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AZURE EYES CAROL 04

『無事でなにより』

 彼からの返信メールにはそう書いてあった。短すぎた一文だったが少なくとも相手が自分に対して悪い感情を抱いていないことが分かった薫は、ひと安心といった感じで大きく息を吐いた。

 午後8時。キャラクター検索画面に「お受験ウサギ」の名前は現れなかった。フレンド登録をすれば相手のログイン状態を確認出来るのだが、初対面の相手にいきなりそれを申し込む勇気など薫にはなかった。

 萌木と植野のログインメッセージが流れると、薫は待ち合わせの場所へと向かい彼らと合流した。

 レベル上げは順調に進み、ゲベルエリアの奥へと移動しながら狩りを続けた。クエストの消化による経験値報酬が良かったことから、ここ最近は萌木が選択したクエストを一定の数こなし、萌木と植野がログアウトしたあと薫は一人で採集をしたり、気ままに散策をするという日々が続いた。その間薫は「お受験ウサギ」の動向を二人に悟られることなく探っていた。偶然彼を見かけることもあったが、萌木たちと一緒の場合が多いのと、彼が常に立ち止まることなく走っていたこともあり、会話をするまでには至らなかった。

 彼は毎日規則正しく午後9時にログインをすると午後10時半から11時の間にログアウトを行っていた。ソロで狩りをしているのか、レベルの上がり具合は短いイン時間のせいかそう早くなくはなく、気がついた頃には薫と10レベルほどの差がついていた。

 リナとカナがマグナで定期的にプレイをするようになると、萌木と植野は二人がいない場合にのみログインをするだけになった。リナとカナと一緒の時は薫は自らのレベル上げを止め、二人のサポート役に回った。足並みを合わせる必要はないとカナから言われたのだが、他に遊ぶ相手もいなかったのと特にやりたいことがあるわけでもないからと薫は答えた。だが彼女の本意は別のところにあった。このままのペースでは「お受験ウサギ」と再会する機会がなくなりそうな気がしたからである。

 偶然を装い彼に接触を試みれば良いのだが、そんな大胆な行動など薫には出来るはずもなかった。自分を助けてくれた彼について知らない部分が多すぎたからである。表向きは好感度の高い人物であっても、裏で何を考えているのかわからない場合もある。逆に相手にそのような印象を持たれてしまう可能性もありえた。そんな自分の心の事情をリナとカナに伝えてしまうのも得策とは思えなかった。下手に気を回されて話がもつれ、彼に誤解を与えてしまう危険もあった。

 数ヶ月ほどが経ち、薫は一人でマグナにログインをする日が訪れた。

 いつの間にか「お受験ウサギ」に特別な感情めいたものを抱き始めていた薫は、その日迷うことなく彼の姿を探すことにした。彼がログインを行う10分前に中央都市の移動用モノリスの傍らに立ち、キャラクター検索画面を開いてその時を待っていた。9時ちょうどに彼のログインを確認すると、彼のいるエリアに薫は移動した。

 レベル40になったばかりの彼は、適正エリアではないゲベルエリアにいた。

 ゲベルに移動した薫は、橋を渡る彼の姿を見つけると距離を置いて後を追った。

…これじゃまるでストーカーだな…。

 そう思ったものの、別に危害を加えるわけでもないのだからと自分に言い聞かせた。

 彼は足早にエリアの奥へと進んで行った。彼の後を追いかけながら薫はあることを思い出した。彼が進む先には、薫がアライグマらしきモンスターがいるのではないかと推測した場所があった。結局薫はその場所に今まで足を踏み入れることがないままになっていた。

 大きな道から山道のような斜面を登り、細い小道に入ると彼はさらにその奥へと進んだ。

 山肌に穿たれたトンネルを抜けた先には、小さな泉を取り囲むように鮮やかな花々が咲き乱れる場所が目の前に開けていた。

…こんな場所があったんだ。

 その風景に一瞬見とれた薫は、思い出したように「お受験ウサギ」の姿を探した。

 泉のそばには一本の広葉樹が生えており、彼はその木にもたれかかるようにして座っていた。

 気づかれないように薫は大きな木の陰に隠れ、彼の様子を伺っていた。

 そこには確かにアライグマ似のモンスターがいた。現実世界と異なりそのモンスター達は直立二足歩行をしていた。「お受験ウサギ」の頭や肩の上で彼から餌らしき物を受け取るとせわしなく口を動かしていた。彼はモンスター達の振る舞いを邪険に扱うこともなく、ぶつぶつと独り言を言っていた。

 耳をすませてみると、歴史の年号のような言葉を呪文を唱えるように繰り返しているようだった。

 他のプレイヤーが訪れる様子もなく、その場所にいるのは薫と彼だけだった。

 やがて彼は寝そべると大きく伸びをして空を見ていた。

…何を考えてるのかな?学校のこと?勉強?狩りのことかな?…もしかして彼女の事とか。

 話しかけようとしたが会話を切り出す言葉が見つからなかった。何気なく彼に近づき「この場所いいですよね」という類の方法を思いついたが、あまりに白々しすぎる気がした。

 むくりと彼は起き上がると、頭をぼりぼり掻いた。

「明日から本気出す!」

 彼はそう言ったあとメニュー画面を開いて操作を始めた。その数秒後、彼の体は白い光に包まれ世界から消えた。

 薫は「お受験ウサギ」がいた場所に座ると、ぼんやり泉を見つめた。

 結局何も出来ないままの自分が腹立たしくなった。アライグマたちは薫のそばに集まるとおねだりをするように、両手を前に突き出して拝むような仕草を始めた。頭上を見上げると木には赤いリンゴの形をした小さな果実のようなものがいくつも実っていた。薫はそれを手に取りアライグマたちに差し出してみた。

 小さな歓喜の声を漏らすと、受け取った果実をアライグマたちはほおばり始めた。薫の顔を見ながら感謝しているのか頷くような仕草も見せた。その小動物の体に薫はおそるおそる触れてみた。

…ふかふかだ。

 羽毛のような肌触りが感じられ、薫は近くにいた一匹を静かに胸元に抱き寄せた。

「君たちは彼と何を話していたのだ?」

 薫は心臓の鼓動が急に早くなり、喉の奥が締め付けられるような感じを覚えた。

…今度こそちゃんと話をしよう。

 アライグマの頭を撫でながら、薫は小さな勇気の灯火を心の中につけた。

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