Re-Build 02
元々の原因は、俺の妹である。
そのアイドルの信奉者である妹が、どうしてもサインが欲しいと俺にねだったからだ。
遠方の学校に通っているため会場に足を運べないからと、頼み込んできたのである。親元を離れ一人頑張っている妹のために、兄貴らしい事をしようとした結果がこれだった。
控え室に通された俺は、勧められた折りたたみ椅子に腰をかけた。アイドルの彼女は椅子に座りながらも、俺の手を放そうとはせず握ったままである。
案内をしてくれた女性は、しばらくここにいるようにと告げてから部屋を出て行った。
異性とそこまで親しい間柄になった経験も記憶もない。逆になぜ彼女がそのような行動を起こしたのか理解に苦しむと言ったほうがよい。
「あの…本当に人違いですよね?だって俺は…」
「榊原広人…」
「えっ?」
「忘れるもんか絶対に、忘れるわけないでしょ」
自分の名前を呼ばれた俺は耳を疑った。…彼女とは初対面のはずである。
「これって何かの撮影ですか?素人参加型番組?よくあるどっきり的な…」
「ばか」
そう言って上げた彼女の顔は涙で化粧がにじみ、ぐしゃぐしゃになっていた。
「無茶するなって、あれだけ言ったのに言う事聞かないから…」
一方的に語られる文句の内容が俺には分からない。どうして彼女は俺にそんな話をしてくるのだろう?
彼女の悲しみを癒すために、あえて話を合わせようと考えたものの、嘘は長く続くはずもない。正直に答えることで精一杯だった
「すみません。俺、本当に君の事何も知らないんですよ…」
俺の言葉に彼女は沈黙した。
「そう…だよね」
再び彼女は俯いた。
「ただで済むはずがないもん。大変な事だったし、何ともないわけないよね」
彼女の話を聞いているうちに、ひとつの確信が俺の中に生まれた。
自分すら知らない俺の事を、確かに彼女は知っていると。
「ごめんなさい」
俺の手から両手を放すと、彼女は自分の顔を覆った。
「実は俺、事故で記憶をなくしてるんですよ。両親からは他人に言わないようにって口止めされてるんです。後遺症みたいなものがあるらしくて」
事故と言っても、本当にあったのか自分でも分からなかった。
三ヶ月前に病院のベッドで目を覚ましたとき、俺は一年半ほどの記憶がないことに気づいた。
記憶喪失の原因は、交通事故に巻き込まれ頭部を強打したことによるもの、と説明を受けたのだが、自分の体には事故で出来た傷跡と思われるものがひとつも見当たらなかった。
高校を休学し最近まで検査を受けながらリハビリを続けているうちに分かったのが、失われた記憶は一年半の間に起きた特定の物事だということ。
生活や家族のことや学校の事はしっかり覚えているのに、何かが抜け落ちているような違和感を感じていた。
それは充実していて、かけがえのない大切なもの…。
そう感じながら、いくら努力しても思い出すまでには至らなかった。
事故に遇う前とは変わらずに接してくれる両親や妹は、ある話題から俺の関心を逸らしているように思う事があったが、はっきりとした確信は持てないでいた。
「でも元気な姿が見られてよかった。うん、安心した…」
俺の顔を見ながら彼女はそう言って笑顔を作った。
「ごめんなさい。自分の事しか考えてなかったね私…迷惑かけちゃった。変な事に巻き込んじゃったしね…だから…」
「その先は言って欲しくないかも…」
「えっ?」
何となく、彼女が言おうとした言葉が読めていた。
知っている真実を伝えることなく、抜け落ちた俺の記憶のように曖昧な事実のままにしておいたほうがよいと判断した言葉…。それを遮るように俺は言った。
「ここまで騒ぎになったんだから、責任とるよ。いや取らせて欲しい」
俺の言葉に彼女は目を丸くし、そしてにこりと微笑んだ。
「そういうところは変わってないんだね、広人君」
「それでさ…、あの」
「なんでしょうか?」
「言ったはいいけど…何をすればいいのかな?」
ぷっと吹き出した彼女は、大声を上げて笑い出した。
「間違いなく広人君だ、あははははは」
「は、はあ…」
笑いが治まったところで彼女は、俺の手を握ってこう言った。
「私、安藤薫は二度と君を放しませんよ」




