13日目 祖国防衛のための非常徴収実施に関する特別指令第四号
十三日目、空は青かった。
雲が薄い。光が強い。だが、静けさは軽くない。
朝、検問は残っていた。だが、止め方が形式的だ。確認は浅い。目は別の方を向いている。人手が足りていない。
理由は明確だった。労働の募集。箱根方面。陣地構築。物資運搬。通りの各所で呼びかけが行われている。
「志願者を募る」
「短期間で一気に稼げる」
「国を守るため」
言葉は柔らかい。むしろ軽い。
だが、断り続ければどうなるかは、誰もが理解している。
「協力する意思はあるな?」
「断る理由があるのか?」
相馬は足を止めない。視線も向けない。関わらない。それだけでいい。
午前、妙な噂が広がった。最初は断片だった。誰かが見た。誰かが聞いた。やがて形になる。
地主が消えた。金貸しも。家族ごと。
午後、確認される。広場。人が集まっている。中央に、吊るされた影。説明が行われている。
「人民の敵」
「搾取の象徴」
言葉は強い。反論はない。できない。資産は没収されたと告げられる。ここには、主人と息子たちだったものしかいない。妻や娘たちのその後のことは、誰も詳しく語らない。語らなくても分かる。
理解されている。それで十分だった。群衆は静かだった。熱狂ではない。恐怖でもない。ただ、距離を取っている。巻き込まれないための距離。
作業場でも話題になる。
「仕方ないだろ」
「今までが今までだ」
肯定とも、諦めとも取れる言葉。誰も深く踏み込まない。線を越えない。越えれば、同じ側に立たされる。
夕方、空はさらに澄んでいた。煙は見えない。音もない。だが、遠くの動きは止まっていない。
夜、相馬は外に出る。昨日と同じ時間帯。巡回の間。歩幅を一定に保つ。迷いを見せない。
旅館の裏口。鍵はかかっていない。女はすぐに来た。
「もうこの辺りは静かね」
声が低い。安心ではない。確認だ。
「その分、怖いけど」
相馬は頷かない。否定もしない。女は少しだけ距離を詰める。前より自然に。
終わってから少しして女はふと思い出したように耳元で囁いた。
「横須賀の戦艦陸奥が沈んだらしいわ」
小さく言う。
「特高が下手人を探してるって」
それだけで十分だった。大陸からの反攻作戦。数百万の帝国陸軍主力。戦艦十隻から成る連合艦隊。呼応したゲリラの仕業と思しき、革命政府軍唯一の戦艦陸奥の沈没。
流れが変わってきている。今は、どちらに与するのも得策ではない。
部屋の中は暗い。灯りは最小限。外に漏れないように。言葉は少ない。だが、沈黙は重くない。
離れようとした女を手繰り寄せる。わずかに、相馬より温度がある。
短い時間。外とは切り離された場所。だが、完全ではない。どこかで繋がっている。
深夜、相馬は一人で外に出て、空を見上げる。星がはっきり見える。雲がない。風も弱い。理想的な夜。戦争とは無関係の空。だが、それは錯覚に近い。
嵐は近い。音はまだ届かない。だが、確実に近づいている。相馬は視線を落とす。位置を確認するように。自分の立つ場所。変えない。変える必要もない。
十三日目が終わる。




