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ひとりブランデー

一人部屋に残された美香は窓際のソファーに座りずっと外を眺めていた。






達也さんと祐介さんの間に何が起こっていると言うのだろう?





達也さんが祐介さんに殴りかからない事をひたすら祈る。






そして間違いなく原因はうちだ…。





そうなると自動的に自分が悪いという考えにたどり着き、胸が痛くて涙がこぼれる。






何がいけなかったのだろう?また何か悪いことをしてしまったからこうなっているんだろう。






色々と振り返れば振り返るほど自分の取った行動の全てが、発言の全てが負の産物であるかのように思えてくるのである。




今までにも増して自分の存在を嫌いになってゆく。どうしてきちんと出来ないのだろうか?どうしてそんなにもトラブルメーカーなのか?なぜ人と波風を立てない様に穏やかな関係を築けないのか?





募りに募る自分への激しい嫌悪感に美香は泣きはらした。色々と頑張ってきた事もあるけれど、もう生きていたくないという思いまで生まれていた。




その後は食欲も全くわかなくて ただ窓辺に居続けた。





もしかして…達也さんはうちが売られかけた事を知って部屋まで訪ねてきたのだろうか?ふとそんな事がぼんやりと頭に浮かんだ。





でも奈津美さんと付き合ってる人がそれを知ったとしてもどうなると言うの?





祐介は達也とレストランの前で別れた後、こともあろうに再び店内に戻った。





コーヒーをもう一杯頼みさっきまで腰掛けていたソファーにもたれる。





少しの間、一人になりたかったのだ。






一人になって美香の部屋に戻った時に何と言っていいかシュミレーションしたかった。






何が起きたのかをありのままに話せば良いだけのことだけれど…達也に初めて会って少し話しただけなのに自分は彼の足元にも及ばない男だという気がして初めからありもしない自信を失っていた。





まず、美香たちが別れた理由は間違いなく奈津美だけれどそれには誤解が生じたままなのだ。





達也は美香を完璧に裏切ったわけではなかった。






それを彼女が知ったらやっぱり達也とよりを戻したいのではないか?






そんな思いが浮かび そうなると自分の存在など彼女にとってはどうでもよくなってしまう…。






得たいの知れない大きな不安で埋め尽くされる。





やっぱり僕は最初から彼女を幸せにできる存在ではないのかも知れない…。





第一こんな風に自分の身ばかりを案じている時点でダメな奴だ。





結局、30分以上も窓の外を見ていたが頭が空っぽでシュミレーションなんてものが全く出来ずに暗い気持ちで部屋へ向かう。





エレベーターの中でふと腕時計を見て朝から何も食べていないことに気がついてロービーまで引き返した。美香ちゃんもきっとお腹がすいているんじゃないか…。





ホテルを出て数分歩いた所でたまたまバイキングの店が目に入る。そこで持ち帰り用のパックを二つ詰めて戻った。





そっとチャイムを押すと憔悴した表情の彼女が部屋を開けてくれた。






「ずっと何も食べてないから買ってきた…。」





祐介はそう言うのが精一杯でビニール袋を顔の前に突き出す。






「あっありがとう…」美香は弱々しくお礼を言って袋を受け取りミニキッチンのカウンターに置いて結ばれている袋をほどこうとしている。






ふと彼女の横顔を見ると泣いているのか手が止まっている。





「美香ちゃん?」







「ごめんなさい…。なんか全部うちのせいやんな…。」







その目からは涙が溢れて頬を伝う。






「違うよ。美香ちゃんのせいじゃないから!」






祐介は駆け寄って彼女を抱きしめた。





でもさっき指一本触れないと自分で言ったばかりなのに…。





同時に矛盾という苦い思いがじわっとなだれ込む。





「なんでいつも上手くいかへんのやろう……。」






「上手くいかなくても好きだから。僕は美香ちゃんの事をずっと好きだから。」






「それホンマなん?」






「僕の方から美香ちゃんの事を嫌いなることはないよ。絶対にない。」





「ホンマに?うちは自分が嫌い。ホンマに嫌いやねん!もう死ねばいいのにと思った…。」






祐介はたまらなくなって美香を強く抱き締めた。





貴女には一瞬でもそんな風に思って欲しくない。貴女のいない人生なんて僕はもう耐えられないし、もっと元気になれるように傷つけてしまった分以上に何でもしてあげたい。何でも捧げたい。



死にたい…。中学一年生の時に初めて湧き出た感情だった。

その感情に付きまとわれて数年。

「絶望」―望みがないこと・望みが絶たれている様。これってまさに僕の人生そのものを表す言葉ではないかと思い続けた日々。

祐介は美香の言葉に身を切り刻まれるような気持ちで彼女が息を出来ないくらいギュッと抱き締めた。






どのくらいの時間が経ったのだろう?少し気持ちが落ち着いたところでやっと昼食を食べる。






やっぱり食欲がなくてあまり食べられない。







「達也さんと何話したか聞いてもいい?」







「うん…。達也さん、僕がやくざの息子として美香ちゃんに近づいたのを知って 止めてくれないかって話に来たんだ。でも僕は美香ちゃんに話した事と同じことを全部話したよ。そしたら分かってくれた。」






「そっか…。」






奈津美とのあの夜は誤解だった事は黙っているかたちになってしまった。






わざと彼女にはそれを言わなかった…。





もし言ったなら…? きっと僕は捨てられてしまう…そんな恐れが自分にとって不利な内容に蓋をさせたのだった。もう絶望の人生に死んでも戻りたくなし、戻るとしたらその人生を歩いてゆく気力がないからこの人生を自分で終わらせるのだろう。





「達ちゃんね、ずいぶん飲まされてしまったみたいで。奈津美ちゃんが家まで送ったらしいのよ。それだけの事みたい。」……美香の中でふと、あの時の恭子ママの言葉がよみがえる。





達也さん、本当は奈津美さんと何でもなかったのかも知れない。





でも…あの二人は今は付き合っているはず。まるで美香の耳にわざと入れるかのように奈津美が店のロッカールームや待機席で繰り広げる達也のについての会話。





「今日は達也くんのマンションでお泊りの予定だから早く帰りたい」とか「来週は達也くんとお買い物」





全く彼のことが気にならないかと言えば嘘になるけど…





達也さんは達也さんで新しい人といる。うちにも祐介さんがいてる。





だからもう終わっていることなの。





その夜、病的に寂しくて胸が張り裂けそうで祐介に泊まっていて欲しかったけれど「泊まっていって下さい」と言えなかった。





ただ手を握って髪をなでて一緒に添い寝がしてもらいたかった。昔からこうされると ものすごく幸せな気持ちになるし心が安定した。





少なくとも達也さんになら「泊まっていって下さい」と何の躊躇もなしに言えた。

添い寝をしながら面白い話をしてくれて、気がつけばまた明日から元気に頑張ろうと思わせてくれる。





その夜、祐介が帰ってからも美香は窓辺のソファーに座り外を眺めていた。





振り返ろうとしていないのに どうしてか達也との思い出がなだれ込んでくる。






心が晴れなくて寂しくてブランデーの水割りを何杯も飲んだ。






何も考えられなくなるまでこれを飲み続けて眠ろう。明日は月曜日だし、大阪へ帰ろう。

せっかく9月末まである長い夏休みを有効に過ごさなくては…。






祐介は運転中にも美香のことが気になっていた。





本当はもっと一緒にいたかったけれど もしかして彼女は一人になりたいんじゃないか?

自分がいない方がいいのではないか?




今すぐにホテルまで引き返そうかと思ったり、やっぱりこのまま帰ろうと思ってみたり、

この2つの考えを行ったりきたりし続けているうちに やがて家に着いてしまった。





自分の部屋に入っても美香のことしか考えられない。

彼女は一人がいいのか、誰かに一緒にいて欲しいのか?





居間では淳史と一家の男達がうるさく飲み明かしている。朝までどうでもいい事を話しながら騒ぐのだろう。いつものことだ。





もしかして、彼女が一人でいる間に心が僕から離れていってしまったら…。

本当に一人になりたかったのだろうか?





今更ながらそんな思いに駆られて取り乱しそうになる。





祐介は何もせずにいられなくてホテルに電話を入れてしまった。

美香の部屋につないでもらう。





「美香ちゃん遅くにごめん。なんか一人で大丈夫か心配になって…」






「うん、大丈夫。ありがとう」






そう言いながら電話口の向こうで彼女が泣き始めたのが何となく分かった。





「何で僕帰って来ちゃったんだろ?ごめん。美香ちゃん辛いのに」






「ええの、うちも一緒に居て下さいと言えへんかった。ホンマは一緒に居て欲しかったねん。でも言えへんかって ごめんなさい」



そっか、やっぱり一人で居たくなかったんだ。

どうしてすぐにそれを察してあげられなかったのだろう。

自分の鈍感さが腹立たしいし、彼女をまだ深く理解出来ていないという事が寂しかった。



「今から行っていい?」





「え?」





「明日バイトもないし。美香ちゃんのことが心配だから」






「ホンマに? いいの? ありがとう…」






祐介は着替えをバッグに詰めてすぐに部屋を出た。





淳史に返した車の鍵を再び借りる。





酔っ払っている淳史の舎弟どもに話しかけられたが耳に入らなかった。




夢中で車を飛ばして美香の部屋のチャイムを押す。





パジャマに着替えている彼女がドアを開けた。





「一人にしてごめん…」






祐介と長いことその場で美香を抱きしめ、ふとテーブルに置かれている飲みかけのブランデーを見つけた。





可哀想に…。一人で飲んでいたんだ。飲まなければいられないほど辛かったんだね。





美香の体は熱くて肩で息をしているような揺れ方だった。





そっとベッドに横たわった後はまるで安心したかのように安らかな寝顔を見せる。





祐介はその寝顔を見つめ続けた。



辛いことがあればもっと僕を頼って下さい。

何の助けにもならないかも知れないけれど あなたが元気を取り戻すまでずっとそばにいるから。

僕の前では強がらなくていいし、沢山泣いていいんだよ。




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