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少女、付き添う。 11

 目を覚ますと、周囲は暗かった。

 サイドボードに置いてある目覚まし時計を確認すると、まだ深夜の二時。こんな時間に目が覚めるのは久しぶりな気がする。再び眠ろうとしたが、カンタレッラのことが気になった。あれくらいの毛布で十分だと思ったけれど、寒がっていないだろうか。

「………………」

 ベッドから足を下ろすと、フローリングから裸足に伝わる冷たさで余計に目が覚めた。私は寝間着の上からカーディガンを羽織り、静かに足音を立てないようにして一階のリビングへ向かった。

 ドアを開けようとして、薄い板の向こうから聞こえてくる声に気づいた。カンタレッラが起きていて独り言でも呟いているのかもしれないと思ったが、その声はイタリア語の歌だった。


♪Ninna nanna ninnaò questo amore a chi lo do

 ニンナ ナンナ ニンナオ 誰にこの愛をあげようか?

Lo do a te finché vivrò solo te io amerò

 あなたを一生愛するからあなたにあげよう


 なるべく音を立てないようにドアを開けると、カンタレッラが歌っていた。肩から羽織った白い毛布が、彼をまるで教会で歌を捧げる聖歌隊のようにしていた。紅薔薇の唇が動いて、女性のものとは違う高いボーイソプラノを響かせている。


♪Ninna nanna ninnaò questo amore a chi lo do

 ニンナ ナンナ ニンナオ 誰にこの愛をあげようか?

Lo do a te finché vivrò solo te io amerò

 あなた以外誰も愛さないからあなたにあげよう

Ninna nanna ninnaò questo amore a chi lo do

 ニンナ ナンナ ニンナオ 誰にこの愛をあげようか?

Lo do a te finché vivrò e a nessun altro lo darò

 あなた以外誰も愛さないからあなたにあげよう


 この歌を、私は知っている。

 初めて聞いたときの歌声は、このように美しく透き通ったものではなかった。あれは……父さんだ。幼い頃、寝つきの悪い私の傍らで横になって、肩を一定のリズムで優しく叩きながら、仕事先のイタリアで覚えたという子守歌を歌ってくれた。

「……っ、あ……」

 何故か、目からぽろぽろ涙が零れ落ちた。冷たい外気に鼻の奥がつんと痛んで、見えない手にぎゅうっと胸が締めつけられる。

「何、泣いてんの」

 歌い終わったカンタレッラは立ち上がると、奇妙なものを見るような顔で言った。

 何泣いてんの? そんなの、私自身にもわからないよ。

 無言で、恐らく顔を醜く歪ませながら涙を流す私のすぐ前まで来て、カンタレッラは訊ねる。

「そんなに口の中が痛いのか? ぼくが、殴ったところ」

 違う。私が首を横に振ると、目から涙の雫が散った。するとカンタレッラは突然笑って、私の両頬にそっと手を添えた。

「……はは。不細工」

 うるさい。そんなこと、鏡を見なくてもわかっている。

 それからしばらく私は泣き続け、カンタレッラは私の両頬に手を添え続けていた。

「さっきの、ニンナ・ナンナだよね」

 ようやく涙が止まり、カンタレッラの手を掴んで離させる。

「へえ。知ってるんだ」

「昔、私が夜眠れないときに父さんが歌ってくれたから」

「ぼくも同じような教わり方だったよ。きみもファザコンってやつか」

「違うよ」

「歌える?」

「え?」

「この歌、知ってるんだろ。歌えるのか訊いてるんだよ」

「……まあ、一応歌詞は覚えてるけど」

「なら、歌えるんだね」

 カンタレッラは私の手を掴み、そのまま腰を下ろした。

「一緒に歌うんだ」

「なんで」

「歌うのに理由なんかいらないだろ。それともきみは、自分の行動一つ一つに理由をつけているのか」

「…………」

 私が反論できずにいると、カンタレッラは目を閉じて最初から歌い始めた。


♪Ninna nanna ninnaò questo amore a chi lo do

 ニンナ ナンナ ニンナオ 誰にこの愛をあげようか?

Lo do a te finché vivrò solo te io amerò

 あなた以外誰も愛さないからあなたにあげよう


 再びカンタレッラの歌声に聞き惚れそうになる。だが彼の目が開き、こちらに視線を向けて促してきたため、仕方なく私も彼の呼吸に合わせて口を開いた。


♪Lo do a te finché vivrò e a nessun altro lo darò

 あなたが私に話しかけるときの甘さにあげよう

Lo darò alla tua dolcezza quando tu mi parlerai

 あなたを一生愛するからあなたにあげよう

Ad ogni bacio ogni carezza che tu mi regalerai

 あなたのキスの一つ一つに あなたの一つ一つの約束に

Lo darò ai tuoi desideri quando a te mi stringerai

 あなたが私を抱擁するときのあなたの欲望に

Lo darò a tutti i tuoi sogni che con me dividerai

 私と共有する全てのあなたの夢にあげよう


 カンタレッラの美しいボーイソプラノと、私の乾いたアルトが重なってニンナ・ナンナを歌う。決して綺麗な二重唱と言えるものではなかった。やがて一曲歌い終わり、喉が渇いた私は冷たい水道水をコップに注いだ。半分ほど飲み終えると、不意にカンタレッラが何の断りも入れずコップを奪って残りを飲み干した。ニンナ・ナンナを歌い終わり、水を一つのコップで分け合って飲み終える。それまでお互い一言も口を利かなかった。

「…………もう寝よう。明日も学校だよ」

「うん。知ってる」

「じゃあ、おやすみ」

「ああ、ソンニドーロ」

 さながら電池が切れた人形のようにカーペットの上へ寝転んだカンタレッラをしばらく眺めてから、リビングを後にする。

 これから私はどうすればいいんだろうか。

 今まで私を取り巻いていた学校生活の平穏はどこかへ吹き飛ばされてしまった。もしかしたら卒業までずっと、親友の密や雛月、そして現在のクラスメイト達は私と目を合わせようとしてくれないかもしれない。

「――それは、結構苦しい……かな」

 ベッドの中で枕に顔を押しつけ、私は眠りについた。


 

イタリア語メモ


 ソンニドーロ(Sogni d'oro) 「金の夢を(いい夢を)」

 

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