2. 首を洗って待っていなさい、クソ王子
話し終わる頃には太陽はすっかり沈んでいて、お兄様の魔力によってつけられた明かりが部屋の中を照らしていた。お酒やグラスは全て片付けられ、テーブルの上にお茶が三つ並ぶだけ。いつの間にか部屋の中からは侍女の姿も消えていた。
全てを聞き終えたお兄様はポカンと口を開け、対照的にお母様は、よくやったわ、と満足そうに笑う。
「それでこそわたくしの娘よ」
「そうでしょう?」
怒りに燃える中での咄嗟の行動だったけれど、あれは我ながらいい判断だったと思う。今頃ライナー様はどんなお顔をされているかしら。ふふ、と笑いがこぼれた。
「待て、ヘルミーナ、お前が燃やしたのはなんの書類だ……?」
「あら、お兄様もご興味がありまして? 確か国交に関するものでしたわね。そうそう、明後日来られる隣国の方にお渡ししなければならない書類だわ」
第一王子であるライナー様に任された仕事なのだからそれなりに重要なもの。というかライナー様よりもわたくしを当てにしてまわされてくる仕事だけれど。
わたくしの言葉を聞いたお兄様が頭を抱えた。
「……とんでもないことをしたな」
「あら、婚約者がいると言うのに堂々と不貞を働く方がとんでもないことでしてよ」
堂々とそう言うと兄様は黙り込んでしまった。お母様は満足そうに頷いてお茶を飲んでいる。わたくしもカップを持ち上げて口に運んだ。
胃に広がる温かさが苛立ちすらもじんわりと解いていくような気がする。お兄様もお茶を飲んで落ち着けばいいのに。
「そう心配なさらないで、お兄様。わたくし一人で2日で終わった仕事よ。ライナー様のところの文官は何人もいるのだから明日で終わらせられるわ」
「……お前が2日かかる仕事なのに、何人いようが1日で終わるわけがないだろう」
絞り出すような声に、そうかしら? と返したわたくしの声は随分と白々しかった。
当たり前じゃない。簡単に終わるような仕事を燃やしたって何の意味もないもの。
「大丈夫よ。ライナー様の信用など元々ないようなもの。書類が間に合わなくてもあちらの国の方は怒らないわ」
「そうだろうな。向こうとしてはより良い条件を提示する絶好の機会だからな」
はあ、と深いため息をつくお兄様の顔には疲労が滲んでいる。本当に、そう心配しなくてもいいのに。
「お兄様、本当に大丈夫なのよ。わたくし、隣国の方とは何度もお顔を合わせてお話ししているもの。全てわたくしのせいにされたとしても分かってもらえるわ。ライナー様への信用はなくてもわたくしへの信用は十二分にあるはずですから。フォルスター公爵家の名前が落ちることはないとわたくしが断言するわ」
ちゃんと後のことまで考えた行動です、と付け加えると、お兄様はチラリとわたくしを見て、また深いため息を落とした。
「このようなこと亡き父上が知ったら何とおっしゃるか……」
この世の終わりだとでも言いたそうなお兄様の呟きに答えたのはお母様だった。
「あの方は笑うだけよ。このわたくしを愛した方だもの」
「……そうでしたね」
引き攣った笑みでお兄様が答える。そしてまた深いため息を一つ。次にわたくしを見たお兄様は先ほどまでの呆れも諦めも全て消えた、温かな微笑みだった。
「辛かったね、ヘルミーナ」
気遣いを含んだ柔らかな声に胸に渦巻いていた怒りが包まれたような気がした。ええ、と小さな声で答える。
ついさっきまでお酒を飲んでライナー様を罵倒していたわたくしだけど、こう見えてもちゃんと傷付いている。愛する婚約者に一方的に婚約破棄を突きつけられたのだから。
「それで、フォルスター公爵は王子をどうするの?」
お母様の問いにお兄様は、どうして欲しい? とわたくしを見た。
どうして欲しい、と問われても、わたくしはわたくしのしたいことをするだけ。公爵であるお兄様に頼みたいことなんて何もない。
わたくしがそれを言葉に出す前にお兄様は、愚問だったね、と笑った。
「いい目をしているね、ヘルミーナ。打ちひしがれていたらどうしようかと思いながら帰って来たから、安心したよ」
「あら、お兄様。わたくしをそこらのご令嬢と一緒にしてはいけませんわ。お母様の娘なのよ?」
そうだったね、とお兄様は苦々しく笑う。
「だけど、さっきのはよくないな。聞くに耐えない言葉だったよ。何度も言っているだろう? 礼節を重んじ、品を忘れるな、と。お前は公爵家の」
「わ、分かっております。だから普段はちゃんとしているじゃありませんか。今日くらいお許しくださいませ」
何度も聞いた小言を遮る。お兄様が眉をひそめたが、それに気が付かないふりをしてお母様を手で示す。
「そもそも、わたくしにあれを教えたのはお母様よ。お小言ならお母様にどうぞ」
責任転嫁をしてもお母様は浮かべた微笑みを崩さない。これが一番スッキリするのよね、と言われて頷きを返した。
「テオドール、ヘルミーナは今ものすごい悲しみに襲われているのよ。今日くらい許してあげて」
「悲しみよりも怒りの方が大きいように見えますがね」
お兄様はそう言いながら、やはり呆れた表情でわたくしを見た。
「あなたには恋の物語を勧めるわ。女性の気持ちを少しは理解できるようになりなさいな」
スパッとしたお母様の言葉。しかしお兄様は怯まず、お母様へと微笑みを向けた。
「母上には平民の物語から離れることをお勧めしますよ。母上やヘルミーナのお言葉が悪いのはそのせいでしょう?」
「あら、わたくしの息子はいつの間にか生意気になったようね。さすが、公爵様だわ」
「お褒めに預かり」
……と、冗談はこのくらいにして。お兄様はそう言って真面目な表情でわたくしを見た。
「ヘルミーナ、お前は婚約者として長い時間と殿下と共に過ごしただろう? 婚約破棄は殿下のご意志か?」
二人の視線を受けて小さなため息が落ちた。
「裏に誰かがいるのか、なんらかの魔法の支配下にあるのか、ライナー殿下のご意志か……」
思案するようなお兄様の呟きが聞こえる。
第一王子であるライナー様は聖女であるわたくしと婚約することで玉座に座る未来を得た。そして我がフォルスター公爵家が第一王子派の筆頭となり、多くの貴族がライナー様の玉座を後押ししている状況。
わたくしとの婚約破棄はすなわち聖女もフォルスター公爵家も手放すということになる。つまり、うちに同調している貴族が皆ライナー様から離れる。
二つ年下の第二王子は優秀な方だと聞くし、普通に考えると婚約破棄だなんてとんでもない。
けれど、
「ライナー様は素直で決断の早い方です。お顔を見ましたがいつもと変わらないご様子でした。正気であると考えた方がよろしいかと」
「ヘルミーナ、それを単純で短絡的、もしくは馬鹿と言うのよ」
「母上……」
呆れたような声と共にこめかみを抑えたお兄様。頭痛がするのかもしれない。寝る前にでもリラックスできるお茶を持って行ってあげようかしら。
「ところでお兄様、王から正式な婚約の解消の申し出はございましたか?」
「ああ、ここに」
お兄様は胸元から取り出した封書をテーブルに置いた。確かに王の手跡で婚約の解消のことが書かれている。王族から公爵家のうちへ正式な書状があった以上、これを撤回することはもう王であっても不可能。
つまり、この先何をしようとわたくしとライナー様の婚約は戻らない。
口元が緩むのが自分でも分かった。
「お兄様、当分はお城へ上られない方がよろしいかと思われます」
「言われなくとも。妹がここまで愚弄されて、これまで通り王に仕える気なんてないよ」
ああ、そういう意味ではなく、これまでわたくしにまわっていた仕事がお兄様に流れることが予期されるからだったのだけど。もしくは何人もの貴族が泣きつきに行くか。
……まあいいわ。行かないっておっしゃっているのだもの。
「念の為に聞いておくが、この書状の返事はなんと書けばいい?」
その問いには思わず頬が緩んだ。
「お兄様、お母様の教えは覚えておいででしょう?」
『欲しいものは奪え。恨みは全力で晴らせ』。それが幼い頃より繰り返し聞いたお母様の教え。
「ああ、この場合は前者かな? 後者かな?」
つまり、婚約破棄を拒むか、受け入れるか。
お母様の顔に笑みが浮かぶ。わたくしも笑みが深くなるのを我慢できなかった。これ以上ないほどの笑顔だったと自分でも思う。
「もちろん、後者です。わたくしの愛を踏み躙ったこと、心の底から後悔させてやりましょう」
お兄様が引き攣った笑みを浮かべた。
「……お前は本当に母上の娘だな」
困ったような声ではあったけど非難するような響きも止める素振りもない。お兄様もお母様の息子ですね、と心の中で言った。
「褒められちゃいましたわ、お母様」
「ええ、そうね。存分におやりなさい、ヘルミーナ。王都からとんずらこく準備はお母様がしておくわ」
「まあ、ありがとうございます」
それを請け負ってもらえるととても助かる。それならわたくしは復讐にだけ専念しましょうかね。
王やライナー様がどう考えているのかは知らないけれど、ここまで愚弄されて黙っていられる人間なんてフォルスター家にはいない。同様に、この先も何もなかったように王家に仕えるなんてできるはずもない。それなら全力で恨みを晴らすまで。
「お母様、こういう時は平民の物語ではなんと言うのですか?」
「いい質問ね。こういう時は、首を洗って待っていろ、と言うのよ」
なるほど。
満面の笑みのお母様と引き攣った顔のお兄様を見て立ち上がる。ぐっと拳を握ると気合が入ったような気がした。
「首を洗って待っていなさい、クソ王子。わたくしと共に全てを失う日はすぐそこでしてよ!」
おーほっほっほ、とわたくしの笑いが部屋の中に響く。
13年越しの愛などとうに冷めている。ライナー様の打ちひしがれる姿を見る日が楽しみで仕方がない。
まるで悪役のようね、と言うお母様の声は無視した。




