第154話 こいつがイカを殺す攻略本? 人間は嘘つき、物理法則は嘘つかない。(後半)
並の生物ならば、心臓を止めて余りある電撃。
さすがに、怪物の動きが硬直する。
「今度こそ、効いたか……っ!?」
だが、期待は数秒で裏切られる。
電気エネルギーは、クラーケンの青白い巨体を――ほとんど素通りした。そのまま湖水へと、受け流されてしまう。
「電撃が水へ、逃げた!?」
怪物が怯んだのは、本当に一瞬だけ。
すぐさま何事もなかったかのように、無数の触手が狂暴にのたうち始める。
「嘘、だろ!? あれだけの電撃を食らって、ちょっと痺れただけかよ!?」
「……サイズスケールが違いすぎるのか。魚を感電死させる程度の理屈じゃ、山のような質量には通用しないみたいだね」
「大きさが違うだけで、物理現象に変わりがあんのかよ! ――っんなわけあるか、規模が違っても同じことが起きるべきだろ。水に入ってる生物は、感電死するもんだ!」
「電気抵抗ってそういうものなんだよ、バカアスタ! ……現実を受け入れろ」
遅れて、後方の猟兵らも、わずかな隙を目掛け壺を投擲。
「コイツを喰らいやがれっ!」
――パリンッ、パリンッ!
砕け散る陶器。
直後、クラーケンの表面に、激しい業火が燃える。
しかし、どうだろうか。
怪物の表面を覆う、大量の水分を含んだ粘液層。そのヌメリこそが、火傷を防いでいた。
それはまさしく――水の鎧。
「なんだよクソっ。事前の情報が、何一つまともに通じないじゃないか……?」
クラーケンがわずかに巨躯をくねらせ、湖の深みへと身を沈める。
たったそれだけの動作で、猛る業火はあっけなく鎮火。
「……なにもかもが、“環境”に吸い込まれてやがる」
火炎も電撃も、水というフィールドにおいては。
このクラーケンという軟体生物を前に、派手な花火程度に成り下がる。
「どうなってんだ。理屈が……僕の知るはずの物理法則が、このバケモノにだけ味方してやがるじゃないか」
物理法則は嘘をつかない。
じゃあ、なんでこんなに乖離が起きている?
記録では、この方法で勝ったはずだ。ダメージを与えられなきゃおかしい。
――答えは一つ。
そう。人間が作った記録こそが、嘘をついていたのだ。
「アスタ様、危ないっっ!」
「がふっ!?」
視界が揺れて、リュスに抱きかかえられた。
直後、僕がいた場所が巨大な吸盤によって押し潰される。
その上、一番狙われやすいのが僕。
天然デコイでもある以上……今の状態では、リュスの足を引っ張る。
「どうにも戦えはするが……有効打がない! 決め手に欠けるね!」
オノレがすかさず氷槍を放ち、氷壁を張っては遮蔽を作る。
その判断が、総崩れを遅延した。
「アスタ様、指示を! このままでは押し潰されます!」
僕を抱きかかえたまま、リュスが鋭く声を飛ばす。
「撤退だ、煙幕を展開させろ。蒸気砲も放棄、置いて逃げろ!」
誰もが、命の危機にあるなかで――僕が、撤退を決めた。
それが僕の責任だった。
命令が届くと、ジルが不満の声を上げる。
「はぁあ!? これ、うちの自信作なんすよ!? 材料費だってバカにならないっす!」
「命より高い材料なんてこの世にねえよッ! 先輩命令だ、後輩ッ!!」
ジルが泣く泣く、砲を蹴り飛ばした。
猟兵たちが一斉に煙幕を展開。視界が真っ白なベールに包まれ、湖畔の景色が遠のいていく。
(よし、これで撒けるはず――)
だが、それすら甘い考えだった。
――ズ、ズズズ……。
足元の砂が不自然に隆起する。
「なっ、またかよッ!?」
逃げ道を塞ぐように、砂地からぬらりと這い出した……忌々しい触手。
こちらの退路を先読みしているかのような待ち伏せ。
「このイカ、学習してやがる……っ! 音か、それとも魔素の動きでも追ってやがんのかッ!?」
クラーケンの黄色い双眸が、ぎらりと僕を射抜いた気がした。
背後で空気が震えるような異音。
――キュィィィンッ!
左手のウロコが、激しく警鐘を鳴らす。
「全員伏せろ!」
「――避けてっ!」
――シュパァァァンッ!!
クラーケンがその漏斗をこちらへ向けたのだ。
放たれたのは墨ではなく――圧縮された、鋭利な水の刃。即ち、ウォータージェットの薙ぎ払いだ。
一閃が、頭上を通り抜ける。
逃げ込もうとした林が、軒並み切断されていった!
「たかが水鉄砲で、森林伐採!? ……こんなの、まともに当たったら身体が消し飛ぶぞ!?」
「休んでいる暇はありません! ロダン、左の触手を抑えて!」
「ぬぅぅううッ! ヌメヌメしたやつは嫌いだと言っておろうがぁぁっ!!」
ロダンが大剣で触手を押し返し、その隙をリュスが駆け抜ける。
上下に激しく揺れる視界。
リュスの心音、荒い吐息。
本当は、僕が彼女を守り、格好良く道を切り拓くはずだったのに。
(情けない。……本当に、情けなさすぎて、死にたくなるな)
“漁業で食卓を豊かに”なんて、夢のまた夢。
今の僕たちは、ただ巨大な捕食者の“お遊び”から、必死に逃げ惑うネズミに過ぎなかった。
***
なんで勝てなかった?
僕の理解が足りなかったからだ。
「なにが火炎だ、電撃だ。……まさか、集めた勝利の記録がほとんど嘘っぱちだったとはな」
かつての船乗りも、冒険者も、軍人も。
おそらく、討伐など成功させていなかったのだ。
せいぜい切り落とした触手の一本を掲げ、「仕留めたぜ」と言い張ったに違いない。
今は、みんな体制を整えている。
負傷者の手当てをし、暫し休息をとってから帰ることになるだろう。
(――でも、負けてない)
そうだ、僕はまだ負けてない。
今回は、勝てなかっただけだ。
「アスタ様……」
「すまん、リュス。少しだけ、一人にしてくれ」
「しかし――」
「頼むよ」
リュスは痛ましげに瞳を揺らしながらも、離れてくれた。
ふぅ、とため息をつく。
「……少なくとも、そのままぶつけるだけじゃ通用しない、か」
記録では、魔術師が多数動員されているケースもあった。
だが、戦いが船の上で行われたのだとしたら……?
「今回は、陸地だからな。きっとまだマシな条件だったはずだ。……水に浮かべた船の上では、勝ち目がないに違いない」
わざわざ水面に姿を現し、甲板の船員を襲うなんて……。
あの知性あふれる怪物からすればお遊びの範疇だ。
水中を自由自在に泳ぎながら姿を見せることなく、船底を破壊すればいいだけ。
万一、形勢が不利ならば、悠々と深きに逃げては攻撃するのを、ひたすら繰り返せばよいのだ。
戦ってみてわかった。クラーケンにならば、それが出来る。
それを選ぶだけの狡猾な知性がある。
「生き残った者たちには、きっと記録に残せない不都合な真実があったんだ。そして……名前も記録も残せず、沈められた船はその何倍もある」
今回の戦いでは、怪我人も出た。
こちらが情報を得れば、向こうは手口を学ぶ。
予想はしていたが、危惧していたよりも遥かに状況が悪い。
「次は、死者が出てもおかしくないな……どう手順を詰める?」
僕がぼやくと……声が響いた。
「まったく、実に無様極まる醜態であったな。……危ないから寄るな、と忠告してやっただろうに。そこの野暮ったいの」
唐突に、現れた。
誰の目にも映らない、あの不愉快千万な男。
僕にだけ見えるそいつは――なんと、宙に浮いていた。
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