少女、付き添う。 10
私の家にあがったカンタレッラは、リビングの炬燵を気に入ったようだった。
「これ、羨ましいな。ぼくの家は一度も置いたことがない」
「そう言えば炬燵なかったね」
他人の家だというのに、彼の辞書に遠慮という文字はないのだろうか。そんなことを考えてしまうほど炬燵に入ったカンタレッラは我が物顔で寛いでいる。
夕食ができてもカンタレッラが炬燵から離れようとしなかったため、この日は普段使うテーブルではなく炬燵で夕食を食べることになった。家に呼んだどころかこうして二人きりで食事をしていることを母さんが知ったら何と言われるだろうか……いや知らせるつもりなど毛頭ないのだけれど。今回の出来事は誰にも言わないまま、墓に持っていこうと決めている。カンタレッラも同じかどうかはわからないが。
「そう言えば、あの石飾ってるんだね」
「え?」
カンタレッラの視線を追うと、窓際に飾ってある五種類の鉱石が目に入った。ああ、と私は頷く。
以前カンタレッラが《ヒコボシ》で購入して、その後私の手に渡った水晶、紫水晶、電気石、蛍石、琥珀のことだ。あの後母さんには上手く誤魔化して、一番見栄えのいい窓際に飾って今に至る。月が出る夜には、部屋の人工的な明かりと月の自然な明かりがちょうど交差することで鉱石は不思議な輝きを放った。きっと今夜も綺麗に輝くだろう。
「……なんか嬉しそうだね、カンタレッラ」
「そう?」
「うん」
窓際に飾った石を眺めるカンタレッラの表情は、妙ににこにことしている。
「そろそろ返そうか」
「いや、いらない。もし返したら、ぼくはあれを踏み砕いて《ヒコボシ》の店先に放置するぜ」
「じゃあ返さない」
「それでいい」
そう言ってまた嬉しそうに微笑む。よくわからない奴だ。
「ところであれは?」
カンタレッラが指差したのは、壁にかけてあるヴェネチアンマスクだった。
「父さんが帰ってきたときにお土産でくれたんだよ」
「ふうん。もしかして、あれも?」
次に彼はテレビの横に座らせているピノキオの人形を指差した。
「うん。実用的でないものが多いのをどうにかしてほしいんだけどね」
それでもたまにヴェネチアン・グラスの食器だとか革製の財布だとか使えるものをお土産に帰ってくることもある。一年に二回か三回くらいだが。
夕食後は食器を洗っている間に風呂を沸かすことにした。私が一人で動き回っている最中も、相変わらず炬燵に入ったカンタレッラは大して面白くなさそうなトーク番組を見ているだけだった。
「カンタレッラ」
「何?」
「あなた何も持たずにここに来たけど、鞄も家にあるんだよね」
「ああ。でも一通り授業に必要なものは教室の机の中に入れてるよ」
「それならいいけど、着替えはどうするの」
「きみのを貸してくれればいいじゃないか」
「却下」
けらけら笑った後、カンタレッラは着替えなんてなくていいと言った。曰く「一日なら同じものを着てても気にしないし、明日にはちゃんと家に帰るよ」とのこと。
「じゃあ先に入ってて」
「わかった」
風呂が沸いたのを確認してからカンタレッラを浴室へ通じる脱衣所に連れていき、バスタオルの位置を教えてから私はようやく一息つく。時刻は九時になっていた。
そう言えば、カンタレッラはまだ父親へ外泊するという連絡は入れていないはずだ。私はカンタレッラの父親から「アザミを捜してきてくれるかい」と頼まれただけで、当然「泊めてあげて」だなんて言われていない。
「余計なこと、しちゃったかな……」
呟いてみたが後の祭り。私はカンタレッラ家の電話番号を知らないから、今はかけることができない。カンタレッラが風呂からあがったら連絡を入れておくよう言わなければ。
「あがったよ」
炬燵で学校の課題を終わらせたと同時に、脱衣所からカンタレッラが出てきた。
火照った顔はやや赤らんでいて、十分に温まれたことを証明していた。シェルピンクの髪はまだ水気を残し、額や首に張りついている。
「蓋は開けたままにしてるけど、これからきみが入るならいいよね」
「あ、うん。ねえカンタレッラ。今さらだけどうちに泊まることをお父さんに連絡しておいた方がいいんじゃない? 電話、そこにあるから」
私が指差した先にある固定電話を一瞥し、カンタレッラは頷いた。私は一度二階の自室へ行き、着替えを持って脱衣所へ向かった。
湯船に浸かりながら、私は今夜どこでカンタレッラを寝かせようかと考えた。両親や私の部屋は論外だが、そうなるとリビングくらいしか適度な空間がない。炬燵を少し移動させて、カーペットの上から毛布をかぶせればいいだろうか。よし、そうしよう。
頭の中でカンタレッラが寝る場所はリビングと決め、私は入浴を済ませた。
脱衣所を出ると、カンタレッラが炬燵の傍らで横たわっていた。冬とは言えさすがに湯上がり状態で暖房が効いた部屋の炬燵に入るのは暑かったのかもしれない。
「カンタレッラ」
傍に膝をつくと、まるで待ち構えていたかのようにカンタレッラが私の腰を引き寄せた。無遠慮に人の膝を枕にすると、寝間着をたぐって脇腹を撫で、指先を取りとめもなく這わせてくる。
「抱いてもいいかい」
「もう抱いてるじゃない」
「とぼけるなよ。これくらいの言い回し、日本人はよく使うんだろう」
「…………」
「このままやってもいいか、そう訊いてるんだよ」
「本当に意地が悪いよね、あなた」
「どっちがだよ。ここまで受け入れたのなら少しは付き合う気を見せたらどうだ」
そう言われて、私は風呂上がりだと言うのにぞくりと背筋が冷えたように感じた。恐怖よりも勝っているのは、罪悪感と後ろめたさ。今こうしてカンタレッラと――つまり同年代の異性と夜に一つ屋根の下で二人きりでいることを思い知り、この状況を招いた自分自身はひどく悪いことをしているという後ろめたさでいっぱいになる。
「カンタレッラ。私達はまだ、中学生なんだよ」
「ふん。もう、中学生なんだろう」
カンタレッラは一度起き上がると、私を抱えて組み敷くように床へ寝転んだ。そのとき、ごつっと肩甲骨が衝撃を感じて痛んだ。ちょうどカーペットを敷いていないフローリング部分に出てしまったからだ。ムードも何もあったものじゃない。
「どうした」
「痛い。肩甲骨が床に強く当たった……」
「何やってるんだよ」
「言っとくけどカンタレッラのせいだよ。そこにクッションがあるから、取ってくれる?」
「これか」
いつも炬燵の傍に置いてある胴が長い蛙のクッション。カンタレッラはそれを掴み、こちらに寄越してくると思いきや今度は自分が仰向けになった。クッションは彼の背に敷かれ、私の半身は自然と抱き起こされる形となる。
「この方が楽だろう」
笑ってみせたカンタレッラは、そのまま腕の力を抜いた。
「わ」
自然とカンタレッラの胸の上へ落ちるようにかぶさった私は、一瞬止まった後に傍らへ避けた。胸板は心音がすぐにも伝わってくる薄さだった。投げ出された腕が目の前にある。手首のボタンが外され、袖口が派手に捲れ上がっていた。色白の肌にほんのり赤い鬱血の小さな跡が見える。これもカンタレッラの父親がつけたキスマークだろうか。近くの脈に触れてみると、もどかしく遠いところで動く拍動が感じられた。不意にカンタレッラの両腕が動き、私は頭を抱え込まれた。
「……なんだか、すごく眠たくなってきた」
「なら眠ればいいじゃない」
「この状況で? もったいないな」
顔は見えないが、ふっと笑みを浮かべるカンタレッラの表情が頭の中に浮かんだ。それを確認することなく、私は抱きしめてくる腕の中でじっとしていた。
「…………カンタレッラ?」
しばらくして声をかけてみたが、返事はない。言動やその態度に反して、カンタレッラは睡魔に負けてしまったようだ。顔を上げてみると、瞼を閉じたカンタレッラは確実に眠りに落ちていた。本当に、天使のような美しい寝顔だ。
そっと身体を起こすと安堵感で深い溜め息が唇を割った。家にある中で一番分厚い毛布を運んできてカンタレッラにかぶせ、私は二階へ上がった。




