13. 蛇よりはマシかしら
あくびを噛み殺して朝食のパンをちぎる。それを口へ運んだ時、ノックの音がした。
「……朝っぱらから誰よ」
思わずこぼれてしまった言葉に、お兄様が苦笑しながら立ち上がる。扉の向こうに立っていたのはおじいさんだった。
「おや、どうされま」
お兄様の声が不自然に途切れ、そちらを見ると、困ったような笑みが見えた。殿下、とお兄様がおじいさんの後ろへ視線を向ける。
「お前達の客じゃろう? 毒蛇を捕まえようとしておったから連れてきた」
「はぁ?」
思わず声が出た。くすくすと笑う声が隣から聞こえる。ローズマリーだった。
「殿下、とりあえずお入りください。おじいさん、ありがとうございます」
そんなお兄様の声を聞きながら、持っていたパンをお皿へ置く。何事もないような顔して朝食を食べているお母様が視界の端に入った。わたくしもお母様くらいの年齢になれば何事にも動じなくなるのかしら、と思う。
「殿下、毒蛇は噛まれると命を落とすこともあります。駆除をするならともかく、不用意に近付くことは推奨できません」
柔らかな注意。ローズマリーの小さな笑い声はまだ聞こえる。
「すみません、毒蛇だとは知りませんでした。気を付けます」
素直に頷いたルーカス殿下は、ですが、と続けた。
「蛇を捕まえてきたらヘルミーナ様のお心を掴むことができるとお聞きしました。毒蛇と毒のない蛇はどう見分けるのでしょうか?」
頭痛がした。お兄様は目を丸くしてわたくしを見て、お母様は可笑しそうに笑う。
「……ローズマリー、あなたね?」
「なんの話ですか?」
わざとらしくとぼけるローズマリーに深いため息が出た。昨日の帰り際に何やら話しているとは思ったけど、まさかそんなことを言っていたとは。
「ヘルミーナ、どういうことだ?」
「あら? お兄様は知らないんですか? お姉様とクソ王子の馴れ初めを」
ローズマリー、とそれまで黙っていたお母様が咎めるように呼ぶ。
「弟君の前ですよ。クソではなくクズくらいにしておきなさい」
「はぁい」
「どちらもやめてください」
お兄様の呆れた声が止める。殿下は可笑しそうに笑っていた。この状況で呑気なお母様とローズマリー、殿下に対しての呆れと少しの苛立ちをため息にして外に出す。
そしてわたくしとライナー様の馴れ初めを語り出そうとするローズマリーを手で制した。
「殿下、ローズマリーが何を言ったのかは知りませんが、蛇などいりません。持って来られても困ります」
殿下が明らかに困惑した表情を浮かべる。その顔はわたくしがしたいわ、と思う。またため息が出そうになった時、そうですよね、と同意する明るい声があった。
「お姉様もあの頃とは違いますもんね。うっかりです。殿下、今お姉様は畑を荒らすもぐらに困ってます。駆除してくださったらお姉様のお気持ちも傾くかも……」
「ちょっと、ローズマリー」
何を勝手なことを、と彼女を見ると、ローズマリーは、ふふ、と笑った。
蛇だのもぐらだの、殿下には縁のないものだ。そんなことをさせるわけにはいかない。
「もぐら、ですか……。分かりました、お任せください」
しかし神妙な顔で頷いた殿下は本当に外へ出て行ってしまった。
どうするのよ、と呟くと、ローズマリーはあっけらかんとして言った。
「そこにいるんですから王子だろうが王だろうが使ったらいいんですよ」
違う。そんな話はしていない。ここにいることが一番問題なのよ。
「あの方はいまや王なのよ? 国を導く方なのよ? 一刻でも早く王都に帰って頂かないと……」
「じゃああなたが一緒に帰ってあげなさいな」
お母様だった。それに同意するようにローズマリーも頷く。
「あの方はあなたが欲しくてここにいるのだもの。あなたが一緒に帰るって言ったらすぐに帰ってくれるわよ」
「ぅ……」
言葉に詰まった。
何か言おうと思うけれど言葉は何も出ない。開けた口を閉じて、残った朝食もそのままに扉を開ける。
「王都を追われた公爵令嬢と王子のお話……いいわね」
「次の題材にしましょう」
平民の本を読むだけでは飽き足らず、最近自分達でも作り出したお母様とローズマリーの声を背中に聞きながら外に出た。
殿下、と声をかけると、畑をじっと見ながら周りをうろうろしていた殿下は、わたくしを見てパッと顔を輝かせた。
「ヘルミーナ様」
「様も敬語もおやめください」
反射で口にした言葉に殿下はふふ、と笑んだ。
「でしたらあなたも『殿下』ではなく名前で呼んでください」
「好きに呼んでいいとおっしゃったではありませんか」
「ええ、ですから僕も好きに呼びます」
何も言えない。このわたくしが今日は言葉を失ってばかりだ。少し悔しい。
「彼女……ローズマリーはなかなかに良い性格をしていますね」
嫌味か本心か。顔を見てもにこにこしていてよく分からない。素直で優しい方。だけどつかみどころがない。
当然だわ。王族だもの。
「そう思うのなら手のひらの上で転がされないでくださいませ」
「ですがヘルミーナ様がもぐらに困っているのは本当でしょう? ご安心を。魔法は使いませんよ。あなたの大事な畑を荒らしはしません」
「もぐら退治はして頂かなくて結構です。現在対策を練っているところですので。それよりも殿下は早く王都へお戻りください」
王都の貴族達は知っているのだろうか。殿下がこんな辺境にいること。たった1人で、護衛もつけず。
……知っていたら大問題だわ。暗殺し放題じゃないの。
にこにことどこか嬉しそうな殿下は、いいえ、とはっきり拒否した。こっそりとため息をつく。
「どうしてわたくしなのですか?」
「僕ではいけませんか?」
答える気がないのか、反対に聞かれた。はい、と頷く。
「どうして?」
「年下はちょっと……」
「年下と言っても一つだけです。それに僕は兄上よりしっかりしている自信があります」
「……そうですね」
返しに隙がない。というか、わたくしが口論に弱くなった気がする。すこし凹む。
「兄上がよくて僕がダメな理由はなんですか?」
「ダメなわけではありません。ライナー様と婚約したあの時とは状況が違います。諸々を鑑みて、わたくしはここにいた方がいいと思うだけです」
「いいえ、あなたは為政者の目と考え方を持っています。皆の上に立つべきです」
「あなたの隣で?」
わたくしの問いに殿下は意表をつかれたように目を丸くした。
「……そうであってもらえると嬉しいと思っています」
視線を下げて、照れくさそうに言った殿下。眉根が寄るのが自分でも分かった。
一つ命令を下せばすむ話なのに。論を尽くしてわたくしの良心や責任感に訴えることもできるのに。
本当に、優しい方。
「……答えは変わりません。どうか王都へお戻りくださいませ」
約束したではありませんか、と殿下は言った。なんの話だ、と思う前に言葉が続けられる。
「お茶をしながら国の将来の話をしましょう、とあなたがおっしゃったのではありませんか」
……確かに言ったわね。
「僕はずっとあなたをお慕いしていました。あなたが兄上の婚約者であった時から、ずっと」
殿下の顔から笑みは消えていて、まるで今にも泣きそうな顔に見えた。ドキリとした。どんな顔をしたらいいのか分からなかった。
「兄上とあなたの婚約解消の噂を聞いた時、僕がどんなに嬉しかったかあなたには分からないでしょう?」
分かるわけがない。だってわたくしはそれまでほとんどルーカス殿下とお話もしたことがなかったのに。
「やっと手が届くと思ったのにあなたはこんなところまで来てしまって……。あなたが欲しいから僕は父も兄も追い落とし、玉座に座ったんだ。本当はそんなもの欲しくもなかった」
揺れる声に滲むのは怒りか悲しみか。
胸が締め付けられた。息が苦しかった。
「あなたが一緒にいてくれないと言うのなら、最初から王子の身分など捨てて、ただの男としてここにいたのに……」
殿下の瞳が揺れ、その目から涙が一つこぼれた。それを皮切りにいくつもの水滴が頬をつたう。
何も考えることができなかった。わたくしにできるのは目の前の光景を呆然と見つめることだけ。
頭の中で警鐘が鳴る。
「……すみません、みっともないところを見せました」
殿下はそう言うと唇を引き結んで袖で乱暴に目元を拭った。
「頭を冷やしてきます」
一人で歩いて行く背中。背後で扉が開く音に次いで、
「泣かせましたね」
ローズマリーの揶揄うような声が聞こえた。一気に体から力が抜けて、その場にしゃがみ込んだ。
いけない。あれは。
はー、と長く息を吐く。ローズマリーが同じように隣にしゃがみ込んだ。
「……あのー、もしかして、もしかします?」
「何を言っているか分からないわ」
そんな言葉で誤魔化したけれど無駄だった。ローズマリーはじっとわたくしの顔を見て、その表情が段々と緩んでいく。
「見事に落ちてしまったようですね」
「……うるさいわ」
何故かすごく嬉しそうなローズマリーは、決め手はなんですか、と楽しそうに聞いてくる。
「熱烈な告白ですか? 泣くほど強い愛ですか?」
どっちも違う。強いて言うなら、
「……強い感情に揺れる目が、らしくなく濁っていて」
「濁って? 綺麗じゃなくて?」
「いいえ、濁っていたの。いつも澄んでいる、真っ直ぐな目が」
小さな声で言うと、ローズマリーは可笑しそうに笑いながら、よく分からないです、と言った。
わたくしだってよく分からない。
だけど、蛇よりはマシかしら、と思った。




