第87話 議論のコツはフィジカル。駆け抜けた五年間、狂犬学生の正体。(後半)
そう、王立大学における修士とは、教授資格と同義。
深遠なる学問領域において、教える側入りした証明。
「……だから、アスタ先輩ってマジヤバなんっすよ」
ぼそり。
ジルが、いつになく真面目なトーンで呟いた。
「一芸特化っつっても、その一芸が突き抜けすぎてて。それで教える側の資格を得るなんて、もう……そんなのギルドの親方みたいなもんじゃないっすか」
ジルは普段、先輩であるアスタをこれでもかと舐め腐っている。
自分が格下とは露ほども思っていない。
だが――尊敬しているという言葉は、いつだって本気だった。
貧乏男爵令息の不遇な環境。
その逆風でひたすらストイックに知識を詰め込み、貪欲に試行錯誤を繰り返す姿勢。
負けたら終わり。常に脳の熱が沸騰し続けるような、極限競争。
なのに、勝ち続ければ勝ち続けるほどに、妬み嫉み僻みの刃が向けられる悲惨な待遇。
……誰がそんな茨の道を選ぶというのか?
「だからこそ、頭ヤバマーズなんすよ。ホント正気じゃないっす。仮に才能があったとしても……おかしいっす」
ジルから見ても、確かなことだった。
アスタはフィジカルにおいて、圧倒的に貴族令息たちを凌駕していた。
身体の大きさは人並み。筋肉もまるで逞しさはない。
だが、不屈のスタミナと集中力、声量。
戦いを支え続ける内臓の強さが――あまりにも常軌を逸していたのだった。
「広場の只中にて行われた大公開討論。あれは実に愉悦に満ちたひと時であったよ。――そうではないかね、我が学生」
朗々と会場に響く、老教授のしわがれた懐旧の調べ。
対するアスタ男爵は、古傷をつつかれたように苦々しい表情。
「……僕が“二度と口喧嘩をしたくない”と心に刻んだのは、後にも先にも、ラ・ボアジエ教授くらいなものでしたよ」
「ククク。若さという荒々しい濁流が、老体には少しばかり眩し過ぎたのだよ。故に、つい私も身を焦がしてしまった」
「うへぇ……。てか、今だから聞きますけど、なんであんな嫌がらせをしたんですか?」
ラ・ボアジエ教授は、さらに口角を吊り上げる。
やはり、爬虫類めいていた。
「師が、未熟な果実の熟成を急ぐ――それを人は、親心と呼ぶのではないかね」
「親心なら、さっさと真っ当に試験をパスさせてくれませんかねえっ!?」
「お前という器には、その苦難こそが相応しかったのさ。そうして、初めて視える星もあろう?」
「真昼間からの苦行で、暑いし腹は減るしヤジはうるせぇし! 星なんかぜんっぜん見えなかったけどなっ!?」
試験、苦難。弁舌達者な下級貴族の元学生。
……そんなキーワードが重なり合い、情報通の商人が思い出す。
「そういえば……昨年、かの炎蛇眼のゾルジュ。ゾルジュ・ド・ラ・ボアジエ教授に、街中での大公開討論を挑まれた学生がいたと」
そう、大学の閉ざされた講堂などではない。
街中の大観衆を巻き込んだ、過酷極まる対外パフォーマンスとしての討論会。
教授はわざわざ教え子を白日の下に引きずり出し、逃げ場のない試練を与えたという。
「しかも、学生に与えられた課題は有力な定説をあえて覆す、不利な立場からの防衛戦だ」
すると、教養の深い大商人が一人。驚きの声を上げた。
「なんと! それは異例中の異例だろう。教育課程を逸脱しているじゃないかっ!」
「ああ。不利なテーゼからの防衛とは――“世間どころか自分さえも間違っている”と思うことを正しいと立証する戦い……」
「例えるなら、白昼堂々誰の目にも明らかな“有罪人を『無罪』と言い張り続けて守り抜く”ようなものか?」
「まさに! 絶望的なまでの無理難題だ」
「……はあ、そんなことを生ける伝説を相手に? もはや毛の生えた素人を、チャンピオン剣闘士がいたぶるようなものではないか」
「いかにも。件の学生のプライドを木っ端微塵にし、再起不能としてやろう。……そんな悪意さえ感じる所業だ」
されど、結末は驚きに満ちていた。
その学生は、浴びせられる罵声や嘲笑もなんのその。
臆することなく、古代エルフ偉人たちの叡智を自在に引用。強固な持論を次々に即興展開。
ラ・ボアジエ教授の猛攻を丸一日。陽が沈む寸前、極限状態まで耐え凌いだかと思うと。
――ついに審判教授陣からの勝利を引き出したというのだ。
「まあ、見物していた民衆には、もう何が起きているのか一ミリも理解できなかったらしいがな」
「……それはそうだろうな」
学術討論は当然、古エルフ語で行われる。
それで高尚な論戦をされて、会場に理解できた者が何人いたか。
故に、世間にはいまいち凄まじさが伝わらず、ただ「一日中叫び続けられる変わった学生がいたらしい」と尾ひれだけが風に乗るに留まった。
……一部の界隈を除いて、価値は知られなかったのだ。
「クク、いかにも。風が運んだその奇妙な物語。……主人公は、間違いなく彼であろう」
ラ・ボアジエ教授は知れぬ、人の悪い笑みを浮かべながらも誇らしげ。
商人たちに、じっとりと語り掛ける。
「確かに我が学生へ“試し”の茶葉は浮かべただろう。だが、まさか私が、手を抜いたなどという無作法を犯したと思っていないかね?」
「いいえ、滅相もないっ!」
「ならばよい。一滴の汚水が混じれば、丹念に淹れた至高の茶さえも汚泥へと還る……議論にて手を抜く愚行は怠慢ではなく、宇宙の真理への侮辱。神を欺こうとする大罪に他ならないのだからね」
教授は語る。
議論とは、宇宙の真理を解き明かすための神聖な儀式である、と。
「私はただ――その“純粋さ”がどこまで耐えうるものかを、眺めていたかったのだよ」
それこそが壮絶な『智の耐久試験』の真意。
王立大学の賢者が仕掛けた大決闘は、辺りが闇に包まれる寸前まで続けられた。
「声が霧散する屋外広場。言葉の通じぬ、無知蒙昧な観衆。生まれ持った才も、積み重ねた経験も封じられ、身も心を削られてもなお……その増さんとする煌きを絶やさずにいられるか、とね」
「そんなもん、学生に取っちゃ公開処刑ですけどね? まあ、そんな状況に立たされても、学徒としては――」
なんと、仕掛けられた当の本人。
アスタ男爵は、肩をすくめて頷いた。
「議論で手を抜くなんてどうかしてるとは思いますが、ね」
どんなに不利を突き付けられてもなお、手加減は不要だったと教授に言い放ったのだ。
「議論ってのは、学徒にとっての知的決闘だ。もし、決闘で手抜きを良しとする軟弱な貴族がいるならば――潔く、名を返上したほうがいい」
負けず劣らずにして熾烈。
アスタ男爵にもまた、若くして修羅場を踏んだ凄みがあった。
これこそが、かつて王都の学び舎を騒がせた『狂犬学生』の真実。
大学自由特権を信じる以前の問題。
――即ち、決闘に手心はいらん。対戦相手への侮辱である、と。
「我が学生の潔い割り切りは、耳にいつも心地よい。だが『議論は知性の証明にあらず』と断ずる言の葉は、他の教授たちの眉を顰めさせたであろうね」
「まあ、そうですね。……そこは理解されたことはないですからね」
「お前は以前なんと言ったかな、そう――“競技”であったか」
「ええ。僕は、議論の本質は『智』ではなく、競技種目に過ぎないと思っている。議論が強い人間は賢者ではなく、単に“議論が上手い選手”なだけだ」
「……仮にそうだとして。なぜ、そうまで強情にその毒を吐き続けるのかね。自己の価値を貶め、他者を不快に沈めるだけだと識っているだろうに」
「うっ!? 難しいことばっかり聞きやがって。えと、僕は、僕が今まで負かしてきた相手を……バカだと思っていないから、ですかね? ……そこに嘘をつきたくない、からかな?」
「クク、お前の本質はそのような表層に無いとは思うがね――」
親しげに、鋭く言葉を交わす二人。
真理の狂信者である教授と、議論を競技と断じるアスタ男爵。
この両者は、互いに反り合わぬ価値観ながら、ただ一つ――議論で手は抜かぬという一点で固く合意している。
これは、どうやら……。
大商人たちは、互いの顔色を窺い合った。
「ずいぶんと話が変わってきたな。品格と教養のない狂犬男爵ではなかったのか?」
「……確かに、変な話ですな」
「雑談ですら、随分と高尚に聞こえるぞ」
「ああ。しかも、大学の教授たちが実力を保証している。となると、ヤバマーズ男爵は――」
今までの、前評判による偏見が剥がれ落ちていく。
混乱の連続で、正気がぐらついているが故に。
そう、彼らはうっかり客観的に見てしまったのだ。
社会通念――常識という、生きる上での大事な大事な処世術を投げ捨てて。
大学の最高権威が“試しに叩き潰してみよう”と弄んだが、なおも生き残った元学生の希少価値……その正体を。
利益に聡い商人たちは、一度本質を捉えてしまうと、脳内の算盤が勝手に計算を始めてしまうのだ。
「その実績。……そのまま学位を取って法学士を目指せば、いずれは中央法務官として大出世したに間違いない。法服貴族ならば、身分も血統も凌駕して活躍できる」
「ああ、並の伝統貴族たちを顎で使えただろうな」
「弁護士としても金貨を山ほど積まれ、引っ張りダコとなったろう。私でも依頼する」
「いやいや、外交官こそ天職だ。古臭い知識を次から次へと引用し、別の古言語で弁舌出来るのだぞ? ということは、エルフやドワーフ勢力とすら論戦できる人材なのだ!」
「ならば、あの高慢ちきな長命種どもを論破できるやも!? そんなの商売にも有利じゃないか、喉から手が出るほど欲しい!」
欲望剥き出しの憶測。皆、好き勝手に言い始める。
シャルル王太子から、妨害依頼を受けた商人ですらそうだ。
商人という生き物の業。一旦気付いてしまうと、目の前の価値を見逃す損失は、本能的に耐えがたい。
(磨けば光るどころではない。なぜ、こんな限界領地で燻っているのだ。お前なら、もっといくらでも稼げるだろうに……)
いずれにしても、もう豪商バルトロメウスさえ認めざるを得なかった。
議論のコツとやら、そんな意味不明な持論はさておき、バルトロメウスの計算勘定もまた、既に動かしがたい確信を弾き出している。
つまり、このヤバマーズの地において。
当主アスタ・ド・ヤバマーズ本人こそが――大商人が生涯費やしてもなお買えない、そんな値札が付く財貨かもしれない、と。
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