AZURE EYES CAROL 09
「どうかした?」
夕食中に動きを止め、ぼーっとしていた薫にカナが声を掛けた。
「へ?…えっ、いや何でも、何でもないよ、あはは」
声に反応した薫は慌てて苦笑いを浮かべた。
「お疲れーしょんなりか?」
伺うようにリナが首を傾げた。
「まあ色々忙しかったからね…」
薫はニューロテクモ社で見た写真の事を思い出していた。
《黒猫執事》の本名は榊原広人…。
柔和な細面の顔立ちにやや長めの前髪に隠れた大きな瞳は、マグナスキルオンラインのアバターは精悍なヒーローといった感じの顔つきをしていたが、それとは全く異なっていた。写真を見せられた時間はほんの数秒だったが、薫の脳裏にはしっかりと焼きついていた。
会議が始まるまでの間、薫は父親に彼のことを色々と聞いていた。通っている学校のこと。子供の頃は音楽が好きな少年だったこと。中学に入ってから父親の仕事に興味を持ち勉強に打ち込み始めたこと。彼の癖や好物など、遠まわしに彼の父親に質問を投げかけては、自分の中にいる彼の人物像を作り上げていった。
「…会いたい」
薫がふと漏らしたその言葉に、リナとカナは顔を見合わせていた。
「会いたい?」
我に還った薫はハッとして、二人の顔を見た。
(何言ってるんだわたしは…ひょっとして気づかれた?)
見る見る顔を赤くし始めた薫を見るなり、リナは立ち上がると冷蔵庫に向かいカナは自室へと足早に駆けていった。動揺する薫の元に二人は駆け戻ると、カナは薫の額に熱冷ましのシートを貼り体温計を口へ差し込んだ。リナは氷枕をタオルでくるみソファの上に置くと薫の体を静かに傾けようとした。
「違う違う、病気じゃないし」
慌てて薫は二人を制すると、こほんと喉を鳴らして意を決めた。
「わたしね…黒猫執事のお父さんに会っちゃった」
リナとカナは顔を見合わせると、な~んだと言いながらソファのそれぞれの定位置に戻り、箸を手に取った。
「病気じゃなくて何より!」
「黒氏のお父さんに会っただけか」
リナとカナは顔を見合わせあははと笑ってから動きを止めた。
「お父さん!?」
「遅っ!」
再び二人は薫の元に駆け寄ると、お互いの息遣いの音が聞こえるほど薫に顔を近づけた。
「ほんと?」「リア話?」
うんうんと薫は頷いたのだが、二人はそのままの状態で質問を続けた。
これほどまでに二人が関心を見せるとは思っていなかったので、薫は彼について知る限りのことを話すことにした。
「中性的文学系知性派美少年と見た!」
「気になる…」
そう言うと二人は思案するように、上下左右を見ながらう~んと唸っていた。やがてカナはぽんと手を叩くと声を弾ませて言った。
「オフ会をしよう!」
六月第一日曜日午前11時半。
「カナ!ちょっと待って」
薫は自分のバッグの中から一枚の紙を取り出すと、近くにあったボールペンを手に取り頭に閃いた言葉を殴り書いた。
「これもお願い!」
カナは薫から紙を受け取ると、四つに折りたたんで紙袋の中に入れた。
「信じる者は救われたい」
そう言ってホテルの控え室を飛び出したカナの姿を祈るように薫は見つめていた。
午後からのDORSのイベントに備え雑誌の撮影は朝早くから行われていたが、車での移動中に事故による通行規制に引っかかり予定の変更が余儀なくされた。本来であれば一時間前にはホテルで行われる打ち合わせに参加していたはずの薫だったが、メイド喫茶に向かっていたカナを急遽呼び出して打ち合わせの代理人をお願いしていた。ホテルに到着した薫とリナは、手短にカナから打ち合わせの内容について説明を受けたあと、リハーサルと着替えをすることになった。
「大丈夫!」
不安を隠しきれない様子の薫を見て、リナは元気づけるように言ったあと振り付けの変更部分を繰り返し練習し始めた。
(…諦めちゃだめだよね)
薫はそう心に言い聞かせリナの隣で振り付けの確認を行った。
午後12時半。
カナは控え室に戻るなり着替えを始めた。
「出来るだけのことはした。あとは運に任せるしかない」
午後2時。
別室でイベントでのインタビューの内容について司会者との打ち合わせが行われた。
時間が経つにつれ薫は胸騒ぎと焦りを強く感じていた。可能ならば今すぐにでもホテルのロビーに向かい広人の姿を探しに行きたかった。今日この日をどれほど待ちわびた事だろうか。勝手な言い方をすれば広人の都合や事情などどうでもよかった。相手に自分が悪く思われようが構わない…とにかく会いたい。
淡々とした司会者の声を聞きながら、薫は両手の拳を握り締め昂る気持ちを必死に押さえ込んでいた。
午後2時55分。
舞台の袖で出番を待っていた薫にカナは小声で話した。
「黒氏は猫耳に気づいて必ず頭につけるから、頑張ってそれを探そう」
三人はお互いの手を取り顔を見合わせながら無言で頷いた。
午後3時。
会場全体の照明が落とされ、司会者が発表会の始まりを告げた。
やがて曲が鳴り始めた。本来であればリナとカナがステージ上で先に踊り、曲終わりに薫が登場する予定だったが、暗闇のなか少しでも広人の姿を見つけるために、あえてスポットライトを点けてもらうタイミングを遅らせていた。普段は見慣れたはずの光景であったが、その中から一人の人物を探し出すことの難しさを薫は感じていた。
曲が切替りスポットライトが自分の姿を照らし出した。
(眩しい…けど頑張る!)
必死に目を凝らしてゆっくり視線を左から右へと移動させた。
(いない。でも彼はここにいて必ず私を見ている)
再び左から右へと会場の人の数を数えるように視線を這わせてみる。
(まだ気づいていない。でも諦めちゃだめだ)
間奏部分に入った薫は一歩下がった。
ここでリナはマグナスキルオンラインで使っている技に似せたアドリブを披露した。薫はその間片時も客席側へ向けた視線を逸らすことはなかった。
(いい加減気づいて!お願いだから!)
リナと入替わりにカナが薫の前に出た。
(時間がない!早く!早く!)
一歩踏み出した薫は最後のサビを歌った。
(ばか猫執事!なんで気づかないんだよ!今度マグナで会ったら絶対ぶん殴ってやる!)
スポットライトの強い光と瞬きをこらえていたため、目がチリチリと痛み始めた。涙腺が緩み瞳が潤みだす。腹をくくった薫は客席側を素早く見回した。何度も繰り返し何度も…。
(あ!)
右側にぼんやりと光る緑色の蛍光色が見えた。
(いた!)
薄暗がりではあったが、その時薫には彼の顔がはっきり見えた。
自分と同じように必死でお互いの心の糸を繋ごうとしている彼の瞳が確かに見えた。
(広人くん!)
大きな、出来る限りの大きな心の声で薫は叫んでいた。




