83 芍薬と、ふたつの出会い
「ご当主様って、まさか……」
大柄で、山歩きでもしていそうな服を着た二人を前に、僕はごくりと唾を飲み込んだ。
僕が青くなっていると、さっき僕の襟首をつかんだザックさんが、「けっ」と、露骨に不満そうな声を漏らす。
「まったく、こんなガキの面倒、この俺様が見れるかってーの」
「きちんと挨拶せんか、この馬鹿者が!」
ゲイルさんの拳骨が、ザックさんの頭頂にめり込んだ。ザックさんは頭を押さえて呻き、その場にしゃがみこんだ。
「いきなり、何しやがる。俺を殺す気かよ」
顔を上げたザックさんの目には、涙が滲んでいた。
「礼儀知らずには、当然のお仕置きだ」
そのとき、ぱっと家の明かりがついた。どうやら、庭の騒ぎに気づいたらしい。
ドアが開き、寝間着にガウンを羽織ったお父さんとお母さんがやってきた。
僕とブランの姿を見つけると、「何をしているの、ユリウス。あら、こちらは?」と声をあげる。
ゲイルさんとザックさんの姿を見て、お母さんは眉をひそめたけれど、お父さんは、すぐに前に出て、「ゲイルさんじゃないですか」と声をかけた。
「ご無沙汰してます、ロベルトさん。お騒がせして、すみません。予定より早く着き過ぎてしまったので、村の中を歩きながら見て回っていました」
「それは、お疲れですね。どうぞ、我が家にお入りください」
「いえ、こんな時間ですし。ご迷惑でしょう」
「とんでもありません。息子を止めていただき、本当にありがたいですわ」
お母さんがにっこり笑って僕を見た。
その優しそうな笑顔の向こうに、角を生やした怖い姿が見えた気がした。
ああ、家出はもう無理だ、と心の中でがっくりしゃがみこんだ。
大人たちがぞろぞろ家に入って行く中、僕はブランの姿が見えないことに気づいた。
「あれ、ブラン。どこに行ったの?」
もふもふの老犬だけど、番犬としてはまだ優秀なはずのブランがいない。
きょろきょろと辺りを見渡すと、ブランはごろんと寝ころんで、お腹を上にしていた。そのお腹を、ザックさんが、「よしよし」と撫でている。
「おい、この犬、名前はなんて言うんだ?」
「ブラン、です」
「そうか。おい、ブラン。これからよろしくな」
ザックさんがそう言うと、ブランがくぅーん、と甘えるように鳴いた。
「え、家族以外に、そんな甘えた声を出すなんて……」
僕が驚いていると、ザックさんがにやりと笑った。
「犬は縦社会、強い者がリーダーになって、弱い者が下につく。ブランは、自分が下だってわかってんのさ」
「えっと、じゃあ、ザックさんは、ブランより強いってこと?」
「あったりまえだ。俺は狼族。あの魔王軍の兵士でさえビビる、勇猛果敢な一族なんだ」
ザックさんは右腕を曲げて、大きな力こぶを誇らしげに作った。
◇◇◇
「へえ……それが、ザックさんとユリウスさんの出会いだったんですね」
夕飯を食べ終えた拓海とザックの二人は、台所で食後のお茶を飲んでいた。
熱を出して寝込んでいるユリウスを見舞うこともできず、元気がない拓海の気分転換になればと、ザックが二人の出会いをかいつまんで話したのだ。
「恥ずかしながら、当時の俺は、世間知らずでいきってたガキだったんです……」
大きな背中を丸めて小さくなるザックに、拓海はふっと笑みをこぼした。
「ザックさんにも、思い出したら赤面ものの思い出があるんですね」
「もちろんです……」
「そうだ、ザックさん。これをユリウスさんに、渡してもらえますか? 手紙は読むのが大変だろうから、絵を描いたんです」
拓海が一枚の紙を差し出した。
「俺も見ていいですか?」
「はい、どうぞ。庭の芍薬がきれいに咲いていたから、ユリウスさんにも見てほしくて」
そこには、ふんわりと丸く大きな花が描かれていた。薄桃色の愛らしい芍薬が、色鉛筆とは思えないほどリアルに描かれている。それはまるで、静かな庭の一瞬を一枚の紙に切り取ったようだった。
「うっわ! すごい。拓海様、上手です。剣術以外にもこんな才能があるなんて、びっくりです」
普段からよいしょ精神が旺盛なザックだが、今度ばかりは本気で感心しているようだった。拓海は恥ずかしそうに笑った。
「実は、絵画教室に通っていたことがあるんです。玄関に飾っていた置物があまりにも下手で、悔しいって言ったら、とりあえず絵を習ってみればって勧められて。それで、しばらく通ったんです」
「へえ。だからこんなに上手なんですね。あれ、じゃあ、中学の部活動は、美術じゃなくてよかったんですか?」
ザックの問いに、拓海がわかりやすくあたふたし始めた。
「あ、あの、僕も美術部がいいかなあ、とは思ったんです。でも、他のことを経験するのもありだと思い直しまして、その、まあ……」
その挙動不審ぶりに、これは間違いなく杉咲先輩目当てだなと、ザックはぴんときた。
まったく、微笑ましい。そう思いながら、ザックはずばりと聞く。
「拓海様と杉咲先輩の出会いって、どういうものだったんですか?」
「え! 急に、なんでそんなことを聞くんですか」
「えー、俺もさっき、ユリウス様との恥ずかしい出会いを話したんですから、拓海様のも聞いてみたいです」
ザックが、にやにやしながら尋ねてくる。拓海は、うっと詰まりながらも、少しずつ当時の様子を話し出した。




