4.影の薄い俺は初めて尋問される
尋問室、と彼女たちが呼んでいるのは、旧校舎の三階にある空き教室だった。
窓にはカーテンが引かれ、中央に椅子が一脚。そこに俺は座らされ、四人の少女に取り囲まれていた。いつの間に合流したのか、鷹宮紫苑と七瀬ノアもいる。王女の姿はない。別の場所で、黒服の大人たちが護衛についているらしい。
「――名前は」
竹刀袋を肩に担いだ氷室凛が、俺を見下ろして言った。
「灰原だ。さっきも言った」
「灰原……」
氷室凛は眉をひそめ、懐から手帳を取り出してぱらぱらとめくった。
「一年B組の名簿に、そのような名前はない」
「書き忘れだ。」
「……そんな馬鹿なことがあるか」
「ある。俺の人生では、よくある」
氷室凛が、何とも言えない顔をした。
その横で、七瀬ノアがタブレットを俺に向けて、画面を何度もタップしている。
「……おかしい。熱源センサー、反応なし。顔認識、反応なし。……目の前に、いるのに」
ノアは眠たげな目をぱちぱちさせて、俺の顔と画面を交互に見比べた。
「……あなた、幽霊?」
「生きてる」
「……じゃあ、新型の、光学迷彩とか着てる?」
「ただのカーディガンしか着てない」
「……理解不能」
ノアは、タブレットを抱きしめるようにして、じっと俺を見つめた。なんだか、珍しい虫を見つけた子どもみたいな目だった。
「まあまあ、凛。尋問は優しく、ですわ」
鷹宮紫苑が、ふわりと微笑みながら前に出た。
俺の前にしゃがみ込み、目線を合わせる。蜂蜜色の髪から、甘い花の香りがした。左目の下の泣きぼくろが、妙に色っぽい。
「それで、灰原さん。麗様とは、どういうご関係ですの?」
「隣の席ってだけだ」
「それだけ?」
「それだけ」
「卵焼きを『あーん』して差し上げていたのに?」
「してない」
「あらあら。でも、麗様はとても幸せそうなお顔をしていらっしゃいましたわ。……わたくし、あんな麗様のお顔、久しぶりに拝見しましたの」
鷹宮紫苑の瞳が、きらりと光った。
尋問というよりは、なんというか、面白いおもちゃを見つけた人の目だった。
「紫苑。私情を挟むな」
「挟んでおりませんわ。事実を申し上げているだけですの」
「ひなた、こいつどうするっすか? ぐるぐる巻きにして校庭に埋めるっすか?」
「埋めるな」
「じゃあ、屋上から吊るすっすか?」
「吊るすな。……まったく」
氷室凛は、深々とため息をついた。
そして、竹刀袋の先端を、俺の鼻先にぴたりと突きつけた。
「灰原、とか言ったな」
「ああ」
「お達しは聞いていただろう。いかなる男子も、麗様のお傍に近づくことは許されない。本来ならば、この場で相応の処罰を与えるところだ」
「……」
「だが、貴様に悪意がなかったことは、麗様ご自身が証言されている。そして、座席表の不備は、我々の確認不足でもある」
氷室凛は、ほんの少しだけ目を伏せた。
意外と、公正な人なのかもしれない。
「よって、今回は不問とする。ただし、明日からは席を移動してもらう。廊下側の最後列だ。二度と、麗様に近づくな。――いいな」
「……わかった」
俺は頷いた。
別に、逆らう理由もない。
席が変わったところで、俺の人生は何も変わらない。これまで通り、誰にも気づかれずに、隅っこで本を読むだけだ。
ほんの少しだけ、胸の奥がちくりとした気がしたけれど、たぶん気のせいだった。
◇
翌朝。
俺は、廊下側の最後列の席に座っていた。
……つもりだったのだが。
「おい、灰原。そこは佐々木の席だぞ」
牧野先生に言われて、俺は首を傾げた。
「昨日、席替えしたはずですが」
「席替え? そんな話は聞いてないが」
「護衛の人たちが、先生に言ったはずです」
「……言われたかもしれないな。覚えてないが。とにかく、座席表ではお前の席は――」
先生は座席表を眺め、窓際最後列の空欄を指さした。
「ここ、空いてるな。お前、ここでいいんじゃないか?」
「……」
「よし、決まり。出席とるぞー」
かくして、俺は元の席に戻った。
王女の、左隣に。
ちらりと前を見ると、氷室凛が、何事もなかったように背筋を伸ばして座っていた。視線は教壇に向いたまま、微動だにしない。
俺は、おそるおそる声をかけた。
「……おい」
「む?」
氷室凛が振り返る。
その切れ長の目が、俺の顔をまじまじと見つめた。
「……貴様は、昨日の」
「灰原だ」
「……そうだ。灰……灰原。……名前が、どうにも頭に残らん」
氷室凛は眉間に皺を寄せ、額に指を当てた。
「……なぜ、そこにいる」
「先生が、ここにした」
「……あの担任は」
氷室凛は、深々とため息をついた。
「……まあいい。先生の指示ならば、仕方がない。だが、麗様に必要以上に話しかけるな」
彼女は、前に向き直った。
俺は、しばらく何も言えなかった。
知っていた。わかっていた。俺の名前は、一晩寝れば、たいていの人間の記憶から消えてしまう。
それにしたって、昨日あれだけの大立ち回りをしておいて、名前だけが綺麗に抜け落ちるとは。
「――灰原くん」
隣から、囁く声がした。
振り向くと、王女が、教科書で口元を隠しながら、こちらを見ていた。
「おはよう。……昨日は、ごめんなさい」
「……」
「凛たちが、乱暴をしてしまって。痛いところはない?」
青い瞳が、心配そうに揺れていた。
俺は、少しだけ驚いていた。
「……覚えてるのか」
「え?」
「昨日のこと。俺の、名前」
「当たり前でしょう?」
王女は、不思議そうに首を傾げた。
「あなたは灰原くん。私の隣の席の、推理小説が好きな人。お婆様の卵焼きは、とても甘い」
そう言って、彼女は、ほんの少しだけ笑った。
俺は、しばらく黙っていた。
それから、なんとか声を絞り出した。
「……灰原だ」
「ええ、知っているわ」
「……いや。一応、言っとこうと思って」
「ふふ。変な人」
王女は、くすくすと肩を揺らした。
そして、ふと真顔になって、身を乗り出すように、俺の耳元に顔を寄せた。
花のような、甘い香りがした。
吐息が、耳たぶをくすぐる。心臓が、勝手に跳ねた。
「ねえ、灰原くん。ひとつ、お願いがあるの」
「……なんだ」
「私に、『普通』を教えてくれない?」
「……ふつう?」
「そう。日本の、普通の高校生の、普通の毎日」
囁く声は、ひどく真剣だった。
「私、この国に来て、まだ一度も、ひとりでお店に入ったことがないの」
窓から差し込む春の光が、白金の髪を淡く透かしていた。
前の席では、氷室凛が微動だにせず教壇を睨んでいる。右では鷹宮紫苑が枝毛を探し、斜め前では七瀬ノアが寝息を立て、後ろでは獅堂ひなたが早弁に取りかかっている。
誰も、気づいていない。
この国で最も守られている少女が、この国で最も気づかれにくい男に、話しかけていることに。
「――コンビニ、というところに、行ってみたいの」




