少女、付き添う。 1
「次の授業からは理科室で顕微鏡を使うぞ」
以前の授業で、理科教師の鳥越先生がそう言った。今日がその顕微鏡を使う授業が行われる日だ。重たい顕微鏡の入った箱を班ごとに一つ用意する。大抵は力のある男子が理科準備室から運び出し、その後で女子がコンセントを差したりレンズ調整をしたりというようになっている。明確にその役割が決められているわけではないが、この二年二組ではいつの間にか自然とそうなっていた。
二年二組の生徒は三十人。男女の人数はほぼ五分五分だ。理科室では掃除のときとは違う五つの班になっていて、一つのテーブルみたいな机に六人が集まって座る。
私は教卓の正面にある二班だ。一人の男子が顕微鏡を持ってきて、机の上にずしっと置く。もう一人の男子が教卓から持ってきたスライドガラス二枚を受け取り、私はそのうちの一枚(ボルボックス)を顕微鏡にセットし、調節ネジをつまんで動かし始めた。
「……ねえ。つゆり」
「何?」
なかなかピントが合わないことにわずかな苛立ちを感じていると、隣にいた密が声をかけてきた。
「なんか最近、アザミと距離取ってない?」
「…………」
図星だ。
あの日曜日――つまりカンタレッラが雛月を泣かせた日以来、私はできる限り彼と会話をしないようにしていた。
カンタレッラは相変わらず一人で浮いていて、時々クラスメイトを傷つけたり、隣のクラスや他学年の女子からアプローチを受けている。雛月はというと月曜日に学校を休んだ。その翌日からは普通に登校しているが、明らかに今までと違うどこか暗い表情でいることが多くなっている。私と会話することも減った。
「無言は肯定って判断するからね」
「…………」
やがてボルボックスがはっきりと見えてきた。私は手早くプリントにそれをスケッチすると、班員の男子達にもボルボックスを観察させた。
「今さらだけど何かされたの? 前よりもっとひどいこととか」
「まあ、そんな感じかな」
私が曖昧に頷くと、密はもう一枚のスライドガラス(ミジンコ)を手で弄びながら溜め息をついた。
「彼って何がしたいのかしらね」
「さあ……」
「ま、天使や悪魔の考えてることなんてやつがれ達にはわからないけど」
「うん……」
不意に、ぱりんっという小さな音が聞こえた。直後隣の班から女子の短い悲鳴が上がった。
「先生! 大変!」
「アザミがガラスで手ぇ切った!」
その言葉にクラスメイト達は浮足立った様子で席から立ち上がる。私も首を動かすと、彼の右手から赤い血が滴っているのが見えた。
鳥越先生は慌てて教卓からカンタレッラの元に駆け寄る。窮屈そうな白衣の上からでも、その豊満な贅肉が揺れているのがわかった。
「だ、大丈夫か?」
カンタレッラの右手首を取ったが、彼の指から流れる血を見た瞬間鳥越先生の顔は青褪め、喉から引き攣ったか細い声が出た。
「――そう言えば鳥越先生、本物の血を生で見るのは苦手だって言ってたっけ。あれ本当だったんだ」
「よく理科の先生になれたわよね」
「ねえ密。ミジンコのスケッチ、できたら私の分もお願い」
「えっ」
私は自分のプリントを密に預け、席を立った。
「鳥越先生。私がカンタレッラを保健室に連れて行きます。いいですか?」
「え……? あ、ああっ。わかった。頼むぞ安居院」
「はい」
さっきから自分の血を眺めているカンタレッラの肩を叩いた。するとカンタレッラの整った顔はゆっくりとこちらを向いた。
「早く保健室に行くよ。指の付け根を強く押さえて心臓より高い位置に上げて」
「わかった」
カンタレッラは大人しく私の指示を従った。それが妙にしおらしい態度に見えて、らしくないなと思ってしまった。




