AZURE EYES CAROL 06
…困った。
緩んだ自分の顔を見られないように、薫は「お受験ウサギ」の前を歩いていた。
彼は普段のように走ることはなく無言のまま薫の後をついて来ていた。
…あと先考えないで言うんじゃなかった…。
引き止めるためについ口から出た言葉の数々を取り消すわけにも行かなかった。
他人に対しては礼儀正しい様子の彼には軽い冗談など通用しそうになかったし、逆に詳しい説明を問われそうな心配もあった。
薫は狩りの最中に気になった点を苦肉の策として使うことを思いついた。ソロで行動することが多い彼は、おそらく適正装備を持っていないのではという推測が薫の中にはあった。
先程のパーティー中、他のメンバーと彼の被ダメージ量が明らかに違っていたからである。
装備については萌木から事細かに説明を受け、それらを揃えるために何度となくID通いをさせられた経験を持つ薫は、その重要性と意味を人並みに理解出来るようになっていた。もっともIDでは萌木と植野の後ろにただついて行くだけだったので、他人を手際よく案内するまでには至っていない。
そこで萌木から紹介された人物を薫は頼ることにした。
商業都市ヘルツで防具屋を営むドワーフ族キャラの店主は、萌木の大学の先輩でありマグナスキルオンライン開発チームの主任だった。
運営会社の人間がプレイヤーとしてゲーム内に潜入参加する例は少なくないが、開発サイドの彼は運営サイドに対して不満を持っているらしく一般プレイヤーの動向を常に気にしていた。そのため運営サイド側が取りまとめた報告書に目を通すよりも、ゲーム世界でプレイヤーと直接交流する機会を持つことに重きを置いていた。もちろんその正体は極限られた人間にのみ明かされていた。
薫は買い物を理由にして商業都市ヘルツを目指した。
中央都市アデルに匹敵するほどの広大な敷地を持つ商業都市ヘルツは、ゲーム世界での都市という役割以外の顔を持っていた。
現存するVRMMOの中でアバタークオリティの最高峰と言われるマグナスキルオンラインだが、商業都市ヘルツのNPCショップは、そのほとんどが現実世界にある有名ファッションブランドのものであった。正方形をしたヘルツには東側に男性向けのショップが立ち並び、西側には女性向けのショップが軒を連ね、中央部分にゲームプレイヤー用の純粋なNPCショップとプレイヤーが経営する店が置かれていた。東西の各店舗は共に現実世界にあるような店構えではなく、大きなブランドロゴの看板の下に接客用のNPCがいるだけというファーストフード店のカウンターのようなシンプルな作りをしていたため、店舗総数は数百に及んだ。
ブランドショップのNPCに話しかけると、プレイヤーは試着ルームなる空間に移動し、目の前に提示されたメニューウィンドウから好きなものを選択することで、現実世界で試着しているかのような雰囲気が味わえた。萌木に都市を案内された時に薫が気に入ったのは、ネイルアームズと呼ばれるショップ群である。
ネイルアームズは腕部分の装備に該当するのだが、メニューウィンドウにはグローブ系とネイル系、その両方を兼ねた三つの選択肢が最初に表示される。ネイル系を選択して最新のネイルデザインカテゴリーの中から好みの品を選び試着に進むと、アバターの爪部分が変更され実際の着用感が確認できた。欲しいものが決まった場合の購入には二つの方法が存在した。アイテム購入の場合はゲーム内通貨を使ってアバターに装着できる他に、宅配購入を選ぶとマグナスキルオンラインに登録したメールアドレスに注文フォームが送られ、そこから手続きを行うことで現実世界での購入が可能になっていた。
VRMMOは運営維持に莫大な費用がかかるため、現実世界の企業とコラボを生み出すことで顧客幅を広げ、スポンサーとなるブランドやメーカーから協賛支援を受けていた。
萌木が大学の先輩を薫に紹介した大きな理由は、将来的にマグナでは現実世界のアイドルとのコラボイベントが企画されており、「るりきゃろ」がその候補に挙がっているからということだった。一般プレイヤーとしてマグナに参加している事は大きなアドバンテージであり、そのアピールと挨拶を兼ねてという意図もあったらしい。実際のところ開発主任の関心は薫よりも萌木の方にあるらしく、初めて訪ねた時は何とか萌木を自分の会社に引き抜こうとする彼の必死な姿が記憶に残っていた。それというのも商業都市ヘルツを発案し彼に提供したのが萌木だった。
困ったことがあったら相談に来るよう開発主任に言われていた薫は、助力を頼むことにした。
城壁に囲まれた商業都市ヘルツの門をくぐり、白亜の建物が並ぶ表通りから少し外れた小道に入ると一軒の防具屋の前で薫と「お受験ウサギ」は立ち止まった。
ちりん、とドアを開けたタイミングで軽やかな鈴の音がし店の奥から聞き覚えのある人物の声がした。
「よぉ、ユナちゃん。いい素材でも手に入れたのかい?」
マグナスキルオンラインからログアウトした薫は、焦点の合わない瞳でしばらく部屋の天井を見つめていた。上体をゆっくり起こしDORSを頭から外すと、静かに太腿の上に置いた。
『明日の午後九時に』
ほんの数分前…彼は確かにそう言った。
薄れゆく視界の中で自分に向かって手を振り続ける彼の姿が思い出された。
ぱちん、と両手で薫は自分の頬を叩いた。
「…痛い……痛いな……………………ふふふっ」
胸の奥で必死に堪えていた感情が溢れ出し、声となって口から迸った。
「ふふふ、ふははは、ふわははは、わははははははははははあはははははははははははははは」
ばたん、とベットに仰向けになった薫は笑い続けた。
…やった…やり遂げた。…頑張った、よく頑張った。……長かったよ~。
目頭が急に熱くなり、じんわり視界がぼやけてくる。
様々な感情が入り乱れ、胸の奥がぎゅうっと締め付けられると体全体が震え始めた。
「ばかやろう!」
彼はあの日のことを覚えてはいなかった。
「鈍感がちあほ耳なしウサギ!どれだけ人が苦労したと思ってるんだ!」
…でも。
声を荒げたせいか、薫は少しずつ落ち着きを取り戻し始めた。
…無理もないよね。けっこう時間たっちゃったし…。
不意に視線を感じた薫は、むくりと起き上がった。
少し開いたドアの隙間から、リナとカナが目を丸くして薫を見ていた。
「あ……うるさかった?」
二人は無言で薫の言葉に頷いた。
「大丈夫?」
薫の精神面を心配したのかカナがそう言った。
「もとから大丈夫」
笑顔で答えた薫の顔を見てカナは眉をひそめた。
「乙女前線警戒警報発令中!」
薫の胸中を察してか否かリナは小声でそう言った。
「まあ…色々あるのだよ……色々と…ね……へへへ」
二人は顔を見合わせると首をかしげた。
「汗かいちゃったから、シャワー浴びてこよ~っと」
薫がドアに向かうと、二人は小動物のように飛び退いた。
鼻歌交じりに二人の横を通り過ぎながら薫は考えていた。
…さて……二人になんて説明しよう…。




