sister's voice 06
土曜日の午後、学校からの帰宅途中に広人はコンビニに立ち寄り、マグナスキルオンラインのムック本を購入した。自宅に帰ると玄関には女性物の靴が二人分あり、リビングから両親と見知らぬ女性の声がした。保険か何かの外交員もしくは会社関係の人なのだろうかと考えながら、階段を上り広人は二階自室のドアを開けた。
机にカバンを置きコンビニ袋に入れたままのムック本をベッドに放り投げると、寝転びながら本を読んでいたカナがそれをキャッチした。制服を脱ぎ部屋着に着替えながら広人はふと考えた。マグナの我が家の一階には広人のベッドあり、そこに寝転がるカナの姿を見るのは日常茶飯事だったが、ここは現実世界…。
「黒氏はトランクス派か」
ジト目でカナは広人を見ていた。
「って何でここにいる!?」
「ダメ?」
真顔でカナは答えた。
「いやそういうことじゃなくて…」
階下から母親の声がした。昼食の用意が出来たらしい。
カナは「はあい」と返事をすると、広人を置き去りにしたまま一階に降りて行った。全身から血の気が引いていくような感じを覚えた広人は、その場に座り込んだ。
「広人、自分で決めろ」
リビングのソファに父親と並んで座った広人は、向かい側に座るOLとカナの顔を交互に見た。テーブルの上には名刺が置いてあり、事務所名の下にはOLの名前が書かれてあった。
「先日のブログの反響が思いのほかありまして、コメント欄やツイッターなどでは広人さんについての質問が数多く寄せられています。前々から彼女達に新メンバーを加える予定がありましたし、時期的に良い機会だと思っております。あくまで内容を確認、御同意の上で当事務所と契約頂きたく存じます」
モデルプロダクション「えのぐスタイル」の代表である咲岡忍は、腰まで伸びた黒髪を一本にまとめ黒のストライプスーツで身を固めていた。笑顔で広人の方を見ていたが、眼鏡の奥に見える視線の鋭さは獲物を逃すまいとする肉食動物のそれに近かった。
「もちろん広人さんの学業に差し障りのない範囲内でスケジュール調整を行わせていただきます。本格的な活動は夏休みなどの長期的な休暇を利用していただくことになりますが、後ほど詳しいお話をさせていただきますので、ご希望がございましたらご遠慮なく」
どういう意図で話がここまで進むのか、広人には皆目理解が出来なかった。確かに一般人が有名アイドルのブログで紹介されたとなると、マスコミの格好なネタになることは間違いない。現役高校生であるがゆえにマスコミも過剰な取材攻勢に出ていないが、今は様子見の段階とも思われる。事務所的には広人とタレント契約を結び、「デビュー予定」という名目の既成事実を作っておきさえすれば体裁は保つことが出来る。
「わかりました。よろしくお願いします」
とにかくその場を収めてしまいたい一心で、広人はその言葉を口にした。この状況を打開するにはそう答える以外の方法を見つけることが出来なかった。
「ありがとうございます。後日正式な書類を用意して参りますのでよろしくお願い致します。それでは準備のため事務所に戻らせていただきます。恐れながら本日はこれにて失礼させていただきます」
女社長は早口でまくし立てると、慌ただしく立ち上がった。
広人達は玄関先で彼女を見送った。
「よくわからんが、頑張れよ広人」
相変わらずの笑に加え無責任な言葉を言うと、父親は母親と一緒に買い物へと出かけていった。
広人は大きくため息をすると二階の自室へと戻った。
「黒氏は勉強?」
ベッドの上ではマグナのムック本を見ながらカナが寝転がっていた。
「社長さん一人で帰ったのか…」
頭を抱えて崩れ落ちる広人の方を見ることなくカナは答えた。
「見ての通り」
カナは言葉を続けた。
「リナきゃろは撮影の仕事あるし、私は夜まですることないし」
「そうですか…」
広人は机に座るとノートを開いた。今はひと時でも何かに集中して、現実世界の出来事を忘却の彼方へ押し込んでしまいたかった…が、カナはこの後何時までここに留まるつもりなのだろうか?先程まで一緒だった事務所の社長が彼女を迎えに来るとは思えない。広人は嫌な悪寒を感じた。
携帯端末の着信音が聞こえたが、明らかに広人のものとは着メロが違っていた。
カナは広人に背を向けると小声で話を始めた。
「こちらブラボー、アルファどうぞ」
『こちらアルファ、現状報告を請う』
「プランMはファイナルステージに進行中、拠点は制圧完了。現地支援も確保済み。合流と同時にプランSを開始予定、時刻の確認を願う」
『アルファ了解。一八丸丸、繰り返す一八丸丸』
「一八丸丸、ブラボー了解」
通話が終わると、何事もなかったかのようにカナは再びベッドに寝転んだ。
広人が時計を見ると時刻は午後3時になったばかりだった。椅子に座ったまま欠伸をしながら背伸びをする。いつの間にかカナは眠ってしまったようで、かすかに寝息の音が聞こえてきた。よほど気に入っているのか、衿白の黒いワンピースを着ているカナの後ろ姿はまるで黒猫の様に見えた。
自分がブログに出たことで反響を呼んでいる…言われてみたものの、実際どういうことなのか広人自身全く理解出来ていなかった。勉強の手を止めるとデスクトップPCを起動させ、「るりきゃろ」のブログを見てみることにした。
「!」
例の写真掲載日のコメント欄は七万千五百件を超え今なお増加していた。あろうことか翌日のブログには、新メンバー近日公開との記事が書き込まれ、そこでのコメントも五千八百件を超える勢いだった。ツイッターを見る前に軽いめまいを覚えた広人は、それ以上確認する意欲を失っていた。
ベッドにもたれ掛かるようにして床に座ると広人は目を閉じた。
…そうだ見なかったことにしよう。




