M+ 03
午後1時。
オフィス街の一角にある10階建ての雑居ビル5階に「えのぐスタイル」の事務所があった。学校の教室ほどのスペースを事務室とミーティングルームとに仕切っており、ドアを挟んで社長室があった。
事務所へ移動した広人達は、ミーティングルームで遅めの昼食を取った。リナと薫は午後から雑誌の撮影のため事務所には戻らず直接ロケ場所に向かっていた。
広人はカナから事務所のスタッフを紹介された。スタッフとは言っても、事務処理を担当する萌木陽子という二十代半ばの女性と、マネージャー兼運転手の植野隆という三十代前半の男性の二人だけだった。
萌木はやたらと背が低い上に声が幼く、無駄にフリルのついたピンクのワンピースを着ていたため、一見すれば場違いな小学生に見えた。上野は192センチという身長に加え、スーツの上からでもはっきりと解るほどの格闘家並みに鍛え上げられた筋肉を持っていた。
カナの話では「えのぐスタイル」に所属するタレントやモデルは、三人娘の他に三人だけということだった。事務所としては小規模であるものの、社長の咲岡は某大手タレント事務所の社長の愛娘であり、現在の事務所を開くまで、彼女は父親の元でマネージャー業務をしていたという。そのため業界内では顔が広く、一目置かれる存在だということだった。咲岡は三人娘との出会いをきっかけに独立し、事務所を開いたという。
広人が社長室のドアをノックして開けると、咲岡が椅子に座り電話を掛けていた。話しながら彼女は机の前にあるソファに座るようにと仕草で合図をする。促されるままソファに腰掛けた広人は、所在なさげに視線を彷徨わせていた。
電話が終わると咲岡は広人の向かい側に座り、ふうと息をついてから眼鏡を外した。
「さて、今ならまだ断ることが出来るけど君はどうする?」
彼女の言葉に広人は声を詰まらせた。
昨日の自宅訪問では仮契約に留まっていた。はじめから咲岡は実際に現場を体験してもらった後で確実な返答を広人に聞くつもりだったようだ。
「まー気楽に気楽に。さすがに疲れたでしょ、知らない所に朝っぱらから連れて行かれて、知らない人に囲まれるわ、色々言われるわ笑われるわで」
自宅で対面した咲岡は、高圧的な事務口調だったのに対し、今は気さくな年上美人といった印象を受ける。どちらが演技でどちらが本当なのか聞いてみたい気持ちはあったが、先に本音を相手に伝えておくべきだと広人は思った。
「あの、聞いてもいいですか?」
余裕を帯びた笑顔のまま咲岡は頷いた。
「断るも何も本当に俺でいいんですか?」
黒猫ヘッドをかぶっている限り、中の人間は誰でも良いはずだった。たまたま今回は自分の特技が生かされたため、スタジオ収録をやり過ごせただけである。
予想通りの質問だったのか、咲岡はくすりと笑って答えた。
「あの娘達の言う通りだね~君は」
どう言う意味ですかとばかりに広人は眉をひそめた。
「まあ結論から言えば、彼女達が君を選んだから私はそれに従っただけ。わかりやすく言えば、私は彼女達のやりたいことを手助けしているだけということになるのかな。もちろん無理な事ははっきり断っているけどね。世間体や業界の事情とか色々あるからねこの世界は」
そう言うと咲岡は上着のポケットから一枚の写真を取り出すと広人に手渡した。
写真は若い頃の咲岡のものであった。
「いちおうモデルやってたんだよ私。親に内緒でね」
「そうなんですか」
化粧と髪型が違うせいか写真の咲岡は別人に見えた。何かのファッションショーで撮影したのか、派手目のメイクに露出度の高いドレスを着ており、妖艶な大人の色香を漂わせていた。
「でもね、努力とか才能とかで何とかなるもんじゃないんだよこの世界は、結局は時代に選ばれないとね。本当の努力はそこから始まるんだけど」
そこまで言ったあと咲岡は笑い声を上げた。
「君は不思議だね。人に嘘を付かせない変な魅力がある。君と会うのは二度目だけど、こんな話人には滅多にしたことないんだよね」
褒められていることは間違いないが、「変」という言葉を付けられては素直に喜ぶことが出来ない。
「メンバーを増やす話は前々からあった。正直人気取りのための都合ってものなんだけど、彼女達は私の反対を押し切ってまで君以外の誰とも組まないと言ってきたんだよね。事務所始まって以来の危機に直面するところまで行ったんだけど、彼女達をそこまでにさせる君がどんな人間なのか、逆に興味が湧いてきて直接君の自宅に押しかけることになったわけ」
三人娘からそんな話を広人は聞かされてはいなかった。
「初めて君を見たときは半信半疑だったけど、スタジオの君達を見ていて直感的に彼女達の判断は間違っていなかったって思った。何ていうか私には見えない未来が彼女達には見えているような気がしたんだよね。時代に選ばれなかった敗者の負け惜しみになるけど、私は彼女達がどこまで行くのかを見てみたいって思ってるんだよね。君もそう思わない?広人君」
広人自身その気持ちは強かった。ただ三人娘が自分に何を期待し求めているのかが気がかりだった。今の自分は彼女達の後ろ姿を見守ることしか出来ない。
「あっ」
あることに気づいた広人は声を漏らした。
…自分は誰よりも一番近い場所から三人娘の事を見ていた。
「おわかりかな?」
にやりと笑うと咲岡は言った。
「彼女達が用意した特等席で、何もせずただ見ているだけか、彼女達の実力を今以上に引き出す手助けとなるかは君次第。もちろんそれは君以外の誰かに出来ることではないんだよ」
咲岡は席を立ち上がると、机の上にあるファイルから一枚の書類を取り出し、広人の前に差し出した。
「さて榊原広人君、決心はついたかな?」




