9話・契約者
一か月前。
村人をオーガに変える【謎の液体】を切らしたメリッサは、あの男に新しい物をお願いするとあの男に仕える女の使用人が運んできた。
不愛想なその女からラリッサは液体を受け取ると、その女から忠告を受ける。
「今回譲るのは原液だ。だから必ず薄めて使えよ、必ずな。さもなくば、お前は悪魔に殺されるだろう。お前程度の力で、その悪魔を制御できるわけないからな。意味が分からない? そんな事はどうでもいいんだ。お前は所詮、駒なのだから。この計画を潰さないためにも、分量は守れよ。必ずな」
女は厳しい口調で、年上のラリッサになんども釘をさす。
ラリッサはそれを黙って聞いていたが、小娘にそこまで言われて心中穏やかではいられわけがない。
心の中にはタールのような真っ黒でねっとりとした怒りが、出口を探してうごめいていたが、後先のことを考えて必死に押し殺した。
それでも、顔には出てしまい、眉間にしわを寄せて女を睨みつける。
女は、それに気づくが小物は相手にしないと言った感じでそ、大きな縦ロールの金髪を揺らして帰ってゆく。
「ああ、その液体を譲るのもこれで最後だ。」
と、最後に一言残して。
ラリッサは、大きくため息をついて、革張りの高級そうに見える重厚な椅子に腰かけた。
「これ、原液で飲んだらどうなるんでしょうね……。もしかして、悪魔になれたりするんですかね」
ラリッサは、その液体を陽の光にかざしながらつぶやいた。
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「……おい、大丈夫かよ?!」
イオリはラリッサに問いかけるが反応はない。
何かを飲むと、急に苦しみだして口から血泡を吹きながら倒れ込んだ。
首には無数のひっかき傷の痕が刻まれていて、息をしている様子もなく死んでしまったように見える。
一言で表すなら、無残な姿だ。
(薬か何かを飲んで、自殺したのか?)
『ビリビリ……ビリビリ―――!』
突然、何かが衣類を引き裂く音が、辺りに広がる。
引き裂かれたのはラリッサのシャツとズボンだった。
背中からは白いシャツを、引き裂きながら大きな灰色の羽が生え、尻の部分からは太い蛇の尾のような物が、ズボンを突き破って顔を出した。
「……んだ、これ……」
「……ん?! これは悪魔のアモンよ!! 気を付けて!!」
とっさの判断で鑑定を使用したセルテはその正体を知ることが出来た。
悪魔アモンとは、一般的に大ガラスやホクロウの顔を持ち狼の体に蛇の尾生やした炎を吐く悪魔で序列7番目の侯爵とされるほど強大な力を持つ魔物だ。
セルテは、このままラリッサが目覚めてしまえば、アモンの力と交じり恐ろしい敵になると考えてイオリに指示を出した。
「イオリ!! 早く滅消で消して! 今なら効果があるわ」
「お、おう! 確かにそうだな!」
イオリは手のひらを、寝転がるラリッサに向けて滅消を放つ――が、その瞬間、ラリッサは目をカッと開くと本能で危険を察知したかのように、滅消をかわして上空に飛び立った。
ぐるぐると上空を飛び回りながら、自分の体の変わりようと賭けの事を思い出して、ラリッサは声高く笑う。
その姿は悪魔そのもので、セルテは恐ろしくなって体が小刻みに震えだす。
「それにしても、すごいですよ。この力は……」
今だかつて経験した事のない、みなぎる力にラリッサは驚きの言葉を漏らす。
そして、高く手を挙げて喜んだ。
ラリッサは謎の液体の原液を飲む事によって、オーガより少し上の魔物に変化できるかもしれないと予想していたが、結果はそれ以上だった。
一か八かの賭けに勝ったのだ。
「確か、あの女がアモンとか言っていたような……」
悪魔について少し調べていたラリッサは、アモンと言う口から炎を吐き出す悪魔の事を知っていた。
赤の系統を専門としていたラリッサと炎の悪魔のアモン。
相乗効果は計り知れない。
「これは、俺と相性のいい悪魔ですね……」
ラリッサは、口ばしになりつつある口を大きくあけて、自分力を試す為に炎を吐く。
それは、地獄門の送り火を遥かに上回る威力だった。
ラリッサは、確信する――勝利を。
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イオリたちは、アモンと化したラリッサの前に防戦一方とされる。
羽を得たことによって回避性をましたラリッサに、滅消をスイスイと避けられ、口から放たれる豪炎と両腕からの地獄門の送り火をなんとか天聖の壁で食い止めている状況だ。
何かを思いついたラリッサは攻撃をやめて天高く上空に飛ぶと、イオリたち目がけて一気に急降下する。
恐ろしいスピードで。
ステラとセルテは、ラリッサの進行方向に天聖の壁を唱えるが、それは焼け石に水のようなもだった。
ラリッサは天聖の壁に大きな穴を開けてぶち破る。
すると面前に、イオリが放った滅消が迫る。
「遅いですね……」
ラリッサは片方の翼を少しだけ広げ進行方向を変えて、滅消をスッと避けた。
メリッサにとってそれを避ける事は、人がアリを殺す事くらい造作もない事だ。
あとはこのまま腕をイオリに突き刺せばラリッサの勝ちだったが、ラッリサは両方の翼を広げ急ブレーキすると急旋回して、再び上空に飛ぶ。
そして、再び急降下する。
フクロウが鼠をもてあそぶ様に、余力を残しながら何度も仕掛ける。
目の前の人間の苦悩する表情を楽しみながら。
――フフフ、あの顔を見ながらワインを飲みたい気分だ。
――これまでの事を考えれば、一思いに殺すのは勿体ない。
――じっくりと、痛めつけてあげますよ。
死より恐ろしいものは、死に至るまでの過程だ。
僅かな生きる希望と目前に迫る死とのせめぎ合いに、人は恐怖する。
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時は夕刻。
上空ではラリッサが余裕を見せてなのか、拾った木の実を食べている。
対照的にイオリたちは、体力的にも精神的にもボロボロになっていた。
とくにセルテが著しく精神的にダメージを負っており、精神とリンクする魔法の精度も落ち始めている。
そこまで、著しくダメージを負ったわけは、両親、親族、村人がゴブリンにされたことを1人で背負ているからであろう。
セルテにも村人=ゴブリンという考えが、なかった訳ではない。
村人の減少と比例するように、増えていくゴブリンの数。
1日に攻めてくるゴブリンは10体だけだったが、十人十色でゴブリンたちにもそれぞれ個性があり、セルテはそれ記録していた。
その記録を見てセルテは、その仮説を立てたがそれを誰にも言わずに秘密にしてしまう。
みんな言ってしまえば村の中に動揺が広がり、余計に混乱するのではないかと思っての行動だったが、今となればそれは間違いだったのかもしれない。
――私が村をメチャクチャにしてしまった。
その言葉がセルテの頭の中を何千回とリフレインしている。
思考を乗っ取られたかのように。
そして、心が折れ、その場にへたり込んだ。
最初にセルテの異変に気が付いたのはステラ。
この村に引っ越して来た時から友達になり、師弟関係とステラは言うがはたから見れば2人は親友そのものだ。
母親がゴブリンに殺された時も、一緒に泣いてくれたのはセルテだった。
セルテは、1人で村を守り続けたとても強い人で、苦手なものはあるがそれでも精神的弱さを微塵に見せない完璧な人間だ。
ステラはそう思い込んでいた。
そんなセルテが、目の前で体を丸めながら震えて泣いている。
強くて、たくましく、何事にも諦めずに、ここまでゴブリンを退けてきたセルテが、目の前の悪魔に打ちのめされて、ついには心が折れてボロボロと涙を流す。
もしかして、勝てないのではないかという疑念がステラの心の中に湧き始める。
自分の手を見ると、震えていることに気が付いた。
これが死に対する恐怖なのかと、ステラはそれを実感しながらあの日の事を思い出す。
母親に手を引かれて、草原を抜け出そうとした時に、ゴブリンに囲まれ母親が食い殺されているに関わらず一目散に逃げ出した日の事を。
あの時も手がすごい震えていた。
――今回も逃げ出したい。
「おい、こら! なに、死んだ魚みたいな目をしてるんだよ!!」
この中で1人、諦めた目をしていない男は場の空気を壊すように叫んだ。
エアークラッシャーと馬鹿にされていた男の、真価の見せどころだった。
「まだ、諦めるのは早いだろ? 俺らがこうやって疲労しているように、相手だって同じくらい疲労してるはずだ。まだまだ、倒せる可能性はあると思うんだ」
イオリは疲れを見せない様に、作り笑いをステラとセルテに語りかける。
ステラが生気の無い目をこちらに向ける。
「おいおい、ステラさん! いつものような軽い雰囲気はどうした? そんな思い詰めてもいい考えは浮かばないだろ」
「……じゃあ、イオリには何かあるの? イオリだってさっきから魔法使ってないじゃん。本当は諦めてるんでしょ?」
「んなわけあるか!」
イオリはステラの頭に軽く拳骨を落としながら続けた。
「もちろん、考えはある。その作戦の為に魔法を使わずにためていたんだ」
「本当に?」
ステラの目に光が少し灯ったように見える。
イオリは胸を突き出して、大きく言った。
「ああ、勝つ作戦はある、だって俺は救世主だろ?」
「うん、そうだったー! 忘れてたよー」
イオリはステラの目に光が戻ったのを見て安心した。
あとはセルテだが、彼女はステラが居るから大丈夫だろう。
それは突然の事だった。
ボトっと鈍く重量感のある音を立てて、それは落ちる。
「……えっ?」
イオリはそれを見て、理解するまで時間が止まったように感じる。
落ちたのはイオリの左腕――いや、神の腕と言うべきだろう。
主を失った左袖が、侘しく風に揺れる。
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イオリはステラに1つ嘘をついた。
それは、魔法ためているという事だ。
ためていたのではなく、使用できる残り回数が1回しかないので使わなかったのだ。
人間なら誰でも、自分の体力の限界くらい分かるだろう。
イオリは自分の限界が目の前に迫っていることが分かっていた。
本来であれば立つのもままならい所を、わずかな精神力で立っている。
ただ、2人を守るために。
神の左腕が取れたのは、イオリの認識していない本能がそうさせた事だ。
自爆と言うくだらない作戦を実行させないために。
イオリの考えた作戦と言うのは、ラリッサにワザと刺されて、その状態で1発だけ残した滅消を放とうとしていたのだ。
0距離で放てば、いくら機動力のあるラリッサでも避けようがない。
それを阻止するために、本能は神の左腕を体から切り離した。
イオリと神の左腕が、不完全な結合だったゆえに成功した荒業だが。
これでイオリに残された手札は、何も無くなってしまった。
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ラリッサは、呆然と立ちすくむイオリの足元に何かが落ちている事に気が付く。
それは腕で、黒く忌々しいオーラを放っていた。
「あれは……もしかして……」
それが破壊神シーバの左腕だとすぐに理解して、ラリッサは羽を畳み地上に降りた。
ステラはこちらに向かってくる、ラリッサに向けて天聖の壁を唱えて時間稼ぎを狙った。
「い、いイオリ、それって……?」
「……」
ステラは、イオリに問いかけるが返答はない。
イオリは心が壊れてしまったように呆然としている。
生気のないイオリの顔を見てラリッサは鼻で笑う。
「案外もろいモノでしたね……彼も。もっと楽しませてくれると思ったんですが。僕の攻撃で精神が壊れたのですね。じゃあ、飽きたので……終わりにしましょう」
勘違いしながらラリッサは不敵な笑みを浮かべ、首の関節を鳴らしてステラに近寄る。
イオリは精神が壊れて立ち上がれないだろう。
なら、邪魔なこの女からだと、ステラの首根っこを掴み持ち上げる。
「うぐっ……離せ……」
ステラは苦しそうに顔をゆがめるが、目はまだあきらめていなかった。
イオリがなんとかしてくれると、信じているからだ。
ラリッサは、それが許せなくてイラつき左手を手刀のようにして、ステラの柔らかい腹に突きつける。
「貴方……命乞いすれば……私の奴隷にしてあげますが、いかがですか?」
ラリッサは、舌なめずりをしながら、いやらしく笑いステラに提案する。
ステラはその提案を断るようにラリッサの顔面に唾を吐き飛ばす。
そして、目で強い意志を表示する。
「ああ、そうですか……。では、逝け!!」
ラリッサは左腕を大きくテイクバックして。ステラの腹を目がけて手刀を突き刺す。
が、左腕が動かない。
それどころか、首根っこを掴まれたステラの表情が明るく輝いている。
まるで、救世主が訪れてかのように。
「……俺の、大事な人に何してるんだ」
それは虚ろな目をしたイオリだった。
虚ろではあるが何か明確な意思を感じ放つ、強い目をしている。
だが左袖は風に揺れたままだった。
「カスが……触らないでくれますか!!」
ラリッサはそのまま自分の左腕をイオリごと振ると、力なく転がりながら吹き飛んだ。
さて、続きをやりましょうと、左腕を再び手刀にする。
「ジャリ」
後ろで土を振り込む音がしたのでラリッサは振り返ると、そこにはイオリが拳を握って立っていた。
そんなに死にたいんですねと、ステラを放り投げイオリの元へと向かう。
イオリはステラに何かのサインを出した。
「貴方のような聞き分けの悪いガキは、私の手で殺してあげますよ」
「ハハ、悪魔の力を使わずにそんな事できるのかよ……」
イオリは力なく挑発するが、それは効果抜群だった。
血液が沸騰したかのようにラリッサの顔は赤くなる。
「そこまで言うのなら、なぐり殺してあげましょうか」
「望むところだ……」
イオリとラリッサは殴り合いを始めたが、ダメージを食らうのはイオリばかりで、ラリッサには拳すら届いていない。
しかし、イオリは何度も何度も立ち上がる。
次第にラリッサはその姿に恐怖を覚えた。
ああ、なんでこんなめんどくさい事に付き合っているんだと思い、殴り合いを捨てて魔法を放つことにする。
「……なんだ、もう終わりなのか?」
「貴方の命がね……」
ラリッサは地獄門の送り火を唱えた。
炎が迫りくる中、イオリはステラたちはちゃんと逃げ切れたか心配になった。
わざわざ殴り合いに持ち込むように挑発して、時間を作ったんだ。
もし、この世界でも救いきれなかったら、報われないなと思いながら目をつぶり死の到着を待つ。
しかし、死は訪れなかった。
目を開けると正面には溶けかけてる天聖の壁が広がる。
ステラは逃げずに、魔法を唱えてイオリを守った。
あの時のように、逃げることはせずに戦うことを選んだのだ。
ラリッサは後ろを振り返り、逆の手を使いステラに向かって口から業火を吐き出しすが、ギリギリのところでかわされる。
チッと舌打ちして、羽を使い邪魔をするステラのあとを追いかけた。
イオリは気力が切れたのか、その場に崩れるように倒れる。
その刹那――ステラがラリッサにつかまり、殴られているところを目撃した。
だけど、もう……イオリは諦めかけていた。
いつの間にか近くにあった、神の腕を恨みながらも懇願する。
「頼むから……」
「お前は、何がしたいだ?」
イオリは頭の中に声が響くがそれを死の間際に聞こえる幻聴だと思った。
「お前は、何がしたいんだ?」
繰り返される幻聴にイオリは吐き出すように答える。
「ただ、人を守りたいだけだ。その為なら、なんでもする……」
「なら、私と契約せよ。望めば力を与えよう」
「ああ、かまわないよ……なんでもするさ……」
そう答えると、神の左腕は個体から液体に変わる。
マグマのようにどろっとした黒い液体は、イオリの全身を飲み込む。
イオリが最後に見た光景はーーラリッサの腕が突き刺さり、口から赤黒い血を吐き出しながら笑うステラの青白い顔だった。
【契約完了】




