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少年少女、別れる。 4

 結局私はインフルエンザでもないのに八日間も学校を休んでしまった。昼からまたイタリアへ赴く父さんに心配されながらも登校すると、教室にカンタレッラはいなかった。鞄もなかった。周囲は私のことをちらちらと気にしているようだった。もう皆私のことを知っているのだろう。一体どこから情報が漏れ出るのか、社会の恐ろしさを実感する。

 結局カンタレッラがいないままSHRが終わり、いつものように号令をかけた後で私はトーキョー先生を呼び止めた。

「あの、カンタレッラは今日休んでるんですか?」

 するとトーキョー先生はひどく気の毒そうな表情で答えた。

「実はカンタレッラくん、また転校してしまうそうで……」

「えっ」

「昨日でちょうど忌引きが終わったんですよ。その間に親戚の方が来て色々相談された結果転校するという話にまとまったらしいです」

「そうなんですか……」

「急のことで、きちんとお別れができないままつらいとは思いますが――」

 そのとき放送が鳴り、教頭先生の声がトーキョー先生を職員室まで来るよう呼んだ。何やら至急の用事があるらしい。

「ああ、ではまた後で」

「はい」

 私は席に戻って、しばらくの間ぼうっとしていた。

 その後昼休みを迎え、弁当箱を取り出していると後ろから突然肩を叩かれた。振り返ると密が若干視線を彷徨わせるようにして、言った。

「一緒に食べよ」

「……うん」

 私が頷くと密はほっとした様子で微笑んだ。

 密の話は相変わらず漫画やアニメについての話が多い。私も以前と変わらない調子で相槌を打ちながらそれを聞く。彼女はときどき心配そうな目になってこちらを見つめた。けれどもカンタレッラとのことは密も誰も追及しようとはしなかった。気遣われているのだろう。いくら私を便利屋として依存するようなクラスメイト達でも、やっぱり嫌いにはなれないと思った。

 昼休みに密が話しかけてきたことをきっかけに、他のクラスメイト達も自然と私に話しかけるようになっていった。カンタレッラがこの二年二組に入ってきてからのことは決して忘れられることなく私やクラスメイトの記憶に根づいているが、彼がやってくる前と同じような平穏は取り戻されたらしい。皆はそのことに心から安堵しているようだった。



「じゃあね、つゆり」

「うん。また明日」

 この日も密は漫画研究部に向かっていった。私は野球部のかけ声や吹奏楽部の演奏を聞きながら校門を通る。

「………………」

 もう、門柱に背を預けてバニラの香りがする煙草を吸う彼はいない。いきなり腕を掴んで走り出して、タクシーに乗せる彼はいない。

 平穏が戻ったというのに、なんだか奇妙な気分だった。

 帰宅してからも私は勉強する気もテレビを見る気も起きなかった。母さんから「今日は遅くなるから先に食べてて」というメールを受け取り、夕食を作っても箸がなかなか進まなかった。

 炬燵に足を入れてぼんやり窓際の鉱石を眺めていると、突然携帯電話が着信を告げた。

「もしもし」

「悪かったな。連絡が遅れて」

 相手はカンタレッラだった。

「……カンタレッラ。どうして、私の携帯番号を知ってるの?」

「きみの家に泊まった日、つゆりが風呂に入ってる間に番号をもらっておいたんだ」

「今どこ?」

 自宅ではありえないざわめきが、携帯電話を通して聞こえた。造形的な音声の案内や複数の話し声が響いてくる。

「空港だよ。今夜の便で発つんだ」

「今夜」

「ああ、そうだよ。これで安心だろう。つゆりは明日から、煩わしい目に遭わずに済むんだ」

「どこに行くの?」

「アメリカのロサンゼルス。そこに父方の祖母が一人で暮らしてるんだよ。忌引きのとき、すぐこっちに来て住めばいいって言ってくれた。ちょっと偏屈だけど、ぼくには優しかったし、気心は知れてる相手だ」

「連絡先を教えて」

「よせよ。文通なんてくだらない。もしきみが手紙を寄越したとしても、ぼくは返事を書かないぜ」

 携帯電話を耳に当てたまま、私はしばらく黙り込んでいた。彼も声を出さない。案内の感覚が頻繁になっている。搭乗時刻が迫っている様子だった。

「……カンタレッラ」

 次の言葉が出ず、再び黙ってしまう。まだ言葉を探しあぐねていた。別れを言うのも、体調を気遣うのもこの場には相応しくない。カンタレッラがそれを拒むのは、わかりきっている。

「思えばきみだけだったよね。ぼくをアザミと呼ばなかったのは」

「そうだね」

「最後くらい、名前で呼べよ」

「――――」

 突然のことに、私はすぐにカンタレッラの名前を口にできない。わずかに沈黙が流れた後、カンタレッラが言った。

「ぼくはつゆりの声、いい声だと思うぜ」

「どうして」

「透明だから」

「透明?」

「ぼくがどんなことをしても、きみだけは劣情も憎悪も嫉妬も恐怖も屈辱すらも感じさせない澄んだ透明な声をしていた。それがぼくの耳にとってはとても心地いいんだ」

「…………」

「思えばぼくは、初めてつゆりと言葉を交わしたときから――その声に惹かれていたのかもしれない。だから、きみの気を引くのに必死だった」

「…………前に言っていた充実した理由って、そのこと?」

「それは少しだけ、違う」

「じゃあ何なの? もう行ってしまうんだったら、約束通りその理由を聞かせて」

「だったら呼べよ、ぼくの名前。そうすれば最後の最後に教えてやる」

 私は乾いた唇を舐め、震えた声を喉から出した。

「……ア、ザミ」

「よく聞こえない。もう一度」

「アザミ」

「もう一度だ」

「アザミ……っ!」

「――その声を覚えとくよ。次会ったとき、姿が変わっていてもすぐわかるように」

「次?」

「一生の別れになると思ったのなら残念だったね。高校生になったらまた機会を見つけてそっちへ行くよ。きみはそのまま地元の高校に進学するんだろう」

「え? いや、そうだけど……また、って……わざわざどうして」

 カンタレッラにとっては、日本は嫌な思い出しか生まれなかった場所のはずだ。それなのにわざわざまた戻ってくるなんて、正気とは思えない。

 しばらくカンタレッラは黙っていたが、ふっと美しい微笑を浮かべた。顔は見えないが、空港で受話器を耳に当てる彼がそんな表情を浮かべたような気がする。

「決まってるだろ。大好きだからさ」


 

《少女つゆりと少年カンタレッラ》完結致しました!

 書き終えてみると案外短い物語になったなー、というのが感想です。しかし書きたいことを詰め込んで書いたので、不満も心残りもありません。


 この作品は一作目《猫窟島のケット・シー》での共通点と相違点があります。

 まず、主人公が中学二年生の少女。舞台が田舎。田舎の中学校に訪れる転校生。大雑把ですが、これくらいが共通点ですね。そして相違点、前作では主人公の雪織が転校生だったことに対して今作の主人公つゆりは元々その中学校に在籍していた優等生。つゆりは雪織より五番目のポジションです。そうなると当然イタリアからの転校生カンタレッラが雪織のポジションについていることになります。

 また、《猫窟島のケット・シー》では中学生の男女間に存在する友愛を取り扱いましたが、この《少女つゆりと少年カンタレッラ》は友愛よりも性愛があきらかなほどに強いです。主人公達が織り成す学生生活も、前作はどこかきらきらとしていますが今作は結構どろどろ。こういう面から見て、《猫窟島のケット・シー》と《少女つゆりと少年カンタレッラ》は意図せず相対するような作品となりました。


 この小説を書くに当たって欠かせなかったのは、音楽です。

 やはり一番はイタリアの子守歌『ニンナ・ナンナ』。動画サイトで探す場合は『ニンナ・ナンナ』より『ninna nanna』と検索した方がいいです。どこの国の人かはわかりませんが、綺麗な外人女性が歌っている素敵な動画があります。興味があったら聴いてみてください。

 ちなみに、カンタレッラのボーイソプラノはリベラという少年合唱団をイメージしています。彼らの美しいボーイソプラノで、あの『ニンナ・ナンナ』が歌われたら……そんな想像をしながらカンタレッラが歌うシーンを書きました。相変わらずの拙い文章で、読者の皆さんに私の想像した光景が一割でも伝わったらなと思います。


 以下、余談かもしれませんが補足という名の蛇足を。

 カンタレッラがつゆりに教えた、充実した理由。最後の一言がそれです。

 つゆりの好きな鉱石を買った直後に砕くからと脅して押しつけたことも、ガラスで切って血まみれになった指をつゆりの口に突っ込んだことも、全てその一言でカンタレッラは片付けます。高校生になったらつゆりのもとに戻ってくると宣言した後に。

 この後つゆりとカンタレッラがどのように成長して、どのような再会をするのか。それを私自身が書くのはきっと野暮というものでしょう。読者の皆さんがそれぞれの想像を膨らませてください。それも小説の楽しみ方の一つだと思います。


 最後に、本作を読んでくださった方に両手いっぱいの感謝を捧げます。ありがとうございました!


 

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