月下の獣②
私は、目隠しをした真白に、言い知れぬ違和感を覚えながらも、素知らぬ顔で玄斎と真白に視線を向けた。
あからさまに探るのではなく、あくまで世間話の延長のように、さりげなく問いを投げる。
「玄斎様。真白様は……その、目隠しをされておりますが、何かご病気なので御座いますか?」
子供だからこそ許される、単刀直入な問い。
私はその反応を注意深く観察した。
「ああ、真白の目か……」
玄斎は一度、遠くを見るように視線を泳がせ、静かに言葉を継いだ。
「病気は病気であるのだが、見えぬわけではない。どうも、光が弱いらしくてな。」
「光、で御座いますか?」
「そうじゃ。日中の強い光を浴びると、痙攣を起こしたりする。奇病と言ってもよいじゃろう。医者にも呪術師にも見せたが、いずれも芳しくはなくてな。」
玄斎は苦笑するように肩をすくめる。
「拙者は娘を連れて旅をしながら、用心棒や各地で剣の稽古を請け負い、日銭を稼いでおった。しかし、娘の病は日に日に酷くなり……どこか腰を据えて、静かに療養させたいと思うようになったのじゃ。」
そうして、玄斎は鬼一の方をちらりと見た。
「そこで、鬼一噂を耳にしてな頼って、この地まで参った、というわけじゃ。」
――なるほど。
「ちなみに、その病の原因や、何かきっかけなどは?」
私は、さらに一歩踏み込む。
「原因、か……」
玄斎は顎に手を当て、少し考え込むような素振りを見せた。
「心当たりがあるとすれば……真白の母、千夜も、同じ病を患っておったことくらいかの。千夜は五年前に亡くなっておるが……その直後から、娘もこのようになってしもうた。」
――母も、同じ病。
遺伝性のもの……かしら。
頭の中で可能性を巡らせる。
症状だけを聞けば、光過敏性の類にも思えるが、それだけで説明がつく話でもない。
回復の魔法を使うにしても、原因が分からなければ手の施しようがない。
――もっとも、今のところ、恩も所縁もない相手に、わざわざ魔法を使う理由もないのだけれど。
そんな思考を巡らせている間も、膝の上のバケは落ち着きなく身じろぎしていた。
低く唸るような喉鳴り。
視線は、終始、真白の方へと向けられている。
――嫌がっている。
いや、警戒している……?
私は、気付かれぬよう、そっと手を動かした。
「バケ。お話し中ですから、少し庭で遊んできなさい。」
バケは一瞬だけ不満そうに二本の尾を揺らしたが、私の声に従い、するりと膝から降りると、そのまま外へと姿を消した。
……取りあえずは、これでいい。
これ以上、病の話を掘り下げるのはやめておこう。
胸の奥に、言いようのない嫌な予感が残る。
「それで、玄斎様。こちらには、いつまで滞在なさるご予定で?」
私は、意図的に話題を変えた。
「そうじゃのう……まだ決めてはおらぬが、鬼一が許してくれるなら、しばらく世話になりたいとは思っておる。」
「おいらは構わねぇぜ。」
即答したのは鬼一だった。
「ただよ、この屋敷、そんなに広くねぇんだ。客間はあるけど、二人で使うには狭ぇよな。どこか近くに、良さそうな場所はなかったか?」
「いえ、鬼一よ。」
玄斎は首を振る。
「我らは急に押しかけた身。客間でも、あるいはこの道場でも――」
「そういう訳にはいかねぇ。」
鬼一は、きっぱりと言い切った。
「仮にも俺の師匠だ。それに病人を道場に転がしておくわけにもいかねぇだろ。」
そう言って、若様と私に視線を向ける。
「なあ、近くに空いてる家、なかったか?」
「……確か、少し先に一軒、空き家が御座いました。」
若様が思い出したように答える。
「多少古くはありますが、滞在する分には問題ないかと。」
「そうかい。じゃあ、時丸。ちょっと見てきてくれ。空いてたら、為憲殿には俺から話を通す。」
「かしこまりました。」
若様は軽く頭を下げる。
「かたじけない。」
玄斎は深く礼をした。
その様子を見て、鬼一はふと思い付いたように笑みを浮かべた。
「そうだ、師匠。」
「何じゃ?」
「その代わりってわけでもねぇが……滞在中、時丸とかぐやの稽古、見てやってくれねぇか?」
「稽古、とな?」
「ああ。最近、出稽古が立て込んでてな。あんまり相手してやれてねぇんだ。たまには、違う剣に触れさせるのも悪くねぇだろ?」
意外な提案に、玄斎は少し考え込む。
――正直、私としては願ってもない話だった。
若様相手では、どうにも物足りない。
鬼一の師匠と名乗るこの男の実力も、少し気になっていたのだ。
「……そうじゃのう」
やがて玄斎は、ゆっくりと頷いた。
「居候させてもらう以上、断る道理はあるまい。ただし、ワシは教え上手ではないが、それでも良ければ、じゃ。」
「決まりだな。」
鬼一は満足そうに膝をパンと叩き、私たちに向き直った。
「しばらくの間、玄斎殿に稽古をつけてもらえ。しっかり学ぶんだぞ。」
「はい……」
「玄斎様、よろしくお願いいたします。」
私と若様は、揃って頭を下げた。
――その時だった。
庭の方から、微かに聞こえた、低い唸り声。
それが、これから起こる出来事の、静かな前触れである事を――
この時の私は、まだ、はっきりとは理解していなかった。
そして次の日――
早速、私たちは玄斎から稽古を受けることになった。
玄斎の剣は、一言で表すならば「堅実」そのものだった。
無理は一切しない。
派手な技も、見栄えのする動きもない。
ただ相手の弱点を冷静に見極め、そこだけを確実に突き、逃がさず、削る。
私からすれば、正直に言って少し面白味に欠ける剣術だ。
――だが、厄介でもある。
今は「実力を見たい」という名目で、私と玄斎が軽く竹刀を交えている最中だった。
実力そのものは、鬼一ほどではない。
だが、攻めづらさという点では引けを取らない。
玄斎は早々に私の弱点を見抜いていた。
――リーチ。
それを理解した上で、徹底して距離を保つ。
一歩前に出れば、一歩引く。
一歩退けば、一歩踏み込む。
常に“自分の間合い”を維持し、私の攻撃が届く寸前で外し、そこから小さく、だが確実な一撃を入れてくる。
わざと隙を作っても、玄斎は決して乗らない。
フェイントを仕掛けても、無視する。
攻めるのは常に、
自分の間、自分の呼吸、自分のタイミングだけ。
老獪――
まさにその言葉がふさわしい攻めだった。
もっとも、私は全力ではない。
若様や、あきこ、あずみがすぐ側で見ている。
こんな場所で、私の真の実力を晒すつもりは毛頭なかった。
ここは――
「それまで!」
若様の号令がかかり、私と玄斎は同時に竹刀を引いた。
そう、引き分け。
それが、今は一番無難よね。
「双方、凄まじい攻防でございました。」
若様は感嘆した様子で言葉を続ける。
「狗神様の巧みな攻めをかわす、かぐや殿の動きも見事でしたが……
かぐや殿を間合いに入れさせぬ、あの距離の取り方。
あれは大変、勉強になりもうしました。」
「いやはや……」
玄斎は感心したように息を吐き、私を見て微笑んだ。
「鬼一から話は聞いておりましたが、ここまでとは思いませんでしたぞ。
かぐや様は、なかなかの実力者。
剣を交えていると、鬼一と向き合っているかのような感覚すら覚えました。」
「ありがとうございます、玄斎様。」
私は軽く頭を下げる。
「流石は鬼一様のお師匠様でございます。
まったく、攻めさせていただけませんでしたわ。」
一応、良い子の仮面は被っておく。
鬼一の言っていた通りだ。
この男から学べることは多い。
特に、力が拮抗した相手との戦い方。
今後、同じような剣を使う者と相対した時の、良い対策にもなる。
何より――
若様とは比べ物にならぬ、“達人”と呼ぶに相応しい者との稽古。
自然と、口元が緩むのを止められなかった。




