第88話 余韻は早鐘に消ゆ。赤銅月下に揺れる暴力の火。(前半)
歯がゆい思いのまま見守っていたリュスは、ようやく細い肩から力を抜いた。
安堵の吐息とともに、ベールの下でわずかに瞳を潤ませる。
(一気に、場の空気が塗り替えられた……。今、この場にいる誰もが、アスタ様に畏敬の念を抱いている)
抜け目のないはずの商人たちを、常識の外から殴りつけるもてなし。
欲望を巧妙に煽り、期待と熱狂へと変えた鮮やかな演説。
教授から繰り出される容赦のない追求を、即席研究チームの絆で受けきった答弁。
綱渡りのような危うさはある。
完璧からは、ほど遠い。
けれど、ヤバマーズという同じ屋根に集った者たちが、チグハグながら一丸となって乗り越えようとする有り様は、なにより眩しく映った。
まさに見事の一言。
「ほらな。吾輩の言った通りであっただろう?」
不意に、野太い声が降って来た。
聖騎士ロダンが、岩壁のごとき巨躯を誇らしげに揺らしている。
「……はい。きっと、わたくしには出来ないやり方でした」
“わたくしが、出来なかったことでした”とは、リュスは思っても口にはしなかった。
誰も喜ばせないと知っていたから。
「ふん、吾輩も目を覆いたくなったがな。あやつのやり方が良いとは、微塵も言っておらぬ」
「ふふ。……わたくし、きっとまだアスタ様を信じ切れていなかったのですね」
「それこそが、人として真っ当な態度だ。信じるとは難しい。心は見えぬものだし、志が正しく実を結ぶとも限らぬ。往々にして、この世は無慈悲にできているからな」
リュスはどこか遠くを見つめるように、視線を彷徨わせた。
「人の心が、抱いた理想のままに形を成すのであれば。世界はもっと――穏やかで、呼吸のしやすい場所であったでしょうに」
「ウム。しかし、少なくとも。あの男が如何なる道を歩んできていたかは知らんが……ひたむきな研鑽が血肉となった結果なのだろう、とは思う」
「……研鑽」
リュスはその響きを愛おしむように、唇でなぞり返した。
「ええ。わたくしが知る限りでも……アスタ様は、ひたむきな努力家でいらっしゃいましたよ」
あの日。あるべき道を踏み外して、見守る権利は失われてしまったけれど。
リュスは確かに知っていた。
陽の当たらないベンチ。ボロボロの古書を相棒に、ブツブツ論理の城を築く姿。
わずかな仲間を募っては、日夜、議論や研究に没頭する姿。
試験前には、庭園で天へ朗々と発声鍛錬をしていた姿。
誰に理解されずとも、もがき続ける。
そんな風変わりな、孤高の学生。
「……立場上、遠くから盗み見ることさえ憚られ。言葉を交わすことすら、ほとんど叶いませんでしたけれど。それでも、わたくしは知っておりました」
「そうであったか。……フン。まあ、アレが境遇に不貞腐れて生きる男であったなら、今頃、この場には名誉の腐臭が漂うだけとなっていただろうよ」
地方貴族を忌み嫌っていたはずの聖騎士ロダン。
その厳格な声には、隠しきれない温もりを滲ませていた。
「もしも、吾輩が若き日に知り合ったのが、あのような男であったなら――。……いや、よそう。かつての吾輩が、節穴であったというだけの話だ」
痛烈な後悔を口にしかけて、聖騎士ロダンは噤んだ。
横顔に刻まれた皺に、悲痛な色。過去の自分への苛立ち。
リュスはためらいがちに口を開こうとして。
「ロダン、あなたは――」
――カン、カン、カン、カンッ!!
けたたましい早鐘によって隔たられた。
大広間の空気は一変。大商人たちが「何事だ!?」と色めき立つ。
最高潮の熱を帯び、新時代の幕開けを予感させる商談は呆気なく壊された。
「旦那様ッ!!」
血相を変えて飛び込んできた猟兵。
「何事だ、騒々しい。今、大事なところだったんだぞ」
「申し訳ございやせん! ですが、一刻を争う事態でっ!」
「言ってみろ」
「へへえっ! たった今、見張りからの報告がありやした。……盗賊団が村を――包囲しておりやすッ!!」
大広間に、どよめきが走った。
先ほどまで、智と欲に酔いしれていた商人たちが、椅子を蹴って立ち上がる。
「な、なんだと!? 盗賊だと!?」
「この屋敷を狙いに来たというのか!? どういうことだ!」
「警備は……警備はどうなっているっ!?」
一気にパニックへと塗り替えられていく。
だが、その喧騒のなかで。
主人であるアスタ・ド・ヤバマーズは深く腰掛けたまま、赤ワインを口内で転がし、数瞬の思索に耽った。
「盗賊団が包囲? ――妙だな」
呟きには恐怖より、純粋な好奇心が混じる。
***
「盗賊団が包囲? ――妙だな」
誰に聞かせるでもなく、漏れた独り言。
だが、オノレもまたグラスを弄びながら皮肉気に笑った。
「どうやら誰かの演目が、俺たちの舞台に重なったようだね。アスタ」
「ああ。……失礼な話だな、前もって断って欲しいもんだ」
僕は立ち上がると、動揺する商人たちを制した。
「皆様、落ち着いていただきたい。……ゲロハルト、ヘイホー。ここを任せるぞ。客人たちを適当にもてなしておけ」
「えっ!? あ、はいっ、男爵閣下! お任せを!」
「御意。……若様は、どちらへ?」
「“上の特等席”から、無礼者の顔を拝んでくる」
僕は、早足で大広間を後にする。
向かうは、地方領主の館には欠かせぬ防衛設備――物見塔。
時計廻り。螺旋階段を、肺が焼ける勢いで駆け上がる。
心臓の鼓動が、鳴らされ続ける早鐘と重なった。
(盗賊団がヤバマーズを襲う? あり得ない。奴らは安全で実入りの良い獲物を探すハイエナだ)
ヤバマーズの悪名は、賊にとっても知るところ。
そんな命知らず、周辺地域にいるはずがない。
奪うべき富もなく、倫理観が終わってる獰猛な領民と、飢えた魔物が闊歩する死地。
そんな場所へ、わざわざ略奪を仕掛ける理由など――。
楼上。冷たい夕風が吹き抜ける哨所へと、勢いよく飛び出した。
「旦那様! こちらですっ!」
待機していた猟兵が指し示した先。
僕は、その光景を視界に捉え――絶句した。
「……これは」
星を失った漆黒が混じる黄昏。
血のような赤銅の月が、ぼんやりと地上を照らしている。
その下。村を取り囲むようにして、点々と……いいや、数えきれぬほどの松明が、ゆらゆら揺れていた。
一つや二つの小規模な徒党ではない。
「盗賊団、なんて可愛い規模じゃないな。これじゃあ……まるで、傭兵軍団だ」
二桁どころか、三桁は下らないであろう暴力の軍勢。
複数の徒党からなる集団が連結し、隙のない包囲網を構築。
……これはマズい。洒落にならないぞ。
領民総出で戦えば、あるいは勝てるかもしれないが。
代償に、土地を維持できないレベルで死傷者が出る。
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