少年、現れる。 15
その後私は最初から決めていた大学ノートの四冊セットを手に取り、次に鉱石の棚を眺めることにした。見慣れた古株の中に新顔の蛍石と琥珀が何食わぬ顔をして紛れ込んでいる。今日もまた進化の過程を見ることができた。
「何これ。どうして石が文房具店に売ってあるの?」
突然カンタレッラの声が背後から聞こえた。振り返ると、さっきまで万年筆を見ていた彼がそこに立って、私の肩越しに鉱石の棚を訝しげな顔で眺めている。
「祖父の趣味が鉱石採取だったんだよ。だから商品として取り扱いたかったらしい。今はただそれを引き継いでるだけ」
カウンターからハヤさんが返事をした。
「それだったら初めから鉱石の店をやればよかったのにって思ったよ。まあ当時の需要ってのが問題だったのかもしれないね」
ふうん、と気のなさそうに頷くカンタレッラ。
「つゆり。こういうの好きなのか?」
「うん」
「ショッピングモールでもこういう石を取り扱ってる専門店があったよ」
「でもああいうところは綺麗に研磨されて形を整えられて……ストラップやアクセサリーとして売られてるのが多いでしょ? 私はここにあるように、自然から運ばれてきたばかりで人の手がほとんど加えられてない、みたいなのが好きなんだよ」
「へえ。つゆり、死んだ祖父と同じようなこと言ってるな」
ハヤさんは嬉しそうにそう言った。その表情や口調、高卒でお祖父さんの店を継ごうとしたことからも彼女がかなりのお祖父ちゃん子だったということはよくわかる。
カンタレッラは棚に手を伸ばした。色や手触りを吟味する様子もなく次々と鉱石を手に取っていく。水晶、紫水晶、電気石、蛍石、琥珀を一個ずつ手に取ると、値段を確認しないまま真っ直ぐカウンターへ持っていった。さっさと会計を済ませ、店を出ていく。私は慌ててノートだけを購入した。
「毎度ありがとうございました。またね、つゆり」
「はい」
ハヤさんに会釈して、私はカンタレッラを追って店を出た。
「ちょっと、カンタレッラ――」
店を出てすぐ視界に入ったのは、カンタレッラが買ったばかりの鉱石全てを箱から取り出している姿だった。包んでいたグラシン紙を雑に剥がすと、中に入っていたものをまとめて地面に落とした。その真上に右足を上げる。
「――――」
踏みつけようとしている。
それを理解した瞬間、私は体当たりするようにカンタレッラを両手で突き飛ばしていた。地面に転がった彼を気にする間もなく、鉱石を拾い上げる。
「あ、あなた……今何を、しようと……」
「何って、その鉱石が欠けるくらい踏みつけてやろうとしてただけだよ」
起き上がり、コートについた砂を払いながらカンタレッラは悪びれもせず答えた。とっさに私は鉱石を庇うように彼から距離を取る。
「なんでそんなことを?」
「あのお姉さんが、自分の売ったものが自分の店の前で壊されているのを見たらどう思うんだろうなって思ったからさ。もう売ってしまったものだから、客が自分で買った品物をどうしようとその客の自由だよね。……でも、やっぱりひどい扱いを受けたってことを知ると少なからず傷つくだろうな」
カンタレッラは一見すると慈愛を象徴する天使のように、優しい微笑を浮かべた。
「つゆり。ぼくはね、どのくらい傷つけたらその人が壊れるのかっていうのが気になる。ジェンガと変わらないよ。どのくらい抜いていけば、不安定になって、崩れていくのか皆気にするだろ」
「…………」
最低、だ。
思わず私は手の中にある鉱石を強く握りしめ、カンタレッラを睨みつけた。
「それ、あげるよ」
「……は?」
カンタレッラは私の両手を指差した。
「どうせ、ぼくが壊そうとする限り返してくれないだろうからね。それならきみがもらってくれよ」
それから彼はくるりとダンスのターンをするように踵を返し、何も入っていない空の箱だけを持って去っていった。
「…………」
カンタレッラの後ろ姿が見えなくなってから、私は握りしめていた鉱石に視線を落とした。
無色透明でシンプルな水晶、神秘的な菫色の紫水晶、西瓜のようなバイカラーの電気石、湖底を想わせる半透明の蛍石、蜂蜜が固まったようにも見える琥珀。
値段は決して安くなかった。簡単に受け取ってしまっていいのだろうか。だからと言って返してしまえばカンタレッラが壊すだろうし、私はそれを防ぎたい。返品しようかという考えが浮かんだが、一度地面に落したうえに買った本人がいない場合は無理かもしれない。何より、せっかく買ったものを返品してはハヤさんが悲しむかもしれないから駄目だ。
「…………ああ、もう」
私は地面に落ちていたグラシン紙を拾い、再び鉱石を包み直した。そしてノートが入った袋に入れると商店街に向かって歩き始めた。
もう少しで商店街を抜けるというとき、向かいから同年代の少女がやってきた。目を凝らすと、雛月だとわかった。洒落た桜色のプリンセスコートを着て、寒いからか顔を俯けている。そう言えば雛月の家は《ヒコボシ》の近くだったと思い出しながら、声をかけた。
「雛月」
けれども雛月は聞こえなかったのか、顔を動かすこともなく歩き続ける。
「雛月っ」
「えっ? あ、つゆり……」
おや、と思った。立ち止まって顔を上げた彼女の目は赤く充血していて、まるで泣き腫らした後のよう。カンタレッラとデートの最中、一緒に感動ものの映画を見ていたのだろうか。そう思っていると彼女の目からはみるみる涙が溢れ出してきた。
「ひ、雛月?」
「うっ……ひっ、く……」
慌ててすぐ傍に駆け寄り、私は雛月の背中を撫でた。
「大丈夫? どうしたの?」
「……ひっ、う……。な、なんでもない……ごめん、いきなり」
「なんでもないって……」
塩辛そうな大粒の涙をぼろぼろと零す様子を見せられながら、なんでもないと言われて納得するわけがない。
コートの袖で乱暴に目元を擦ると、雛月は無理矢理作ったようにしか見えない笑みを浮かべた。
「もう大丈夫。私、早く帰らないといけないから……」
「ちょっと待ってよ、雛月。本当に何があったの――」
「なんでもないってば!」
伸ばしかけた手を払われた。唖然とする私に雛月はしまったと言うような顔になる。
「ねえ。もしかして――カンタレッラと何かあったの?」
「……っ」
その途端、雛月の瞳が揺れた。
「ち、がう。そうじゃない」
否定するが、雛月は嘘をつくのが下手だ。また泣きそうな顔になっている。しかし大体の事実がわかった今、ここで彼女を追い詰めるつもりはない。
「そう。ごめん、引き止めて」
私が謝ると雛月は唇を噛んで走っていってしまった。
雛月は、私達二年二組の生徒と同じようにカンタレッラからの攻撃を受けたに違いない。恐らくデートの最中に。私達は普段からカンタレッラを警戒していて、武装もしている。鎧の細かな隙間を狙われるけれど痛みに対する覚悟はある。けれども雛月は違う。警戒心や覚悟なんてまるでなくて、丸腰だったところを攻撃されたのだろう。
最初のうちは楽しいデートをしていて、いい雰囲気になっていたのかもしれない。そして突然ひどいことを言われたか、途中で一方的に別れを告げられたか、あるいは告白をした後にこっ酷く振られたか。
決して高慢ではないがプライドが高い方で、時々ちょっと見栄っ張りな面もある彼女のことだ。あれほど傷つきながらも、自分の引け目を周囲に露呈させたくないがために傷ついた事実を誰にも話すことができない。実際、親しい仲の私にも頑なに言おうとしなかったのだから。
「……っ」
柄にもなく思いっきり、舌打ちしたくなった。
カンタレッラの行動が許せないからとか、雛月を泣かせたからとか、そういうもっともらしい理由じゃない。残酷で意地悪な彼のことを何故か本気で嫌悪できない自分に気づいたからだ。




