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ブラッディー・ムーン ~最凶の悪役令嬢、かぐや姫に転生する~  作者: しんいち
弐ノ章③

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月下の獣④

「ねえ、聞いた? また、あの熊が現れたそうよ。」

 

 若様から最初の話を聞かされてから、ひと月ほどが過ぎた頃だった。

 しばらく鳴りを潜めていたはずの、“熊”と呼ばれる謎の襲撃者が、再び人を殺したという。

 

 その死体が見つかった、という噂を、あずみが不安そうな顔で持ってきたのだ。

 

「お父さんがね、『暗くなる前に必ず帰って来い』ってうるさくてさ。……本当に怖いわよね。」

 

 道場に来るなり皆に告げるあずみに、あきこが眉をひそめて応じる。

 

「うちも同じ。でもお父さんの話じゃ、熊じゃなくて狼か野犬じゃないか、って言ってたけど……」

 

 そこへ、若様が鬼一から聞いたと言う話を付け加えた。

 

「鬼一様も、その事件について検非違使から調査の依頼を受けたようで御座います。今朝から役所へ向かわれていました。

 妖怪の仕業の可能性もある、と……」

 

 どうやら、情報はかなり錯綜しているようだった。

 

 熊のような四本の深い引っ掻き傷。

 にもかかわらず、遺体は食い荒らされておらず、首元にははっきりとした噛み跡。

 さらに、死体の周囲には犬のような足跡が残っていたという。

 

 これでは、人の手によるものか、獣か、妖か――見当がつかなくても無理はない。

 

 そんな中、若様がちらりと私の様子を窺うのが分かった。

 

「……ところで」

 

 言い淀むような声だった。

 

「最近、かぐや殿あの猫を連れて来られていないようですが……その、元気にしておられるのですか?」

 

 歯切れの悪い言い方に、私は思わず眉を吊り上げる。

 

「はっきり仰ったらどうですの? バケを疑っている、と」

 

「い、いや、そこまでとは……」

 

 一度は否定しかけ、若様は小さく息を整えた。

 

「――いいえ。正直に申しましょう。私は、少し疑っております。

 あれは今こそ猫の姿をしておりますが、元は巨大な化け猫。

 夜な夜な抜け出し、人を襲っているのではないかと……」

 

 その言葉に、あずみとあきこが即座に反発した。

 

「若様、それは酷すぎるわ。」

 

「そうですよ。バケちゃんが、そんなことするわけないじゃないですか。」

 

「しかし……ですな。」

 

 二人に責められ、言葉を詰まらせて後ずさる若様に、私は一歩踏み出す。

 

「バケが人を襲うなど、あり得ませんわ。

 昨夜は、私と一緒に寝ておりましたもの。抜け出す暇など、あるはずがありません。」

 

 それは紛れもない事実だった。

 バケは私の傍で、何事も知らぬ顔ですやすやと眠っていたのだから。

 

 それでも、疑いの目を向けられたままでは、どうにも気分が悪い。

 それに――若様がそう思うのなら、同じ考えに至る者が他にもいるかもしれない。

 

「でしたら、こうしましょう。」

 

 私はきっぱりと言った。

 

「私たちで、その妖怪の正体を突き止めるのです。

 そうすれば、バケへの疑いも晴れるでしょう?」

 

 その言葉に、三人は一斉にこちらを振り向き、ぎょっと目を見開いた。


 口火を切ったのは、若様だった。

 

「かぐや殿……それは、流石に危のう御座らぬか?  正体も分からぬものを相手に、我らだけでは……」

 

 その言葉に、あずみもあきこも同時に頷き、若様の背を押すように同意の声を上げる。

 

「そうよ、何かあったらどうするの?」

 

「夜なんて、熊だったら本当に危ないわよ。」

 

 三人そろっての慎重論。  それを聞いた私は、思わず鼻で笑ってしまった。

 

「ふん……臆病風に吹かれましたの?」

 

 わざと小馬鹿にした調子で言うと、若様の肩がぴくりと揺れる。

 

「正体が分からない、分からないと仰いますけれど……だからこそ暴くのでしょう?  熊や野犬程度でしたら、私が軽く追い払って差し上げますわ。

  仮に妖怪だったとしても、様子を見て逃げればよろしいだけ。  あくまでも――バケの疑いを晴らすため、で御座いますのよ?」

 

 一拍置き、にやりと口角を上げる。

 

「それとも……武士の子が、お逃げになります?」

 

 ほんの一押し。  だが、それで十分だった。

 

「なっ……!」

 

 若様は目に見えて顔を赤くし、勢いよく一歩踏み出した。

 

「逃げるわけが御座いません!  ……わ、分かりもうした。で、では今晩……今晩、参りましょう。  必ずや、わたくしが捕まえて御覧に入れます!」

 

 ――やっぱり単純。

 

 私は内心でそう呟きながら、視線を横に移した。

 

「それで? あずみとあきこは、どうなさるおつもりですの?」

 

 正直、この二人は留守番でも構わなかったのだが、若様を煽った手前、形だけは聞いておく。

 

「どうするって……」

 

 あずみが困ったようにあきこの顔を覗き込む。  あきこはしばらく黙り込み、不安そうに唇を噛んでいたが――やがて、ぱっと顔を上げた。

 

「いいわよ、行きましょ。」

 

 即答だった。

 

「かぐやちゃんと若様が一緒なら安心だし。  それに……怪談話みたいで、ちょっと面白そうじゃない?」

 

 ……呆れた。

 

 怪談好きなのは知っているけれど、今回は幽霊ではない。  熊か、狼か、あるいはもっと厄介な何かだ。

 

 ――幽霊じゃ、御座いませんわよ。

 

 そんな言葉が喉まで出かかったが、もう遅い。  あきこは、すでにあずみの手を掴み、

 

「ね、楽しみよね。」

 

 と、なぜか上機嫌だった。

 苦笑いを浮かべるあずみを見ながら、私は思う。  この子、見た目に反して、案外豪胆なのではないかしら。

 

 ――と、その時だった。

 

「皆、集まっておるか?」

 

 低く落ち着いた声が、道場に響く。

 振り向くと、道着姿の玄斎が、いつの間にか入口に立っていた。

 

「随分と楽しげな話が聞こえておったが……何か、良いことでもあったのか?」

 

「玄斎先生、実はですね――」

 

 返事をしたのは、あきこだった。  しかも、嬉々として。

 つい先ほどまで「内緒」のはずだった話が、あっさりと口にされていくのを横目に、私は小さく息を吐いた。


 当然のことながら、この話は鬼一の耳にも入ることとなった。

 

 だが――予想どおりというべきか。  鬼一は相変わらず、無責任なのか、それとも全面的に信頼しているのか判然としない態度で、私たちの行動に手放しで賛成した。

 

「そうか、かぐやも手伝ってくれるのかい。  そりゃ助かるぜ。」

 

 道場の柱にもたれかかりながら、鬼一は気楽そうに言う。

 

「検非違使から頼まれてな。今夜は夜回りをしなきゃならねぇところだったんだ。  これで、俺の負担も減るってわけよ。」

 

 ……やっぱり、無責任よね。この男。

 

 内心でそう突っ込みを入れていると、案の定、玄斎が眉をひそめて口を挟んだ。

 

「良いのか、鬼一よ。  子供たちにそのような真似をさせて……危ないで御座ろう。」

 

 ――ええ、ええ。  それが普通の反応ですわ。  やっと常識人がいてくれて助かる。

 

 だが、鬼一は玄斎の忠告を軽く手で払った。

 

「いやいや、玄斎殿。  このかぐやはなぁ、一丈(三メートル)もある化け猫を退治した腕前だぜ?  熊や野犬くらい、どうってことねぇよな。」

 

 ……確かに、どうということは御座いませんけれど。

 

 だからといって、子供に任せていい話ではないと思いますわよ。  心の中でそう反論しつつも、表には出さない。

 

 何より――これは、バケの無実を晴らすためのことだ。  止められたところで、結局はやるつもりだった。

 

「……ふむ」

 

 玄斎は少し考え込むように顎に手を当て、やがて静かに息を吐いた。

 

「鬼一のお墨付きというのであれば……仕方ありますまいな。  ただし、かぐや殿」

 

 その視線が、私へと向けられる。

 

「時丸様もおられますし、あきこ殿、あずみ殿も同行されるのであろう。  くれぐれも、深追いはなさらぬよう。十分に注意して下され。」

 

 呆れと心配が入り混じったような声音だった。

 私は、静かに頭を下げる。

 

「はい。心得て御座いますわ。」

 

 ――さあ、見ていらっしゃい。

 胸の奥で、黒い笑みが広がる。

 必ず見つけ出して。  正体を暴いて。  八つ裂きにして差し上げますわ。

 

 ふふ……ふふふ。

 

 夜は、すぐそこまで来ている。


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