14. あの畑でわたくしは恋に落ちました
「それで? 神はなんと?」
布をたっぷり使った衣装を身につけたローズマリーは鬱陶しそうにに袖を払いながらカップに手を伸ばした。
わたくしも家よりも広い部屋の中で居心地の悪さを感じながら、香り高いお茶に口をつける。
「新しい王のことは評価するけれど、次の聖女を保証することはできない、と」
肩にあたって跳ねる髪が頬をくすぐる。短くなった髪を見た侍女の顔が忘れられない。この世の終わりかというような顔をしていた。
「まあいいわよ。ルーカス様はその辺りを見直す気でいるし、神だって気に入った子がいたら適当に祝福を与えるんじゃないの?」
そうですか、とローズマリーは、自分が聞いてきたくせにあまり興味なさそうに相槌を打った。
お茶やお菓子に手を伸ばすたびに腕にまとわりつく袖を何度か払った時、ローズマリーがため息をついた。
「平民の生活は気が楽で良かったですね」
「本当に。畑仕事はなくとも働かないといけないのは一緒だもの。それに広くて落ち着かないわ。一年ぶりに帰ってきた我が家だっていうのに」
「結婚したらもっと広いお城に住むんですよ。生活だってもっと窮屈になるし、覚悟をしておかないと」
「大丈夫よ。その時はあなたも連れて行くから」
そう言うとローズマリーは、はぁ? と眉間に皺を寄せた。取り繕わない彼女の表情に思わず笑いがこぼれる。
「王妃の侍女はそれなりの身分でなければ。ね?」
「何言っているんですか。私は公爵夫人になるんですよ。侍女にはなれません」
ふふ、と笑うと、ローズマリーは唇を尖らせた。
「その公爵がなびかないんじゃ話にならないわ」
「お兄様は手強すぎます」
あの小さい家で同じ時間を過ごしすぎたのか、お兄様はローズマリーを妹としてしか見ていない。更にローズマリーが本性を隠していなかったから、お得意の演技も通用しない。
「……ああ、こんなことならもっと可愛こぶってたらよかったです」
「あの時はお兄様を好きになるなんて思ってなかったものね?」
ローズマリーの頬がボッと赤くなった。それを隠すように彼女は頬を膨らませる。
「す、好きなわけじゃありません……! 私は」
「はいはい、公爵家のお金が目当てなのよね。分かっているわよ」
何度も聞いた言葉を遮る。しかしついつい顔がニヤけてしまう。
「ほ、本当に好きじゃありませんから……!」
必死な様子でローズマリーがそう言った時だった。コンコン、とノックの音がして扉が開いた。
「何が好きじゃないんだい?」
穏やかな声にローズマリーが肩を揺らす。真っ赤になった顔を逸らすローズマリーに代わって答えた。
「お兄様が好きじゃないんですって。ねえ? ローズマリー?」
「ち、ちがっ……!」
音を立てて立ち上がるローズマリー。違う? と聞くと、真っ赤な顔を更に真っ赤にして口をパクパクさせる。畑になったトマトよりも赤いわ、と思った。
「わ、私お母様と新しい物語を作っている途中でした!」
そう言うとローズマリーは俯いたままパタパタと駆けて行った。ふふ、と笑いが漏れる。
「ご存知の通り、可愛い子ですよ。応えてあげては?」
「あー、うん」
お兄様は困ったようにわたくしを見る。しかしその頬が微かに赤いことをわたくしは見逃さない。
ふっと笑うと、お兄様は恥ずかしそうに顔を背けた。
「……あそこまで好意を明らかにされてはね」
ローズマリー曰く、王都への帰りに馬に乗るお兄様を見てすっかり心を奪われたそう。それ以来ずっとあんな調子だから言葉にせずともお兄様にもバレバレだ。
「お義姉様が亡くなられてもう二年以上が経ちます。そろそろお兄様も先へは進まれては? ローズマリーだったらお母様も喜びますよ」
「……うん、そうだね。だけど、ヘルミーナもローズマリーも母上も、すっかり気の置けない仲になって、私は一人疎外感に包まれるよ」
「気のせいですわ」
ちゃんと向き合ってみるよ、とお兄様は言った。幸先はよさそうだ。
「さて、ではわたくしはお城へ行って参りますわ。ルーカス様からお呼びがありましたの」
「ああ、気を付けて行ってらっしゃい」
お兄様に挨拶をして家を出る。馬車の中でまだ短い髪を手で整えた。
顔を見るなり、ルーカス様は顔を綻ばせた。
「ヘルミーナ、わざわざ来てもらってすみません」
「いいえ、お気になさらず。本日はどんな面倒事ですの?」
呼び出されるたびに無理難題を押し付けられるので、どうせ今日もそれだろうと覚悟してきた。しかしルーカス様は、いいえ、と立ち上がる。
「仕事は一段落しました。今日は約束を果たしていただこうと思いまして」
そう言うとルーカス様は、隣に座っていた侯爵に、頼むよ、と言葉を残して執務室を出た。
「約束とは?」
隣を歩きながら首を傾げる。ふふ、と笑うとルーカス様は、お茶をしましょう、と言った。
さっきローズマリーと飲んだばかりなのだけど、と思いながらカップに口をつけた。うちとは違う茶葉の味。ライナー様が好んでいたものとも違う。
「爽やかでしょう?」
尋ねられたそれがなんの話か理解する前にルーカス様は続けた。
「兄上が好んで飲んでいたものよりも」
思わずカップを傾ける手が止まった。口を離してゆっくりと置く。カチャ、と小さな音がした。
「……それは、わたくしはどんな顔をしたらよろしいのですか?」
はい、と頷くだけなら簡単。でもきっとそんな簡単なことじゃない。ルーカス様はわたくしに何を求めているのか。
「すみません」
そう言ってルーカス様は笑った。
「困らせたかったわけではありません。……少し嫉妬してしまいました」
どうもこの方はわたくしが思っていたよりも重い。それが悪いとは思わない。王都に帰ってきて外堀が埋められていた時は少し驚いたけど。
……少なくとも浮気はしないわね。
「ヘルミーナが兄上の好きなお茶を知っていたように、僕の好きなものも知って欲しい。兄上に向けていた笑顔を僕にも向けて欲しい。兄上を呼んでいたように僕の名前も呼んで欲しい。あなたを側におくことで消えるものだと思っていた欲求はどんどん膨らんでいきます」
すみません、とルーカス様は口元に微かな笑みを浮かべた。感情を持て余しているのだろうな、と随分と客観的にそれを見る。こういう時はなんと言うべきか。貴族に戻って間もないからか、いい言葉が浮かばない。
まあいいか。どうせルーカス様はわたくしの取り繕わないところを見ているのだし。今ここには二人きりだし言葉を選ぶ必要もない。
「その程度なんてことありませんよ。ライナー様はもっとわがまま放題だったのですから。わたくしにできることならなんでもしましょう。あなたを支え、この国を支えると、わたくしは決めたのですから」
ふと、右手の祝福の紋が視界に入った。わたくしはまだこの国の聖女。ならば新しい王を支えるのも当然。
……聖女になれてよかったわ。
そう思うのは二度目だった。
「さすが、神は選ぶ人間を間違えませんね」
その言葉は褒めているはずなのにどこか悲しそうにも聞こえた。顔を上げる。浮かんだ微笑みには確かに悲しみが見えた。
どうして、と言葉が口から出る前にルーカス様が先に口を開いた。
「ヘルミーナ、あなたが僕のことを好きでなくとも、僕はあなたが側にいてくれるだけで幸せなんです。縛り付けてしまってすみません」
なんの話、と思うと同時に頭が回転した。王都へ戻って来た経緯。その中でわたくしはこの方になんと言った? わたくしはちゃんと気持ちを伝えた?
思い返してもそのような記憶はない。ならばこの方はわたくしが仕方なくここへ帰って来たと思っている……?
「お、お待ちください。わたくしはルーカス様が好きですよ。縛り付けられるなんて、とんでもない」
「ありがとうございます。ヘルミーナは優しいですね」
微笑み。だけどちゃんと伝わっていないのが分かる微笑み。違います、と言葉を重ねる。
「好きなのです。あの時、あの畑でわたくしはルーカス様に恋に落ちました。ルーカス様に恋をしています」
「え……?」
固まったルーカス様は目を大きく見開き、次に顔を真っ赤にした。
……ん? 今とんでもないことを言ってしまった……?
カッと顔が熱くなった。誤解を解かなければ、と思って必死だった。あんなにもはっきりと『好き』と口にするなど……。
口元を手で押さえて顔を背ける。下げた視線は上げることができなかった。
未だかつてこんなにも恥ずかしかったことがあっただろうか。先ほど顔を真っ赤していたローズマリーを思い出して、心の中で詫びた。
「申し訳ありません。忘れてくださいませ」
こんなこと恥ずかしすぎる。顔を上げないまま、ようやくそれだけ喉から絞り出した。
ガタン、と大きな音がする。何事かと顔を上げるとルーカス様が立ち上がってこちらへ身を乗り出していた。
「わ、忘れません……! 死ぬまで、いいえ、死んでも忘れません! 僕もあなたが好きなので!」
勢いよく、必死な顔。それを見たら思わず笑ってしまった。くすくすと笑っていると、ルーカス様も笑い出した。
二人分の笑い声が静かな部屋の中に落ちる。たったそれだけなのに言いようのない幸福を感じた。
この方を好きになってよかった。
ライナー様の浮気から始まった関係。あの時は気が狂いそうなくらい怒りに満ちていたけれど。今は気の合う可愛い友人も、賢くて優しい婚約者も手に入れた。
笑いながら密かに心の中でお礼を言う。
ありがとう、ライナー様。クソ王子でいてくれて。




