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少年、現れる。 14

 相手はやはり、カンタレッラだった。黒いテーラードコートを着て、首には薄い水色のストールを巻いている。

「……雛月とは」

「ああ、あの子ね。もう別れたよ。この商店街にはついでに寄っただけさ」

「そう」

 身体を押さえつけていたカンタレッラの手が離れると、私は急ぎ足で路地から出て再び商店街を進んだ。何故かは知らないが、まるで当たり前のようにカンタレッラがついてきた。行き交う人々の視線を痛いほどに感じる。

 学校では表彰状を受け取るときなど、体育館の舞台に上がって注目を浴びることはよくある。しかし町中で見知らぬ人からの視線をこれほど感じたことはなかった。

「どこに行くのか教えろよ」

「どうせこのままついてくるんでしょ」

「まあね」

「なら教えなくてもいいじゃない」

「ふん。つまらない」

「どうとでも」

 私はすっかりカンタレッラとの言葉の応酬に慣れてしまった。

 やがて商店街を出た。それまでアーケードに遮られていた暖かい日の光が全身に降り注ぐ。

「商店街の外にあるのか?」

「うん。もうすぐ……ほら、あそこ」

《ヒコボシ》は商店街からあぶれた店の中でも、一際目を引く外観をした文房具店だ。母さんが子供だったときから存在していたというこの店はレトロモダンという言葉がしっくりくる。当初は真っ白だったのだろう壁は時代と共に深みある色合いに馴染んいる。黒い屋根は重々しく、立派な黄金葛が絡みついた四方を囲む柱もそれに同じく墨を広げたような黒。こればかりは色褪せることがないらしい。

「文房具店、ヒコボシ?」

 看板に書かれた店名を読み上げるカンタレッラ。

「うん。私はここに用があるんだけど、カンタレッラは帰る?」

「いいや、せっかくだからぼくも見てみるよ」

 銅色のドアノブを回して押せば、ちりん、というベルの音。店内を眺めれば、外から見るよりも奥行きがあって、ずっと広く感じられたことを今でも覚えている。私が初めて《ヒコボシ》に訪れたのは、まだ小学三年生の頃だった。

 店内には様々な文房具が所狭しと陳列されていた。普通のノートやペンだけでなく、懐かしさを覚えるロケットペンシル、高級ブランドの万年筆、普段あまり見ることのないガラスペンや羽根ペンまでもが、この店では気軽に見ることができる。そして片隅に鉱石の棚まであるのが普通の文房具店との違いだ。種類は少なく、新しい鉱石が入荷されることはほとんどない。入荷があるとしても細々と数点増えるくらいだが、そのゆっくりとした変化が緩やかな自然の進化を思い起こさせて私は好きだ。

「いらっしゃいませー。……あ」

 すぐ隣に大きな振り子時計が置かれたカウンターの向こう。店番をしている若い女性が私を見て微笑んだ。店主の姪で、私達客がハヤさんと呼ぶ――本名は知らない――彼女はまだ十九歳。亜麻色の髪を胸まで無造作に伸ばし、化粧っ気はないが小奇麗な顔立ちをしている。

《ヒコボシ》はハヤさんの祖父が最初の経営者だったらしく、そのお祖父さんが亡くなってからは彼女の叔父さんが継いだ。そして都会の高校を卒業したハヤさん自身もすぐにこの田舎へ来て、進学することなく叔父さんと一緒に働き出したのだと言う。

 大好きだった祖父の店だから継ぎたいと思った。以前話を聞いたとき、ハヤさんは笑ってそう言っていた。

「つゆり。久しぶりだな」

「お久しぶりです、ハヤさん。叔父さんは?」

「常連になった若い女性客との食事に行ってるよ」

 肩を竦めたハヤさんに、私は「ああ」と納得する。彼女の叔父さん、つまり現在の《ヒコボシ》の店主はもうすぐアラフォーだというのになかなか格好いい風貌をしていたことを思い出す。しかも独身だったはずだ。

 やがてハヤさんは私の後から店内に入ってきたカンタレッラに気づき、目を見開いた。

「随分と綺麗な男の子連れてるね。友達? 彼氏?」

 私が答えるよりも先に、カンタレッラが口を開いた。

「こんにちは。ピアチェーレ、シニョリーナ」

「え、今なんて言ったの?」

「初めまして、お姉さん。って意味です」

「アザミ・カンタレッラといいます。最近ミラノからつゆりのクラスに転校してきたばかりで、今日は一緒に買い物をしに来ました。つゆりとは友達です」

「へえ……すごいな、ミラノってことはイタリアか。じゃあさっきのイタリア語? イタリアって言ったら、ピザじゃなくてピッツァと言わないと通じない長靴の国だっけ」

 そう言ったハヤさんの中ではイタリアのイメージがどんなものなのか、私は容易に想像できた。

「あなた、嘘をつくのが得意だね」

「半分は嘘じゃないよ」

「つまり半分は嘘ってことじゃない」

「半分は事実だからいいだろう」

 イタリア語で会話を始めた私達に、ハヤさんは面白そうな視線を向けていた。

 

イタリア語メモ


 ピアチェーレ(Piacere) 「初めまして」「お会いできて嬉しいです」

 シニョリーナ(Signorina) 「お嬢さん」「お姉さん」

 英語のミスと同義。未婚女性への敬称に使われる。

 

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