AZURE EYES CAROL 08
デビューしてからの薫の日常は大きく変化していた。
学校が終わると急いでマンションに戻り、自室で萌木から送られてくるメールやファイルなどを確認し、必要に応じてプリントアウトをする作業をした。スケジュールや新曲のデータ、イベントについての詳細に目を通し、夕食を取ったあとに勉強をするという日々が続いた。週末は雑誌の撮影やレコーディングなどの打ち合わせにより、心を落ち着ける余裕などなくなっていた。学業優先のためにマスコミへの露出を控え、リナとカナのおかげで負担となる仕事量は減らされていたものの、疲労とストレスが知らず知らずのうちに溜まっていった。そうした中でマグナスキルオンラインは薫にとって心の拠り所となり、どんなに忙しく時間が遅くなっても、毎日その世界を訪れることだけは欠かさなかった。
「キツネリスを見に行こう」
いつの頃からか《黒猫執事》となった《お受験ウサギ》は、仮想世界の幻獣見学と題して薫を誘うようになっていた。マグナスキルオンラインでは伝説や寓話に登場する生物達を具現化し、クエストなどの狩り対象から省いた上で、マップには記載されることのないエリアを各所に設けそこに配置していた。彼は一人きりの時に世界中を巡り幻獣マップなるものを作っていた。
リナとカナも幻獣見学に誘ったことがあるらしいのだが、隠しエリアという言葉に反応した二人は案内された場所に着くなりお宝目当てで幻獣を狩り尽くしてしまった事があるらしく、それ以来彼は幻獣見学をする場合は薫だけがログインをする日を選ぶようになっていた。
キツネリスは世界の北に位置する広大な砂漠に囲まれた《クライカ》エリアのオアシス地帯にいた。
オアシスそのものはランダム発生する仕様となっていたため発見が難しい場所だったが、彼は発生パターンを把握しているらしく迷うことなくその場所へと薫を案内した。
場所に到着すると、彼はオアシスを取り囲むように生えた椰子の木似の樹木にもたれかかり、ぶつぶつと独り言を言い始めた。そんな彼の姿を見ながら薫は小動物と戯れる。二人の間に交わされる会話は少なかったが、お互いの存在を身近に感じられるひと時が薫にとって何より気の休まる時間になっていた。
…彼はどういう人なんだろう…。
アバターからは窺い知ることの出来ない人物の姿に薫は想いを馳せるようになっていた。
「ニューロテクモ開発部長をしております。私、榊原と申します」
新型DORSの発表会イベントの打ち合わせのため、薫は咲岡とニューロテクモ社を訪れていた。
会議室にはグレーのスーツに身を包んだ一見目つきの鋭い中年男性が一人で椅子に腰掛けていた。
彼は二人の姿を目に止めるなり、足早に歩み寄ると両手で名刺を差し出しながらそう言うと、薫達を席へと案内し自らはその向かい側の椅子に腰を掛けた。
会議用の長机の上には新型DORSと小冊子、ミネラルウォーター入りのペットボトルが等間隔に置かれていた。
「すみませんね、自分の仕事に夢中になると時間を忘れる輩が多くて、もうじき揃うはずですが」
榊原と名乗る開発部長は腕時計を気にしながらそう言っていた。
薫の隣にいた珍しく咲岡は緊張しているのか、こわばった表情に無理やり笑顔を貼り付けようとしていた。業界内では名の通った人物であっても、自分の知らない世界の大企業を相手にするとなると、普段目にする威厳の欠片など少しも見えなかった。
「ところで『るりきゃろ』さんは、DORSをご存知でしたか?」
間を持たせる意図が見え見えの会話を榊原は始めた。
「はい、普段から使っています」
ほ~と大げさな声を出し榊原は質問を続けた。
「それはどう言う目的なんでしょう。歌や踊りとかに使用されているとか?」
ゲームです、と薫は正直に言いたかったが、妙な印象を相手に与えるのは得策ではないと考えた。
「そうですね。仮想空間ですと大きな音を立てても迷惑にならないので」
「なるほど…実は今、現実の声を仮想世界で再現する研究が進められているんですが、まだまだ実験段階でして、ご協力頂ける機会がある場合にはよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「高校生と聞きましたが、学校に仕事と大変じゃありませんか?」
「今のところは無理がない程度に頑張らせていただいてます」
年下相手に気を使うのは大変だろうな、などと薫が考えていると榊原はペットボトルの水を飲み、ふ~と声を出した後でこう言った。
「私にも同じ年頃の息子がいまして…まあ親バカ話になりますが勉強しか脳のない変わり者なんですがね。高校に入ってから友達付き合いとかしなくなってしまったので、DORSでゲームを始めさせたんですが最近はどうもそれにハマッているらしくてですね」
「ゲームですか」
「VRMMOってご存知ですか?仮想世界でモンスター相手に戦うゲームのことなんですが」
「聞いたことはあります。友達の中にも遊んでいる人もいますし」
薫の言葉に水を得たのか榊原はなおも話し続けた。
「マグナスキルオンラインというタイトルのパッケージを制作会社からもらう機会がありまして、それを息子にやらせてます」
同時接続者数十五万人と言われるマグナスキルオンラインであれば、DORSの関係者の子供が遊んでいたとしても不思議ではない。
「たまにどんな事をしているのか聞いたりしてますが…キャラクターの名前を聞いた時にはさすがに息子のセンスを疑いましたが」
自分もそのプレイヤーであることを薫は言えなかったが、話を合わせる意図と榊原の息子とはどこかで会ったことがあるのかも知れないと思い、興味本位で聞いてみることにした。
「どういう名前なんですか?」
教えられた時の事を思い出したのか、軽く榊原は失笑したあとでその名を告げた。
「名前は黒猫執事です」
堪えきれなくなったのか榊原は大きな声を上げて笑った。
薫の隣で冷静さを装っていた咲岡も、ぷっと吹き出すなり下を向いた。
「榊原さんの息子さんってどんな人なんですか?」
そんな言葉が無意識のうちに薫の口からこぼれた。
顔を紅潮させたまま榊原は胸元から財布を取り出すと、中から一枚の写真を抜き取り薫の前に差し出した。
「これがその息子です」
四人並んだ家族写真の右端の人物を榊原は指し示していた。




