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少年、現れる。 13

「いいよって答えたよ」

「本当っ?」

「うん」

「ありがとう、つゆり。本当にありがとね!」

「私はただ伝言しただけだよ。じゃあ、頑張って」

 二年一組の教室から雛月を呼び出し、カンタレッラの返事を伝えたのが二日前。今日は雛月とカンタレッラの二人が買い物――デートに行く、日曜日だ。

 今頃二人はどの店で買い物をしているのだろうか。時々そんな想像をしながら、私は自宅のリビングでイタリア語検定の勉強をしていた。今までの五級、四級はなんとかなったが、さすがに三級は厳しい。

 私の場合は会話やリスニングが得意で、文章を書くことが苦手だ。だからひたすらノートに単語や文法を書き、口に出して読むことで暗記する。外国語を学ぶというのは英語もイタリア語も関係ない。会話だけだったら父さんのおかげで自信がある。

「三級って普通は大学二年修了程度の学力がいるはずなのに、中学生で挑戦しようと考えてるあなたって本当すごいわ。こんなに賢くなっちゃって、やっぱり母さんと父さんの娘ね」

 昼食を終え、食器を洗う母さんが誇らしげに言った。

「ねえ。次は父さん、いつ帰ってくると思う?」

「うーん……。最後に帰ってきたのが元日から三日間だったから、もうしばらくは待たないとね。多分つゆりが三年生に進級した後になると思う。昨年と同じだったらゴールデンウィーク辺りじゃない?」

「そっか」

 声を聞くだけなら私が持つ携帯電話からでも国際電話を利用することができる。でも、国際電話は料金が高いから頻繁にかけることも長電話することも憚られる。それに声だけで顔を見ることができないというのはなんだか虚しい。だから私は父さんと会う日をいつも待っている。

 やがて使っていた大学ノートが最後のページを迎えた。ふとシャープペンシルを動かす手を止め、母さんに訊ねる。

「母さん。新しいノートある? もう最後のページになったんだけど」

「……多分ないわね」

 全ての食器を乾燥機に入れた母さんは手を拭きながら答えた。

「じゃあ今から《ヒコボシ》に行って買ってくるよ」

「あ、じゃあついでに鰹節と煮干しを買ってきてくれない? さっきちょうど両方切れちゃって」

「うん。《三島乾物》だよね」

 私は母さんから財布を預かり、この冬に買ってもらったモッズコートを着て、寒い外へ出た。

 黄昏町の町外れには、二年前に完成したばかりのショッピングモールがある。大手スーパーマーケットを中心に、各種の専門店やブティックが軒を連ね、映画館も併設されているその建物は、こんな田舎町の人間が気軽に都会気分を味わえる貴重なものだ。二年前から黄昏町の住人は買い物をする際は必ずと言っていいほどそのショッピングモールを使うようになった。今頃、雛月とカンタレッラを含めた大勢の若者や家族連れで賑わっているのだろう。

 けれども当然、昔からこの町にあった店舗で買い物をすることの方が多い人もいる。私と母さんもそれに含まれる人間だ。

 目的の店はアーケード付きの商店街にある《三島乾物》と、その商店街を出て少し歩いた先にある《ヒコボシ》。まずは商店街に入らなければいけない。古びたプラスチックの天井は高く、日差しと雨を遮るだけの役割だ。

「あら、つゆりちゃん。こんにちは。お母さんのお手伝い?」

「はい。こんにちは」

《三島乾物》の店内に入ると、すっかり顔馴染みになった店長のお婆さんが私を見つけて微笑んだ。

 ミイラのように乾燥した野菜や魚介類、ドライフルーツなどがぎっしりと並んだ棚からは懐かしい匂いがする。年季を感じさせる店内は、私の一番古い記憶に残っているままだ。

「いつもの鰹節と煮干しを買いに来ました」

 私が財布から千円札を二枚抜き取って言うと、お婆さんは商品とお釣りだけでなく、カウンターの下から飴玉が四つ入った透明な袋を取り出した。それらを皺だらけの小さな手で、まとめて《三島乾物》と赤い文字で書かれた白い袋に入れてこちらに差し出してきた。

「はい。毎度ありがとうね」

「あの、これって」

「サービス」

 お婆さんはうふふと笑って、私の頭を撫でた。こんなふうに営業としてではない人との関わりを大切にしてくれる店も、ショッピングモールではそうそうお目にかかれないだろう。

「また来てね。つゆりちゃん」

「ありがとうございます」

 私は頭を下げて、店を出た。

 次は《ヒコボシ》だ。大学ノートの四冊セット以外に、他に何か欲しいものが見つかるかもしれない。だから私は母さんから預かった財布に、余分な金を入れておいた。小学生のときから通い詰めているあの店は、ショッピングモールにある大手文房具メーカーの店よりも珍しいものが売られることがあると知っている。

 鰹節と煮干し、そして飴玉が入った袋をがさがさ言わせながら《ヒコボシ》に向かっている最中、私は「えっ」と声を上げそうになった。前方からこちらに向かって歩いている少年が、カンタレッラにしか見えない。もう雛月とのデートは終わったのだろうか。周囲を行き交う人々はその天使と見紛うほどに美しい少年を見て、わざわざ振り返ったり立ち止まったりしている。

 私は彼に見つかるまいとして、直ちにモッズコートのフードをかぶって踵を返した。《ヒコボシ》へ行くには遠回りになる人通りのない路地へと足を踏み入れたが、十歩も進まないうちに後ろから肩を掴まれた。壁に身体を押しつけられる。

「ねえ、どこへ行くんだ。もっとゆっくり歩けよ」

 

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