12. わたくしなど必要ないではありませんか
ルーカス殿下が再び尋ねてきたのは、季節が一巡りした頃だった。
「ただいま戻りました」
町長のところでの書類仕事を終えて帰った家にはローズマリーしかいない予定だった。
「おかえりなさい」
しかしわたくしを出迎えたのは懐かしい人の爽やかな笑顔だった。
「は……?」
ぎこちなく首を回して、ルーカス殿下の向かいに座るローズマリーを見る。頬杖をついたローズマリーは深いため息をついた。
「帰ってきたらこれです」
パン屋で働くローズマリーは朝が早い。その分帰りも早く、帰った後は少し寝ているらしい。殿下のせいで昼寝をし損ねたからか、明らかな不機嫌が顔からも声からも態度からも滲んでいる。
「急に来てすみません。手紙の一つでも出せばよかったですね」
「……そういう問題ではありません。どうしてうちにいらっしゃるのです?」
前に来られた時は畑に芽が出た頃だった。今はまだ撒く前だけど、あれから大体一年が経つ。この一年でそれぞれ仕事を決め、町に馴染んだ。もうこの町の一員と言っても過言ではないくらいに。
ルーカス殿下はふふ、と微笑んだ。
「おっしゃったではありませんか。父上と兄上を追放したら王都へ戻ってくださる、と」
迎えに来ました、と殿下は言った。
確かにそれらしいことは言った。そんなことができるわけないと思ったから。だけど……
「追放、したのですか?」
ローズマリーが手のひらから頬を離し、呆然と聞く。
「ここは王都から遠いせいかまだ噂が届いていないようですね」
殿下はそう言って、にっこりと笑う。
「まじか……」
そう言ったのはわたくしだったか、ローズマリーだったか。
「お二人の行動は隣国との条約に触れているところがございました。今頃は隣国の牢の中でしょう。余計なことしかしないお二人でしたので、いなくなるだけで仕事がかなり減りました。とは言っても忙しくてここへ来るのが遅くなってしまいましたが」
何も言葉が出なかった。まさか本当にやってのけるとは。ルーカス殿下がこんなにもたくましい方だとは思わなかった。
「……隣国にうまく面倒を押し付けましたね」
やっとのことでそれだけ言うと、殿下はふっと笑った。
「お恥ずかしながら、ヘルミーナ様のお名前をお借りしました。それでヘルミーナ様が戻られる、と言うと隣国の方も快くお力を貸してくださいました」
……ああ、あの方ね。
パッと頭に浮かんだ隣国の使者の顔。親切な方だったけれどここまでとは。
ローズマリーの、どうするんですか、と言いたそうな視線を受け、言葉を探す。貴族の世界から遠ざかったせいか、うまい言葉は何も見つからなかった。
「……殿下、申し訳ありませんが、お返事は変わりません。王都へはお一人で」
「ヘルミーナ様」
言葉は言い終える前に遮られた。殿下は笑顔でわたくしを見ていた。
「ご自分で育てられたお野菜の味はいかがでしたか?」
ーーわたくしはこの手で育てた野菜を食べてみたい。だから、戻りません
以前の自分の言葉が蘇る。嘘ではないけれど全てでもない適当な断りの言葉。今になってそれに首を絞められるとは。
美味しかったですよね、とローズマリーが可笑しそうに笑いながら同意を求めてきた。彼女は一体どちらの味方か。
「あなたの憎い兄上はもういません。王都へ戻らない理由をお聞きしても?」
「必要がないからです。貴族としてのわたくしには代わりなんていくらでもいます。そして聖女がいなくとも成り立つ国を作るとルーカス殿下はおっしゃいました。それなら、わたくしなど必要ないではありませんか」
むしろ聖女のわたくしは邪魔な存在となる。いないものに頼ることはできずとも、いたら頼ってしまうのが人間。ならば最初からいない方がいい。それに今の生活は気に入っている。
「殿下こそ、フォレスター家にこだわる理由はなんですか? 公爵家がひとつなくなったところで国としてはそう大きな損害ではないでしょう?」
そうですね、と殿下は頷いた。
「フォレスター公爵家が抜けたことで空いた大きな穴は徐々に塞がりつつあります。今後、我が国の膿を出し切ったら、神と聖女に頼ってばかりの国を作り直す予定です。あなた方にこだわる理由など、この国の王としてはありません」
あ、そうか。王とライナー様がいなくなった今、この方は王になるのだ。つい『殿下』と呼んでいたけど『陛下』と呼ばないといけなかった。
なんて思うわたくしの考えを読んだように、殿下は、お好きなように呼んでください、と微笑んだ。
「理由がないならなんなんですか?」
ローズマリーが立ち上がり、あくびをしながら聞く。だるそうなその態度に、殿下は全く気にする素振りを見せない。
ここでの生活で、すっかり取り繕うことを忘れたローズマリーを連れて王都になんて戻れないわ、と少し思った。
「理由はあります。王としてではなく、僕個人として」
晩御飯に使う野菜を取り出していたローズマリーが手を止め、へえ、と面白そうに殿下を見る。
ヘルミーナ様、と殿下は立ち上がるとわたくしの方へ体ごと向いた。ものすごく嫌な予感がした。
「あなたをお慕いしています」
キィ、と微かな音が背後から聞こえ、外の風が入ってきた。
「僕はあなたが欲しい。だから王都へ一緒にお戻りください」
髪が頬を撫でる。なんとなく予期していた言葉だったが視線が彷徨う。
タチが悪い。こんな理由。身分差を考えて発言してくださいませ、と言いたかった。
「婚約の話は兄である私を通してくださいね」
困ったような声が後ろから聞こえた。振り向くと、仕事から帰ってきたお兄様とお母様が立っていた。
殿下は夕食を食べ、王都に戻って欲しい、という先ほどの話をお兄様とお母様にもして、宿へ行った。
「どうするんですか? お姉様」
「どうするもなにも……わたくしはこの生活を手放す気はないわよ」
並んだベッドにそれぞれ腰掛けて話す。ローズマリーは、楽しいですもんね、と言った。
「だって王都に戻ったらまた大量の書類を捌くだけの日々でしょう? ここで畑をしたり程よい量の書類仕事をしたり、パンを焼いたりしている方がよっぽどいいわ」
まあライナー様がいないだけ前よりはマシかもしれないけど。
「でもあの方本気ですよ」
「分かるの?」
「お姉様も分かるでしょう?」
「……そうね」
わたくしも人を見る目はそれなりにあると思う。少なくとも嘘だったり冗談を言っている目ではなかった。
でもそれなら手っ取り早く命令したらいいのに。
「そんなことしたらお姉様の心があの方へ向くことはもうないでしょう? あの方はそれを分かっておられますよ」
「あら、口に出ていたかしら?」
はい、とローズマリーは頷いた。
「あの方はお姉様の心が欲しいのです。だからわざわざお願いされてるんでしょう? 応えてあげたらどうです?」
「無理よ」
長く責任を放置してきたのだ。のこのこ帰れるわけもない。それにライナー様と婚約していたわたくしが今度はルーカス殿下となんて、どんな噂が立つか分からない。わたくしはともかく、ルーカス殿下が悪く言われるのは許容できない。
「でもお姉様、平民の生活に思うところがあるでしょう? 殿下と結婚したら王妃様ですよ。権力があれば色々と変えることもできますよ」
痛いところをつかれた。
一瞬停止した諸々を隠すために深くため息を落とす。ローズマリーはにやにやしてわたくしを見ていた。
「……もう寝るわ」
何も言えなくてローズマリーに背中を向けて横になった。はぁい、と間延びした返事を背中に聞く。
「戻りたかったら王都に戻ってもいいのよ。ライナー様がいない今、あなたがここにいる理由もないんだから」
目を閉じて言うと、何言っているんですか、と呆れたような声が聞こえた。
「お姉様が戻るなら戻ります。そうでなければここにいますよ。お金はなくても、何かあったらお姉様が助けてくれるでしょう?」
明るい声に、そうね、と返事をした。
王都を出て少なからず変わった。わたくしもお兄様もお母様も。でもこの子が一番変わったような気がする。
……まあ、貴族の頃のローズマリーはよく知らないのだけど。
ローズマリーの小さな鼻歌が聞こえる。
閉じた目の裏にはルーカス殿下の顔が見えた。




