87 あの日、谷にいた罪
ついに迎えた、婚約式当日。
僕の家には、一族が続々と集まってきていた。大人たちは顔を合わせると「これで安心だ」と喜び合い、子供たちはご馳走が食べられると期待に満ちた目をしている。家の中は、浮かれた空気で満ちていた。
お祝いの宴は夕方からで、そのとき正式に、僕とアウローラの婚約が発表される。
女の人たちは宴の支度で、朝から家じゅうを慌ただしく行き来していた。
騒がしい家を抜け出し、僕とザックさんは裏庭に来ていた。アウローラから、誰にも見られないよう、こっそり来るよう呼び出されたからだ。
そこで、僕は谷へ花を摘みに行くよう頼まれ――ううん、命令された。
「え、ラートゥスって結婚式のときにつけるものでしょ? 今日の婚約式に、その、必要はないんじゃないの?」
ひと月ぶりに顔を合わせたアウローラにそう言ったら、思いっきりほっぺをつねられた。金属バットは持っていなかったけど、凶暴さは変わっていない。
「髪に、あの花を挿したいのよ。いいから取ってきなさいよ」
レースがふんだんにあしらわれた白いドレスに身を包んだアウローラが、ふんと鼻を鳴らした。顔はかわいいのに、中身がぜんぜんかわいくない。
「でも、谷は遠いし、今の季節、咲いてるかわからないよ……」
「うっさい。つべこべ言わず、行ってきなさいよ。そこの狼を連れてね!」
アウローラが、僕たちの近くでやる気なさそうに立っているザックさんを睨んだ。
「え、俺も? ……谷に花摘みに行くなんて面倒くせー。そこらへんで咲いてるやつでいいだろ。どれも、変わんねえって」
行く気がゼロのザックさんに、アウローラの目がすうっと細くなった。
「イケメンが来るはずが、ふたを開けたらこんなちんちくりん」
「な!」
「ゲイルも何を考えているのかしら。チェザーレの当主には、狼族一番の手練れを送るんじゃなかったの? え?」
痛いところを突かれたのか、ザックさんはしどろもどろになった。
「し、しかたないだろ。ノアは、叔父貴は、魔王親衛隊の入隊試験に首席で合格したんだ。それは狼族にとって、すげー名誉なことなんだぞ」
「へえー。それで?」
「だ、だから、約束どおりこっちへ行くって聞かない叔父貴をなんとか説得して、代わりに二番手の俺が来ることになったんだよ。一番じゃないけど、その次に強い二番が来たんだから、いいだろ」
「ふうーん。二番手ねえ。昔の約束だと一番のはずなのにね――でも、安心しなさい。このあたしは心が広いの。二番手でもそばにおいてあげる。感謝しなさいよ。でも、そのかわり、新当主になるあたしの言うことはちゃんと聞くこと。じゃなきゃ、ゲイルの元へ返品して、イケメンと交換するわよ!」
そう言って、アウローラはザックさんにびしっと指を突きつけた。
◇◇◇
というやり取りがあって、僕とザックさんは花を探しに谷に来ていた。
大人の足でも一時間はかかるので、ザックさんは僕を背負ってここまで連れてきてくれた。遠くの山の頂に残る雪もだいぶ解けたようで、この谷もあちこちで花が咲き出している。岩と岩のあいだからも、ちいさな花が顔をのぞかせていた。
僕は、さっきから目当ての花を探しているのに、ザックさんは手伝ってはくれないみたい。片肘をつき、草むらに寝ころんで、あくびをしている。
「おい、ちび助」
「え?」
二人しかいないから、僕のことだよね。
「あのくそ生意気な女。お前、あんなのと結婚するって本気か? ありゃあ、尻にしかれるどころの騒ぎじゃすまないぞ。魔獣なみに狂暴だからな」
ザックさんが、哀れみのこもった目を向けてきた。
僕も同じ気持ちだけど、ここで同意するのもどうかなあと思う。だって僕が、うんって言ったら、絶対、ザックさんはアウローラに話しちゃう気がする。だから、ここは聞こえないふりをしておく。
「あいつ、ちょっと気配が変だよな……」
僕の返事がなくても、独り言のようにザックさんは続けた。
「うまく言えねえけど、魔界人とはちょっと違う。どっちかっていうと、白い翼の連中と似ているっていうか」
「え、白い翼って、天界にいるっていう天使ってこと?」
聞き捨てならない言葉に、僕は手を止めて、振り返ってザックさんを見た。
「馬鹿言うな。天使ってのは善良らしいからな。そういう意味では、あいつは誰よりも魔界人らしい。うん」
なーんだ。気配が変って言うから、僕らと違うのかと思った。
でも――。
アウローラは、一族が大切にする聖なる乙女。魔界人が使えない治癒魔法の力をもたらした人。それって、どうしてそんなことができるんだろう?
アウローラって、聖なる乙女って、一体何者なんだ……。
そのとき、胸のペンダントが震えた気がした。これは出かけるときに、アウローラから無理やり持たされたものだ。
「いい? これは聖なる乙女に代々受け継がれる、大切な大事なペンダントなの。お守り代わりにつけていきなさい」
そう言って、僕の首にかけてきた。
「え、そんな大事なもの、こ、困ります。失くしたら怒られそうだし……」
「あったりまえでしょ。もしも失くしたら……ちょん切るよ」
何を――とは、怖くて聞けなかった。
「でも、そんな大事なものを、どうして僕に?」
「ふっ。決まってるでしょ。逃げないための保険よ。一族の大人は、このペンダントの重要性は知ってるの。儀式のときに使うから」
「儀式?」
「そうよ。治癒魔法を授けるときに、このペンダントがいるの。だから絶対、あたしに返さないといけない――さあ、お喋りはお終いよ。とっとと花を取ってきて!」
はあ。ペンダントなんて、趣味じゃないんだけどな。
気はすすまないけど、ペンダントをつけたまま、僕とザックさんは谷へ向かった。
結局、いくら探しても花は見つけられなかった。仕方なく、帰り道で似たようなピンク色の花を摘んで帰った。
そして、家に戻った僕とザックさんを待っていたのは――。
血に染まった家だった。
「ごめん……ごめん。俺だけ……」
俺の喉は焼けるみたいに熱く、かすれた声でうわごとを繰り返していた。
ひとりだけ生き残ってしまった罪悪感。まだ息があったサムエルを救えなかった無力感。
「なんにも……できなくて……」
固く閉じたまぶたの端から、つうっと涙がこぼれた。
それを、誰かの細い指がそっとぬぐってくれた。




