80 ユリウスの家族
高い熱に浮かされた夢の中で、俺は幸せだったあの頃へと引き戻されていく。
両親と兄、そして愛犬のブランと共に過ごした、あの幼い日々のまっただ中に立っていた。
「こら、ユリウス。また勝手に入って。そこで遊んじゃ駄目って、いつも言っているでしょ」
お父さんの書斎でブランとかくれんぼをしていたら、お母さんに見つかってしまった。腰に手を当てて、上からじっと僕をにらんでくる様子はいかにも怒っているって感じだけど、目はそれほど怖くない。
僕は、もふもふのブランの首に腕をまわしながら、ちょっと甘えた声で言い訳をする。
「だって、お兄ちゃんを待ってたのに、全然帰って来なくて、僕、ひまなんだもん」
「リカルドは、帰省の挨拶をしに本家に寄っているの。そのあと、お茶会に参加することになっているから、まだ帰ってこないわよ。遊びたいなら外に行って、村の誰かを誘いなさい」
「いやだ!」
僕はむっとした声で答え、ブランにぎゅっと抱きついた。
「あら、なあぜ?」
お母さんは膝をつくと、僕の頬を優しくなでてきた。小さな子をあやすみたいな仕草で、ちょっと恥ずかしい。だって、僕はもう六歳なんだから。
「喧嘩でもしたの?」
「……違うよ。……あの子たち、僕のことを女の子みたいって、馬鹿にするんだ」
僕は無意識に、首の後ろで結ばれた髪に触れた。
僕の一族、チェザーレ一家には、お嫁さんをもらうまでは髪を伸ばすっていう決まりがあるんだ。髪が長いと、乾かすのに時間がかかるし、結ばないとじゃまになるから、すごく面倒くさい。だから僕は、お嫁さんはいらないから髪を切りたいって、お兄ちゃんに言った。そしたら、思いっきり笑われた。
「あらまあ、髪をからかうなんて、その子たち、最近村はずれに越してきた家の子かしら? このチェザーレの里でそんなことをしたら、本家のご当主様ににらまれてしまうのにね」
お母さんは少し呆れたみたいに言った。
たしかに、僕が住んでいるこの村は、チェザーレ一族が魔王様からいただいた、由緒ある場所らしい。王都からは少し離れているけど、山と湖があって空気もおいしいし、ブランとかけっこする丘もあって、僕はこの里が大好きだ。
そのとき、おとなしかったブランの耳が、ぴくりと動いて、そわそわし始めた。
「あ、お父さんとお兄ちゃんが帰ってきた」
外から車の音がしたので、僕はいそいで書斎を飛び出した。ドアを開けるのももどかしく外へ出ると、スーツ姿のお父さんと、王都にある名門校の制服を着たお兄ちゃんが歩いてくるのが見えた。
「ただいま、ユリウス。少し、背が伸びたか?」
そう言って笑ったのは、年の離れた僕のお兄ちゃん、リカルドだ。十七歳で、一族の中でも特に優秀で、顔もかっこいいから女の子にすごく人気がある。今は学校の学生寮にいるから、休みの日しか会えない。
僕はお兄ちゃんにくっついたまま、お兄ちゃんの部屋に入ると、ベッドに腰を下ろした。
お兄ちゃんの部屋は、お父さんの書斎みたいに、難しい本が多い。僕は、もっと絵がたくさん描いてある本のほうが好きだ。
「ねえ、どうだった?」
「なにが?」
お兄ちゃんは、持ってきた荷物を床に置きながら聞き返す。
「本家のお茶会に行ったんでしょ? ごちそうは出たの? いいなあ、僕もおいしい物食べたい。あ、それと、『チェザーレの聖なる乙女』には会えたの?」
僕の言葉に、お兄ちゃんの手がぴたりと止まった。でも、すぐに動き出して、かばんから本を取り出して机に置く。
「ユリウスは会ってみたいのか? 『聖なる乙女』に……」
「うーん、よくわからないけど……。でも、その人が、うちの一族に治癒魔法を使えるようにしてくれたんでしょ。だから、みんな感謝してるって……。えっと、お母さんは、チェザーレの秘宝って言ってたよ」
お兄ちゃんは、今度は洋服をクローゼットにかけ始めた。そこで、僕も椅子に移って、足をぶらぶらさせながらお兄ちゃんを見上げた。
「ユリウスは、チェザーレが使う治癒魔法が魔界ではどれだけ特別か、知ってるな?」
「うん。だって、魔界人は攻撃魔法が得意だけど、治癒魔法が使える人は少ないんでしょ」
「少ないっていうよりも、ごく僅かしかいない。本当にレアなんだ。それに、例え使えてもその力はとても弱い。でも、チェザーレの治癒魔法は違う。圧倒的癒しの力を誇る、まさに奇跡の御業なんだ。だから――」
お兄ちゃんは、椅子ごと僕をぐいっと引き寄せて、真っ直ぐに目を合わせてきた。
「家族と一族以外の人に、『聖なる乙女』の話は、絶対にしちゃ駄目だ」
「えー、どうして? チェザーレはすごいんだぞって、自慢したらいいのに」
「うーん。ユリウスは、まだわからないかもしれないけど、他人からの嫉妬って怖いんだ。もし存在を知られたら、聖なる乙女を手に入れようとする悪い奴らが襲ってくるかもしれない。そうなったら、みんな困るだろ?」
「うん」
僕はこくんと頷いたけど、心のどこかでは、こんな何もない田舎に悪い奴なんて来るかなあ、と首をかしげていた。
「それで、お兄ちゃん、『聖なる乙女』はどんな人だったの? 今はたしか、三代目なんだよね」
「あー、そうだなあ……」
お兄ちゃんは顎に手を当て、眉を寄せた。それはまるで難しい問題にでも向き合っているみたいに。
「……まあ、俺の感想を聞くより、自分で見た方が早い。ユリウスも、会うことはあるだろうから」
お兄ちゃんはそう言って笑うと、僕の頭を撫でた。
お兄ちゃんの部屋を出て廊下を歩いていると、書斎から声がした。お父さんとお母さんが話しているみたいだ。
「気に入らない……」「他の者を連れてこいと」「ご当主様も困り果てて」なんて言葉が漏れ聞こえてきたけど、僕は気にも留めず、そのまま通り過ぎた。
それから、しばらくしてお兄ちゃんは休みが終わって、王都に戻っちゃった。僕は、僕をからかってきた子たちとは遊ばず、幼なじみのサムエルと一緒にいることが多くなった。
ある日、居間でブランの体に背中を預けて本を読んでいたら、あわてた様子のお母さんがやってきた。
「大変よ、ユリウス。あのね、お父様から連絡が来て……」
赤い顔をしたお母さんが、早口で僕に話しかけてきた。
「とりあえず、着替えをするわよ。そして、急いで行くの」
「どこへ?」
「本家よ。お茶会に呼ばれたの」
「ええー!」
僕は、六歳にして初めて、それも招待状なしで、いきなりのお茶会に参加することになったのだった。
エアコンの故障で一週間ほど更新をお休みしておりましたが、本日から少しずつ再開します。
当面は、週一回ほどのゆっくりしたペースになりますが、どうぞよろしくお願いいたします。




