97 先代との出会い
「よし! 乾杯しましょう」
ザックが勢いよく腰をあげ、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
「おい、拓海様は勉強中だ。酒は駄目だ」
慌ててユリウスが制止するが、ザックは聞こえないふりをして、ユリウスの前に缶ビールを置く。
「成功の前祝いですよ」
涼しい顔をしているザックに、「何の成功だ」と野暮なことは聞かない。
「狼族では、戦いの前には必ず勝利を願って宴を開きます。だから、これは拓海様の無事と勝利を祈る酒です。どうか付き合ってください」
ザックの瞳に宿る穏やかな光を見て、ユリウスは、ふっと小さく笑う。
それなら悪くない、と拓海の無事を願いながらザックと乾杯した。
二人は、あっという間に飲み干した。こつんと小さな音を立てて、空の缶をテーブルに置いた。
「本当は、ザックには黙っていようと思ったんだけどな……話してしまったよ」
ユリウスはザックの目を正面から見つめ、自嘲気味に笑った。
「黙っているつもりだったのなら、どうして俺に話したんですか?」
「それは……」
ヨアヒムさんとのやり取りを思い出したからだ。
マックスの想いは、マックスの将来を案じる大人たちによって、なかったことにされる。そこに複雑な事情があることは理解できる。
理解はできるが、真実を隠すのは、不誠実だ。
……俺は昔、ザックに誓ったことがある。
嘘はつかない、と――。
◆◆◆
あれは、あの方が急逝したときのことだ。
いつもは静かで人影もまばらな離宮が、一転してものものしい空気に包まれた。
魔王軍の兵士たちがやってきて、離宮の召使いたちを次々に連行し、厳しい取り調べが始まった。
幼い俺は自室から出ることを禁じられ、ザックもどこかに監禁されて、無理やり引き離された。ひとりぼっちの部屋は、やけに広く感じて、知らない場所みたいだった。
離宮のいたるところで軍靴の音が鳴り響き、廊下からは泣き声や怒声の入り混じった声が聞こえてくる。
そのすべてが、俺の不安をいっそうかき立てた。
いま何が起こっているのか知ることもできず、俺はただ、じっと膝を抱えて座っていた。そこへ、中年の男がやって来た。
癖のある茶色の髪に、同じ色の瞳。
着ている服は質のよい生地で仕立てられているのに、全体の印象はどこか冴えない。
けれど、その瞳だけは、少年のような好奇心に満ちた光を帯びていた。
不安が張りつめた離宮で、初めて顔を会わせる相手なのに、なぜか少しも怖いとは感じなかった。
男はフランツと名乗り、俺を安全な場所へ連れて行くために来たのだと言った。
「やあ、初めましてユリウスくん。私は、魔王様にお仕えしていてね、周りからは、〈魔王の始末屋〉なんて呼ばれている」
「し、始末屋? それって……」
俺は、てっきり暗殺を生業とする人物が、自分を消すために来たのだと思い、真っ青になった。
「ぼ、僕のことはどうなってもいいけど、ザックさんは……ザックさんだけは助けてあげてください! ザックさんには、大切な家族がいるんです」
震える声で必死に懇願する。ザックさんだけでも助けないと、と頭がいっぱいになった。
すると、フランツはなぜか楽しそうに声を上げて笑いだした。何が彼の笑いのつぼに入ったのかは分からないが、彼はしばらく笑い続けた。
後になって知ったことだが、彼は笑い上戸だった。
「ははは。始末屋は、魔王様の悩みを解決する仕事をしているんだ。君が心配するような怖い職業じゃないから、安心してくれ。……で、今回、私が来たのは、君の今後について二つの提案をするために派遣されたんだ」
「僕の今後? 二つの提案? どういうことですか」
俺は、どうやら命を取られることはないと知って胸をなでおろす一方で、「僕の今後」という言葉が、胸の奥で小さな棘のように引っかかった。
「ユリウスくん。皇子様は、一族を失った君を庇護していたが、悲しいことに先日、お亡くなりになった」
「はい……」
そうだ。あの方は、出先で急な病に倒れ、そのまま身罷られたと聞いた。
あまりに突然のことで信じられなかったが、やはり事実なのだ。
俺は、悲しいのか、ほっとしているのか、自分でも判然としない感情が胸の中で渦巻き、思わずズボンをぎゅっと握りしめた。
「君はまだ小さいから、皇子様に代わって、誰かの庇護が必要だ。そこで、一つ目の提案だ。地方で手広く商売をしている商家なんだが、後継ぎに恵まれなくてね。一緒に商売をしてくれる男の子を家族にしたいと言っている。二つ目は、王都で教師をしている夫婦が、君の境遇を聞いて、ぜひ養子として迎えたいと申し出てくれた。どちらも、人柄は保証しよう。君にとって、決して悪い話ではないと思うんだけど、どうかな」
フランツが俺の目を覗き込みながら、にっこり笑う。
「その話だと、僕は、他の家の子になるってことですか?」
「うん。そうだね」
俺は少し黙ってから、フランツをまっすぐ見上げ、自分の選択を告げた。
「なら、僕は三つ目を希望します」
「三つ目? おじさんは二つしか用意してこなかったんだけど……まさかの三つ目ときたか」
俺の意外な選択に、フランツが呆気にとられたように頭に手を当てる。
だが、茶色の瞳は、どこか楽しそうに輝き出した。
それは、退屈しのぎの相手が、思っていたよりずっと面白いかもしれないと気づいた目だった。
「じゃあ、三つ目が何か、教えてくれる?」
「僕をフランツさんのところで、雇ってください」
「雇う? 君を?」
フランツさんが、まじまじと俺を見た。
俺も視線をそらさず、その茶色の瞳をまっすぐに見返した。
「……それが、君が選ぶ三つ目なのかい?」
「はい。僕はいつか、チェザーレの里に戻ります。だから、たとえどんなに親切な家であっても、養子に行くことはできません。だから、どうか僕をフランツさんのところで働かせてください」
このあと、俺が選んだ三つ目を、フランツは受け入れてくれた。一緒にこの離宮を去ることが決まったのだ。
そうなると、問題になるのがザックの去就だ。
チェザーレの当主を守るために従者となったが、今現在、チェザーレは壊滅状態だ。だから、ザックがこれまでのように俺のそばにいる必要はない。ザックの人生を、これ以上俺が縛ってはいけないんだ。
俺はフランツに頼み、ザックと話をさせてもらうことにした。




