CAROLIANS 02
土曜午後12時25分。
終業ベルを合図に広人は席を立ち上がった。広人の学校では土曜の授業は四時間目までだった。
現時点での三人娘の予想到達時刻は午後5時。事務所でスケジュールの打ち合わせのあと、広人の自宅に向かうと薫からメールが届いていた。だが彼女達は広人の予想の裏をかくことを楽しんでいるようなところもあったため油断は出来なかった。急ぎ自宅へ向かおうとしたが慣れないトレーニングの成果か、広人は筋肉痛になり足早に歩くことが困難になっていた。
靴を履き替え校門を目指したところで広人はある人物の姿を視認した。
裕香スミス。
土曜は昼休み時間がないため、彼女との次回遭遇日は来週月曜のはずであった。おそらく彼女は友達を待っているのだろうと広人は仮定した。だが広人は自分に関わる女性のほとんどが予期せぬ行動を行う特性の持ち主である事実に気づくことになる。
広人に気づいた裕香は手を振りながら広人の元に駆け寄ってきた。
「どうしちゃったんですか?」
広人の歩行状態に異変を感じたのか、見たままの感想を彼女は口にした。
「ちょっと筋肉痛で…」
「キンニクツウ?」
彼女が首を傾げたのを見て、広人は何気なく言った言葉を素早く訂正した。
「Muscular pain」
ほほうといった感じで彼女は頷いた。
日本に来て彼女はまだ一年半にも満たない。日常会話の中でも未だ彼女が知らない言葉は沢山あった。
「今日お時間ありますか?」
広人の体調を気遣うことなく、彼女は自分の用件を先に述べた。
昨日会話を少ししただけだったが、すでに彼女の中では「広人は友達」と定義づけられていたようだ。
用事があるから、と相手が野郎系なら即答出来たが目の前の相手は異文化の人である。日本国の男性像を汚してはいけないと思った広人は「夕方までなら」と、つい口にしてしまった。
即座に訂正しようと口を開きかけた広人より先に彼女は言った。
「うちでランチ一緒に食べちゃいましょう」
そう言うなり広人の手を取り楽しげに歩き出した。その歩調は意外に早く筋肉痛の広人をいたわるつもりはないようだった。
裕香スミスの話だと、同居している彼女の兄は出張会議のため日曜の夜まで不在になるということだった。
…ということは二人きりになるのか?
邪な想像が広人の脳内世界で展開され始めたが、その世界の中心には三人娘がいた。たちまちのうちにその想像は風塵と化した。
裕香の自宅は広人の家からそう遠くないところにあった。海外からの移住者であるならマンションかアパート住まいを想像したが、予想に反して大きな一軒家だった。
「お母さんの実家なのです」
裕香の祖母は彼女の兄が日本に移住して間もなく他界したため、現在は兄と二人暮らしということだった。ちなみに祖父は彼女が幼少の頃に亡くなっていたらしい。
二階建ての白亜の洋館といった外観をした家の中は、一階に40畳ほどもありそうな広いリビングとそれに続いたキッチンがあった。明らかに日本的な住宅ではなく西洋の一般住宅といった造りだった。
彼女は広人をソファに座らせると二階に上がり部屋着に着替え、キッチンで電話をしながら昼食を作り始めた。広人は念のため自宅に電話をかけ、帰宅が夕方になることを伝えた。電話に出た母親の話では三人娘はまだ来ていないということだった。
しばらくリビングを見回していた広人はある不自然さに気がついた。
広いリビングにはソファセットと大画面のTVモニターの他に家具らしきものが見当たらなかった。高い天井には番組収録の時にスタジオで見たような照明器具の小型のものが数個取り付けられており、部屋の隅には数本のマイクスタンドと大きめのダンボール箱が十数個置かれてあった。
…お兄さんの趣味なのだろうか?
「お待たせしちゃいました」
テーブルにはピザトーストと野菜サラダにオレンジジュースが置かれた。
食事を取りながら裕香は広人に見せたいものがあると言っていた。彼女とまともに話したのは昨日が初めてであった広人は、何故自分なのかを聞いた。学校内では広人より親しい友達がいるはずである。
「広人さんは口が堅そうだし、はっきり意見を言ってくれちゃいそうだったからです」
裕香の口調はどこで覚えたのか、日本語ではあるもののよく聞くと違和感があった。
玄関の呼び出しのチャイムが鳴った。
「お友達を呼んじゃってます」
そう言うと裕香はリビングを出て玄関へと向かった。
…見てもらいたいものって何だ?
広人が食器を片付けていると、ほどなくリビングには彼女とその友人と思しき人々が入ってきた。いずれも海外出身者らしく髪色も違えば瞳の色も違っていた。
女性二人に男性が三人。
彼らは広人を見るなり握手を求め挨拶をしてきた。ネイティブなのか彼らの言葉遣いは英語8割に覚えたての日本語が2割といった感じで、言葉自体よく聞き取れなかったが意味はほぼ理解出来た。大学生から高校生くらいの年頃に見えた彼らはいずれも大きなボストンバッグを抱えており、異様に高揚した雰囲気で話し合っていた。
「みんなちょっと緊張しちゃってます。準備しちゃうので待っててください」
裕香はそう言うと広人を書斎らしき部屋に案内した。
部屋の椅子に腰掛け広人は腕時計を見た。時刻は午後2時を過ぎていた。
三人娘が来る時間までまだ余裕があるにせよ、いつ解放されるのかがわからないという不安から、広人は焦りを感じ始めていた。
裕香の話から自分に見せたいものというのはパフォーマンスの一種に違いないと推測できたが、なぜこのタイミングなのかが理解出来なかった。あえて言うならば、今日のために裕香は広人にアプローチをしてきたようにも思えた。パフォーマンスで思い出したが、今日の深夜に音楽番組を三人娘と一緒に見る約束をしていた。先日のスタジオ収録分が放送されるからである。
ドアがノックされ裕香の声が聞こえた。
「リビングに来ちゃってください」
書斎からリビングに向かいドアのノブに手を掛けた広人は心の中で呟いた。
…早く帰れますように…。




