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ブラッディー・ムーン ~最凶の悪役令嬢、かぐや姫に転生する~  作者: しんいち
弐ノ章③

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月下の獣⑥

 真白の部屋を辞したあと、私は若様に声をかけた。

 

「若様、少しご相談がございます。」

 

「はあ……?」

 

 気の抜けた返事とともに、若様は怪訝そうな顔を向けてくる。

 私はその腕を取り、返事を待たずに人目の少ない場所へと引き寄せた。

 

 周囲に人の気配がないことを確かめ、声を落として告げる。

 

「今宵、参りますわ。」

 

「えっ!? ですが、先ほどは明日と……」

 

 驚く若様に、私は視線だけで口を噤むよう促した。

 

「少し考えがございますの。

 あきこやあずみはもちろん、このことは内密にお願いいたします。」

 

「……はい」

 

 睨みを利かせて念を押すと、若様もただならぬ空気を感じ取ったのか、同じく声を潜めて頷いた。

 

「それと若様。今宵は、できる限り軽装で」

 

「軽装、ですか?」

 

「この前のように鎧など身に着けて来てはなりませんわ。あれはうるさすぎます。  最小限の装備で――得意の弓と、刀。それだけで十分です。」

 

 そう言って、私は懐から小さな袋を取り出し、若様の手に握らせた。

 

「それから、これを必ずお持ちくださいませ。」

 

「これは……?」

 

「これは''匂い袋''で御座います。

 中に潰した香木を入れ匂いを発するもので御座いますわ。

 これで我らの“匂い”を誤魔化します。」

 

 若様は目を瞬かせた。

 

「相手は熊、あるいは犬。

 彼らは匂いにとても敏感な生き物です。人の匂いを残したままでは、こちらの居場所を知らせるようなもの。」

 

「なるほど……分かりもうした。」

 

 若様は小袋を大切そうに懐へしまい、真剣な面持ちで問いかけてくる。

 

「では、何刻までに仕度を整えておけば?」

 

 私は小さく微笑み、答えを告げた。

 こうして、誰にも知られることなく――

 私たちは、静かに、だが着実に準備を進めていった。



 夜の帳が下りた頃、私は若様を迎えに向かった。

 

 約束の場所に立っていた若様は、忍びと思しき黒装束を身に纏い、私に言われた通り腰には刀、背には弓を負って静かに佇んでいた。

 

 私はその姿を一瞥し、小声で問いかける。

 

「誰にも気付かれておりませんね?」

 

「ああ、勿論で御座る。鬼一様にも、一切話しておりませぬ。」

 

 短くそう答える若様に、私は満足げに頷いた。

 

「では、参りましょう。」

 

 目的地は一つ――玄斎と真白が住まう家。

 無言で歩みを進めるうち、若様は次第に不安げな表情を浮かべ始める。

 

「かぐや殿……一体、どちらへ向かわれるのですか?」

 

 私はその問いに答えぬまま歩き続け、やがて一軒の家の近くで足を止めた。

 

「……ここは、玄斎様の家では御座らぬか。  ご助力を願いに参られたのですか?」

 

 戸惑いを隠せぬ若様に、私はようやく口を開いた。

 

「落ち着いてくださいませ。

 ここからは、黙って私の話を聞いて頂きます。」

 

 そして、胸の内に秘めていた疑念を、一つずつ明かしていく。

 

 ――バケが見せた異様な警戒。

 ――真白の病と、その不可解な能力。

 ――玄斎と真白が竹取の郷へ来てから、事件が始まったという事実。

 

 言葉を重ねるごとに、若様の表情はみるみる険しさを増していった。

 

「かぐや殿……それは、流石に無理があるのではありませんか?  確かに筋は通っているように聞こえまするが、真白殿は私と同い年。

 身体も細く、病弱な身で御座います。人を襲うなど、到底考えられませぬ。

 それに、玄斎様には武芸を教えて頂いた恩もあります。  このような疑いを向けるのは……いささか、気が引けまする。」

 

「若様、身体の強弱は関係ありませんわ。」

 

 私は即座に言葉を返した。

 

「海の向こう、異国の地には『ライカンスロープ』――

 簡単に申せば『狼男』と呼ばれる妖怪の伝承が御座います。  月の出る夜にのみ現れ、人を襲う獣人……。  今宵のような満ちた月の夜に、です。」

 

 若様の喉が小さく鳴るのが分かった。

 

「もし、私の推測が誤りであれば、それで良いのです。  真白さんの疑いが晴れる、それだけのこと。  ですが……もし当たっていたなら……」

 

 私は若様を見据え、静かに続けた。

 

「気が引けるようでしたら、ここでお帰りになっても構いませんわ。」

 

 本心を言えば、若様は戦力として連れてきたわけではない。

 

 必要だったのは“証人”だった。

 

 西洋の怪物などという荒唐無稽な話を、私一人が語っても信じる者はいない。

 だが――二人で見たと言えば、その重みは違ってくる。

 

「……『ら、らいかんすろぷ?』、狼男、で御座るか。」

 

 若様は小さく息を吐き、苦笑した。

 

「かぐや殿は、相変わらず博識で御座いますな。  正直、気乗りは致しませぬが……。  これで真白殿の疑いが晴れるのであれば、お付き合いいたしましょう。」

 

 どこか納得しきれぬ表情ではあったが、それで十分だった。

 

 さて――

 

 私の予想は、果たして当たっているのかしら?

 私たちは家から距離を取り、月明かりの下で玄斎の家を静かに見張った。



 二刻ほどが過ぎた頃だった。

 夜はすっかり深まり、虫の音すら途切れがちになっていた。

 

 雲一つない空に浮かぶ月は、やけに白く、冷たい光を地上へと注いでいる。

 

 その時――。

 

 ギィ……と、微かな音が闇に溶けた。

 玄斎の家の戸が、音を殺すように開いたのだ。

 

「……出てきましたわ。」

 

 私が囁くと、若様は息を詰めた。

 月明かりの中、姿を現したのは――真白だった。

 

 いつもの目隠しは外されている。

 白い着物を纏った小柄な身体は、夜の闇の中でひどく頼りなく見えた。

 

 しかし、その歩みは確かだった。

 ふらつくこともなく、迷うこともなく、まるで“行き先を知っている”かのように、真白は静かに家を離れていく。

 

「……一人、で?どこに。」

 

 若様の声が、わずかに震える。

 

「ええ。……ついて参りましょう。」

 

 私たちは距離を保ち、物音を立てぬよう後を追った。

 真白は村外れへと向かっていた。

 

 人家が途切れ、木々が濃くなる場所――昼間でも薄暗いその一帯に差し込む月光は、異様なほど明るく、地面に長い影を落としている。

 

 やがて、真白はぽつりと開けた場所で足を止めた。

 

 周囲には誰もいない。

 風が梢を揺らし、草がざわりと鳴る。

 

「……真白、殿?」

 

 若様が思わず名を呼びかけそうになるのを、私は素早く手で制した。

 

 その直後だった。

 真白の肩が、びくりと跳ねた。

 次の瞬間――

 

「……あ……あ゛……」

 

 喉の奥から、掠れた声が漏れる。

 それは痛みに耐える声にも、呻きにも似ていたが、人のそれとはどこか違っていた。

 

 真白は両腕で自分の身体を抱きしめるようにし、背を丸める。

 月光が、彼女の顔を照らした。

 

 ――赤い。

 

 昼間に見た時とは比べものにならぬほど、彼女の瞳は赤黒く染まり、獣のそれのように光を反射していた。

 

 ぱき、と。

 

 不自然な音が、静寂を裂く。

 真白の指が――曲がった。

 

 関節が、あり得ぬ方向へと歪み、皮膚の内側で何かが蠢くのがはっきりと分かる。

 

「っ……!」

 

 若様が息を呑む。

 真白の爪が、ずるり、と伸びた。

 

 いや、伸びたというより――押し出された。

 皮膚を突き破ることなく、内側から無理やり形を変え、黒く、鋭い爪へと変貌していく。

 

 腕が太くなる。

 

 骨格が、音を立てて組み替わっていく。

 ぼき、ぼき、と鈍い音が続き、背骨が不自然に盛り上がった。

 

「……あ゛あ゛あ゛あ゛……ッ!」

 

 悲鳴とも咆哮ともつかぬ声。

 白い着物が、内側から裂ける。

 布の隙間から覗いたのは、人の肌ではなかった。

 

 ――毛。

 

 黒と灰色が混じった獣毛が、月光を受けて濡れたように光っている。

 

 首が引き伸ばされ、顎が前へと突き出る。

 歯が増え、尖り、口元から涎が糸を引いた。

 最後に、真白だった“それ”が顔を上げた。

 

 そこにあったのは――

 

 人の面影を残したまま、完全に獣へと堕ちた存在。

 赤く光る双眸が、月を映し、次いで――

 闇の中に潜む、私たちの方へと向けられた。

 

「……っ!」

 

 若様の身体が強張るのが分かった。

 

 ――当たりだ。

 

 私の背筋を、冷たいものが走る。

 月明かりの下に立つその影は、疑いようもなかった。

 

 狼男――

 ライカンスロープ。

 

 そして、それは、低く唸り声を上げながら、一歩、闇の中へと踏み出した。

 

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