最終話
「……死んだと思ったのだけれど……どうして私は生きているのかしら?」
冷たい夜風が吹き抜ける山の中で、輝音は一本の木の枝の上にいた。そして、隣に座る紅刻に冷たい眼差しを投げる。
「そりゃあ、オレが殺さなかったからだろう?」
あの日、彼女は殺される覚悟をした。けれど、紅刻は結局そうはしなかった。
代わりに、両手を貫かれ、左頬に裂傷を負ったわけだが。
輝音が生きて帰ってきたことに、純羽と詠は涙を流しながら喜んでくれた。純羽に至っては透き通った瞳に涙を浮かべて喜び、同時に端正な美しい顔を歪め、本気で紅刻を殺しにかかった。教室は大惨事というのも生ぬるいほどに破壊され、二人は二週間の停学処分を受けることとなった。
それが昨日のことだ。
紅刻に殺されかかった、それがまるでもう何十年も前のことのように思えるが、実際はたった二日のことだ。
学校なんて行きたくて行ってるわけじゃないし。
正直なところ、二人は一切反省などしていない。紅刻も、学校に登校することこそないものの、こうして彼女に会いに来ていた。
「じゃあ、どうして殺さなかったのよ?」
両手の傷がジクジクと痛みを訴えてくる。傷口が塞がるのだけでも一ヶ月は掛かるだろう。
「キミがオレを好きだと言ったから」
真面目な顔で答える紅刻に彼女の心臓が跳ねる。
「は……? そんなこと、言ったかしら?」
記憶にない。
そんな彼女の台詞をとぼけていると思ったのか。彼はにっこりと笑いながら「言ったよ」と続けた。
「あなたのことが好きだ、ってね」
そこまで言われて、輝音は思い出した。
「違うわ! 嫌ってないって言ったのよ! 好きだなんて言ってないわ‼」
「違わないよ。嫌いじゃないってことは、好きってことだろ?」
横暴な理屈だ、と怒鳴ってやりたかったが、輝音の中の理性がそれを止めた。
「あまり否定されると傷つくなぁ。殺しちゃうかもしれないよ」
言いながら、彼は宙に手を翳した。そこに蜘蛛の糸がシュルシュルと渦巻きながら形を作っていく。やがてそれは一振りの刀となった。
「忘れてないよね? キミの命はオレの中にあるんだってこと」
ギリッと輝音は奥歯を噛みしめた。
あの日、彼は彼女を殺さなかった。拘束を解き、奪った妖力も返してくれた。
けれど、代わりに刀を奪っていった。抽象的でも何でもない、そのままの意味で、彼女の命である刀を。付喪神として、本体である器。
「忘れてないわ。あなたこそ忘れてないでしょうね? 私を殺したら、今後何があっても、あなたは誰も殺さない」
「もちろん。そして――――」
さらに紅刻は続ける。
「そして、オレが命を奪わないかぎり、キミはオレを愛する」
そう、あの日彼女は紅刻ともう一つ約束を交わした。
彼を愛すると。
「その割には、あまりキミからの愛情を感じないんだけど?」
スキンシップが激しくなり、純羽との衝突も増えた気がする。
紅刻は輝音の肩を抱き寄せ、彼女のこめかみに口づけた。
「そんなことないわ。気のせいよ」
そういうことにしておこう。
だいたい、急にそうしろと言われても困る。
彼女は他人を愛したことなんてないのだ。
そう思ったのと同時に、脳裏に一人の少年が過った。
翔太と同じ、切り揃えられた髪を揺らす青年が。
「誰のことを考えてる?」
鋭く強い視線に身が竦む。
「別に……何でもないわ」
顎を掴んで顔を固定され、彼女はそれを払いのけた。
「忘れないでよ。オレはキミの命を掴んでる。生かすのも殺すのも、オレの自由だ。誰にも、キミ自身にだって、キミの命は触れさせない」
彼のこうした異常な発言にも、不本意ながら慣れ始めていた。
「キミが誰かに殺されそうになったら、オレは迷わずキミを殺すよ。自殺なんてもっての外だ」
「分かっているわよ。もちろん、自殺なんてする予定は死ぬまであり得ないわ」
「そうだね。でも、キミが死ぬときはオレがキミを殺すときさ。キミの死はオレの手で……」
こういうのを、狂愛、というのだろうか。
「そうね。でも、もう一つあるわ」
狂っていると思った。紅刻の愛は異常だと。けれど。
「私があなたを愛せなくなったら、そのときは私を殺すのでしょう?」
「もちろん」
即答である。
「だったら、あなたが私を愛せなくなったときも、私を殺しなさい」
彼以外の愛は受け入れられないと、そう思う自分も異常かもしれない。
その言葉に、彼は愛しそうに目を細めて破顔する。彼のこういう笑い方は、ずるいと思う。
「もちろん、そうするよ」
言って、彼は輝音の胸に触れた。その手つきにいやらしさは感じない。トクトクと脈を打つ心臓を感じる。
「……そういえばさ」
唐突に彼は話題を変えた。
「月映鈴奏。月の鈴なんて、キミを作った人間っていいセンスしてるよね」
その賛辞に彼女は苦虫を噛み潰したような表情になる。
「あまり口にしないでくれる? 仰々しくてあまり好きではないの」
「そう? オレはキミにぴったりだと思うけどな」
紅刻は輝音の細い身体を抱きしめた。彼の薄い唇が、彼女の唇に触れる。
「キミは月だよ。儚く、穢れを知らず、何者にも冒せない」
熱い吐息がかかった。
そして。歌うように、彼は続けた。
「それができるのは、この世にオレだけ」
髪の一筋、肉の一欠けら、血の一滴まで。
「キミの全てはオレのモノ。忘れないで、輝音――――……」
キミはもうすでに、オレの蜘蛛の糸に絡めとられてる。
――――ちりん
――――ちりん、ちりん
完結しました!
お付き合いいただきありがとうございます!
時々見直しながら誤字脱字の修正や、言い回しなどの改稿をしていきたいと思いますので、何か気づいた方は意見を頂けると助かります。
たくさんの方に読んで頂けて、本当に嬉しいです。




