79 憎まれ口
「ザックさん、ユリウスさんの具合はどうですか?」
廊下で待っていた拓海は、ユリウスの部屋から出てきたザックに駆け寄り、昨夜から寝込んでいるユリウスの様子を尋ねた。
「熱が高くて、体がだるいようです……。申し訳ありません、拓海様。しばらく、皇子教育はお休みになると思います」
「そんなのはいいんです。それより、ユリウスさんは大丈夫なんですか?」
「多分、疲れが出たんだと思います。魔界から人間界にやってきてからというもの、ずっと働きづくめでしたから……」
ザックが遠慮がちに言う。拓海はその言葉の意味を悟り、言葉に詰まる。
そうだよね。魔界とはまったく違う人間界で暮らすだけでも、すごく大変だ。それに加えて、僕なんかの世話をして、勉強まで教えてくれていた。きっと、かなり無理をさせてしまった。なのに僕は自分のことばかりで、ユリウスさんの体のことを、ろくに気遣ってあげられなかった。
「ザックさん、ユリウスさんには、会えますか」
ザックの背後のドアをじっと見つめながら、拓海が尋ねた。
「すみません。しばらくは難しいと思います」
「少し、少しでいいんです。ゆっくり休んでほしいって、ちゃんと伝えたいんです」
「拓海様……」
拓海の真剣な眼差しを、ザックは内心で嬉しく思いながらも、きっぱりと言った。
「ユリウス様の病は、人間にはうつらないかもしれません。ですが、万が一ということもあります。接触を避けるべきだと、ユリウス様自身が言ってました。ですから、ユリウス様の体調がよくなるまで、面会は待って下さい……」
「……そうですか」
会えないと知った途端、拓海はがっくりと肩を落とした。
「そろそろ、中学校へ行く時間ですよ。皇子教育はお休みでも、人間界の勉強がありますよね。確か、もうすぐ中間テスト、とかいうのがあったはずでしょ。拓海様はそっちも頑張らないと」
「うっ……。そんなこと、今、言わないでくださいよ、ザックさん」
拓海は聞きたくなかったといわんばかりに、悲痛な表情を浮かべる。もともと勉強が苦手ではなかったはずの拓海だが、皇子教育が始まってからは、中間テストには自信が持てなくなっていた。
「さあ、玄関へ行きましょう」
ザックにそっと背中を押されて、拓海は階下へ向かった。
◇◇◇
拓海はユリウスのことが心配で、その日一日、授業に身が入らなかった。
仲良しの孝太君から話しかけられても、どこか上の空のままだった。
けれど、部活動の帰りに、杉咲先輩に話しかけられたときだけは、なぜか意識はしゃきっとして、その声の一言一句をはっきりと聞き取ることができた。
「昨日は、突然でごめんね」
「そんなことありません。僕こそ、素敵なプレゼントもらっちゃって、すみません。うちのみんなも喜んでました」
「喜んでくれたんだ……料理の本は、役に立ちそう?」
杉咲先輩ことリリアーナは、すまし顔のまま問いかけながらも、内心では、あの本を受け取ったユリウスが顔をしかめたに違いないと、わくわくしていた。
「あ、ユリウスさんへの本ですよね……」
「あれ、やっぱり――こほん。あまり気に入らなかった?」
「実は、ユリウスさん――」
拓海は、ユリウスが体調を崩してしまったことを、杉咲先輩に打ち明けた。
◇◇◇
杉咲家のマンションでは、ルルが猫じゃらしを使って、エリンを遊ばせていた。
「ほらほら、こっちこっち」
魔界の家と違って外遊びができないエリンのストレスを少しでも発散させるため、リビングにはエリンのためのおもちゃがいくつも用意されている。
「ただいまー」
玄関のドアが開いて、リリアーナが中へ入ってきた。
「あ、お嬢。お帰り―」
「にゃーん」
リリアーナの顔を見た途端、エリンが勢いよく飛びつき、恒例のすりすりタイムになる。
「あれ、どうした、学校で何かあった?」
ルルがリリアーナに声をかけた。
「え、なんで?」
「なんでって、元気のない顔してるからさ」
「な、何を言うの。あたしは、元気、ほら、元気一杯よ!」
抱きあげていたエリンを、そのまま頭上高く掲げる。突然のことに、エリンは目を丸くして固まった。
「あ、うん。わかったから。……とりあえず、着替えておいで」
「うん」
エリンを抱きしめながら、リリアーナは部屋に向かった。
制服から部屋着に着替えたリリアーナは、気が抜けたようにベッドの端に腰を下ろした。そのまま、ばたりとベッドに寝転び、ぼんやりと天井を見上げる。
一緒についてきたエリンが、リリアーナの顔を覗き込み、元気を出してと言いたげな瞳で見つめると、そっと小さな鼻先をリリアーナの頬にあててきた。
その仕草に、リリアーナは目を細め、エリンの頭を優しく撫でる。エリンが嬉しそうに喉を鳴らした。
「ねえ、エリン。あいつ、熱を出して寝込んでるんだって。チェザーレ一族のくせに、ほんと情けないわよね」
リリアーナは、わざとらしく憎まれ口をききながら、嶌村家の食事会で見たユリウスの手を思い出し、胸の奥がじわりと重くなる。
あいつの右手には、まだ治りきっていない傷が残っていた。
あたしが皇子にお仕置きをしようとしてムチを振り上げたとき、皇子を庇ってできた傷だわ。
たとえ皇子が怪我しても、あたしの治癒魔法ですぐ治すつもりだったのに。
なのに、余計なことして。
リリアーナは、思わず天井をにらみつけた。
チェザーレ一族は、もうあいつ一人だけ……。
伝統を守るとか偉そうに言ってたくせに、治癒魔法ひとつまともに使いこなせないじゃない。
ふいに、ユリウスの青い瞳が脳裏に浮かんだ。リリアーナは、腹立たしさを紛らわすように、髪をぐしゃぐしゃにかきむしった。
あー、もう、あいつのことなんて考えてる時間、ほんと無駄。無駄よ、無駄。
ちょうどそのとき、ルルが夕飯の用意ができたと告げる声がして、リリアーナはベッドから身を起こし、エリンを連れて部屋を出ていった。
◇◇◇
その日の夕食時、リリアーナはいつになく饒舌だった。
「授業で先生がこけてね、みんな大爆笑よ」「部活のときに、佳奈ちゃんがね」「帰り道に、かわいい犬がいたんだけど」など、とりとめのない話が、次から次へと繰り出される。
ルルは黙って、そのおしゃべりに耳を傾けた。
エマの報告じゃ、あのイケメン君は熱を出して寝込んでいるらしい。
お嬢ってば、平気そうな顔をしているけど……傍から見れば、これ、どう見ても意識しまくりだよね。さて、どうしたものか……。
食後のお茶をひと口含みながら、ルルはそんなことを考えていた。
その頃、熱に浮かされたユリウスは、夢の中を彷徨っていた。
そこは、自然豊かな山あいの、のどかな土地だった。
幼いユリウスが、家族や友人に囲まれて暮らしていた、かつてチェザーレ一族が根を下ろしていた場所。
幸せだったあの時間へと、ユリウスの意識は静かに遡っていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
実は、リビングのエアコンが故障してしまい、現在、修理業者さんからの連絡を待っている状態です。
家にはおばあちゃんワンコもおり、とても落ち着かない状況のため、しばらく投稿はお休みしたいと思います。
落ち着きましたら、また再開したいと思っています。
改めて、ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。




