視できない。

 

 真白の回復力は異常だった。

 斬り裂いても、殴りつけても、傷は瞬く間に塞がり、何事もなかったかのように再び襲いかかってくる。

 

 そのタフさだけなら、バケ以上だ。

 だからこそ、若様に近づけるわけにはいかない。

 距離を保ち、牽制しながら削るしかない――だが、それでは若様の援護に入れない。

 

 歯噛みする思いが胸に渦巻いた。

 

 ――かつての私なら、違った。

 

 ゲームの世界にいた頃の私は、若様など迷いなく切り捨てていただろう。

 弱い者など、弾除けになればそれでいい。

 死ぬのが当然の存在。

 真白を倒すまでの、ほんのわずかな時間稼ぎ。

 そのあとで玄斎を仕留めれば、それで済む話だった。

 ……そう考えて然るべきだった。

 

 なのに。

 

 今の私には、それができない。

 胸の奥に、はっきりとした答えがあった。

 

 ――この苛立ちは、焦りだ。

 

 若様を殺されたくない。

 その感情が、私の判断を鈍らせ、心を乱している。

 そんな「余計な感情」に、私は腹を立てていた。

 同時に――

 その感情を、否定しきれない自分自身にも。


 ――とにかく、若様には踏ん張ってもらうしかない。

 

 そのためにも、先ず片付けるべき相手がいる。

 目の前で牙を剥く、この“女”だ。

 

 一瞬、思考が魔法へと傾いた。

 血を操り、即死に至らせる魔術――。

 

 ……否。

 

 脳裏で即座に却下する。

 上位魔法を発動すれば、掌に光の魔方陣が浮かび上がる。

 それは致命的だった。

 今はまだ、私が魔法を使えることを、誰にも知られてはならない。

 

 完全に仕留めるには時間がかかる。

 ならば、倒すのではなく――拘束。

 

 麻痺魔法バルジー

 拘束できるのは、長く見積もっても三分。

 三分では、玄斎を討つことは不可能だ。

 時間が足りない。

 

 ならば――選択肢は一つ。

 あの技しかない。

 身体の動きを封じる。

 さらに《バルジー》を重ねれば、かなりの時間を稼げるはずだ。

 

 だが、代償は大きい。

 あれは大技。

 一歩間違えれば、武器を失う――最悪、さらに時間がかかり若様は死ぬ。

 

 失敗は許されない。

 

 私は静かに息を整え、真白の動きを見据えた。

 ――先ずは、隙を作る。

 全ては、その一瞬のために。


 私は躊躇なく、刀で自らの掌を切り裂いた。

 滴り落ちる血を、そのまま刃へとなすりつける。

 

「――血よ、すべてを切り裂く刃となれ……」

 

 低く呟いた瞬間、血が脈打つように蠢いた。

 

 ――《ブラッディ・ソード》。

 

 血は刃に絡みつき、赤黒い光を帯びながら魔剣へと姿を変える。

 

 だが、以前バケに振るったそれとは違う。

 私は意図的に“硬度”を上げ、刃をより鋭く、より頑丈に練り上げた。

 さらに、もう一つ――見えぬ仕掛けを忍ばせる。

 

 これでいい。

 

 私は真白の爪撃を受け流し、時に刃で受け、時に体術でいなしながら、わずかずつ立ち位置をずらしていく。

 

 焦らせず、悟らせず。

 あくまで自然に、だが確実に。

 

 間合いを測り、呼吸を読み、無意識の癖を利用して――

 真白を、ある一点へと追い込んでいった。

 

 そして。

 

 背後の大木と、真白の身体が一直線に並んだのを見た瞬間。

 

 ――今。

 

 振りかぶって襲いかかる爪を、私は正面から刀で受け止める。

 金属音が夜気を裂いた刹那、溝内を狙って渾身の拳を叩き込んだ。

 

 衝撃に、真白の身体が前のめりに吹き飛ぶ。

 私は止まらない。

 追いすがるように踏み込み、跳躍。

 突き出た顎を狙い、右脚を叩き上げる。

 

 ――脳が揺れた。

 

 真白はよろめき、大木にもたれかかるように頭を振った。

 

 ……好機。

 

 私は一息に踏み込み、心臓を狙って抜き突きを放つ。

 本来なら鍔元で柄をずらし、長さを変えて止める技。

 

 だが――

 止めない。

 

 私は柄頭で制止せず、そのまま刀を“射出”した。

 

「グサッ」

 

 鈍く、生々しい音。

 刃は胸を貫き、真白の背中へ突き抜ける。

 終わりではない。

 私は即座に跳び、突き刺さった刀の柄頭へ――飛び蹴り。

 

 衝撃で刃はさらに押し込まれ、背後の大木へと突き刺さり、鍔元で止まった。

 

 鬼八流――

「《影縫い》」

 

「ウギャァァァァァァァッ!!」

 

 絶叫と共に、真白は胸の刀を引き抜こうともがく。

 だが、刃は微動だにしない。

 当然だ。

 抜けぬよう、細工を施してある。

 

 大木に刺さった瞬間、私の血は根のように木へと食い込み、刀を絡め取っている。

 硬度を高めた刃は、そう容易く折れもしない。

 

 逃げたいのなら――

 

 木を折るか、根こそぎ引き抜くしかない。

 ……無論、そんな時間は与えない。

 私は静かに詠唱した。

 

 ――血潮の奔流よ、今、鎮まれ。

「《バルジー》」

 

 麻痺の魔法が発動した瞬間、真白の身体が跳ねる。

 口をあんぐりと開いたまま、全身が痙攣し――やがて、動きを止めた。

 

 ……取りあえず、これでいい。

 私は一瞬も無駄にせず、踵を返す。

 

「さて……」

 

 次の相手は、一人しかいない。

 私は即座に、若様の方へと視線を向けた。


 若様は、わずかな時間にもかかわらず満身創痍だった。

 荒い息が夜気を裂き、衣の隙間からは幾筋もの血が滲んでいる。

 

 浅くはない。だが――致命にも至らぬ。

 

 玄斎の剣術。

 若様が相手であろうと、一切の油断を見せず、確実に削り取っていく。

 派手さはない。ただ、生き残るためだけに洗練された剣。

 

 ……それでも。

 おかしい。

 

 本来なら、もう止めを刺せたはずだ。

 それなのに玄斎は、なおも慎重に、若様へと刃を送っていた。

 

「時丸殿、諦めてはなりませぬぞ。」

 

 低く、諭すような声。

 

「相手をよく見て、捌き、呼吸、間合い、太刀筋を読む。

 先ほどの捌きは見事でしたが……今は諦めが太刀筋に出ております。

 それでは――生き残れませぬ。」

 

 その光景に、私は息を呑んだ。

 道場で、幾度となく目にした光景。

 玄斎が若様に剣を教えていた、あの稽古と――まるで同じ。

 

 ……違う。

 

 これは稽古ではない。

 だが、玄斎は――

 実戦の最中ですら、“教えて”いるのではないか?

 その既視感が、一瞬だけ私の足を止めた。

 

 そして玄斎は、ちらりとこちらへ視線を向ける。

 

「そろそろ終わりにいたそう。」

 

 声に、温度はなかった。

 

「真白を助けねばならぬ故な。

 時丸殿――ご覚悟を。」

 

 玄斎は八相に構える。

 切っ先に、はっきりと殺気が宿った。

 

 ――しまった。

 一瞬の躊躇い。

 私は舌打ちし、地を蹴って駆け出す。

 だが、すでに玄斎は踏み込もうとしていた。

 

 間に合わない……!

 

「若様!」

 

 叫びは夜に溶け、虚しく消える。

 若様は必死に受けの構えを取る。

 だが、その手は――震えていた。

 

 ……無理だ。

 あれでは玄斎の必殺の剣は防ぎきれない。

 

 私がそう悟った、その瞬間。

 玄斎の背後から、音もなく白刃が迫った。

 

「……誰だ?」

 

 気配を察した玄斎は即座に攻撃を止め、転がるように身を伏せる。

 白刃はわずかに肩口を裂いた。

 だが、玄斎はそれを意にも介さず、闇へと切っ先を向ける。

 

「……やはり、お主か」

 

 闇の中から、浮かび上がるように現れた影。

 鬼一だった。

 

 鋭い眼光。

 全身から立ち昇る、剥き出しの殺気。

 刀を肩に担ぎ、静かに前へ出る。

 

「流石だね。あの気配を消した一撃を躱すとは……やっぱり俺の師匠だ。」

 

 だが、その声は低く、冷えていた。

 

「――けどな」

 

 鬼一は、若様の前に立つ。

 

「俺の弟子は、殺させねぇよ。」

 

 玄斎は驚かなかった。

 むしろ――

 不敵に、口角を吊り上げた。





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