77 ユリウスの恋愛事情
ザックが渡したビールを、ビクトールとアンドリューはあっという間に飲み干し、お代わりを要求した。どうやら、人間界のビールがすっかりお気に召したようだ。
最初はビクトールから最新の魔界事情を聞いていたが、話題はいつの間にか、拓海の翼のことへと移っていった。
「そっか。まだ翼は現れないのか。うーん、どうすればいいのかなあ」
ビクトールがおつまみの柿ピーを頬張りながら、首をかしげる。
「翼がないと魔法の授業だって進められないし、ユリウスも大変だな」
アンドリューは、さきいかが気に入ったようで、ビールそっちのけで食べている。
「実際、お手上げ状態です」
ユリウスは、困り果てたように両手を上げてみせた。
「まあ、根を詰めてもできないのなら、こう、力が抜けたニュートラルな状態? そういう自然体のときに、意外とあっさり皇子様の翼を拝めるかもよ」
ビクトールが三本目の缶ビールを開けようとして、ふと思い出したように言う。
「そうだ、申請なしで勝手に連れ回しちゃ駄目だよ。何かあったら責任問題になるからね」
口調はあくまで柔らかいが、瞳には厳しい光を宿して、ユリウスを見た。
「え、何かありましたか?」
ザックが目を丸くした。その顔は、かなり赤くなっている。
「うん。あったあった。気づいてなかったかもしれないけど、あのとき、ラッセル伯爵もあの街に来ていたんだよ」
「え! 本当ですか?」
ユリウスが、はっとしたように息をのむ。
「本当だよ。視察に行っていた時期が同じだったんだ。何もなくてよかったよ」
アンドリューにしみじみと言われて、ユリウスは記憶をたどる。
そういえば、魔法の本を使って屋台巡りをしようとして、騒ぎに巻き込まれた。警察を避けるために拓海を連れて走っているとき――。
ユリウスの脳裏に、黒塗りの高級車とすれ違った記憶がよみがえる。
まさか、あれが……。
ユリウスが考え込んでいると、ザックが、どん、とビールの缶をテーブルに置いた。
「そうですか、そうですか。俺は、仲間はずれですか……ひっく」
気づけば、ビールの空き缶の山ができていて、ザックの目つきが据わってきている。
「おい、飲み過ぎだ」
ユリウスは慌ててザックのビールを取り上げようとするが、その手をはねのけられてしまう。
「ほっといてください。どうせ俺なんて、蚊帳の外がお似合いなんれすよ」
「あのなあ、ビクトールさんたちがいるんだから、もっと行儀よくなあ」
「いいよ、ユリウス。ここは魔界じゃないんだ。無礼講で行こう。あ、アンドリュー。念のために防音の術をかけておいて」
「はい」
アンドリューが手のひらに青い光を浮かべる。まっすぐ上に向かってその光を放つと、天井に当たって部屋を包み込むように広がり、やがてすっと消えた。
「これで、多少騒いでも二階には聞こえないから」
にっこり笑うアンドリューにユリウスが、微妙な顔になる。
「で、ほら、ザック。話したいことあるんだろ。ちゃんと聞くよ」
「ビクトールさーん。な、なんてお優しい」
ザックは感激したように目を潤ませ、
「どこかの誰かさんとは大違いです」と、赤くとろんとした目をユリウスへ向ける。
ユリウスは、付き合いきれんとばかりに、新しいビールへ手を伸ばした。
「……うちのユリウスさまは、さっきのドラマといい、ひっく。……人の楽しみを平気でぶった切るし、俺だけのけ者にするし、で、でりかしー? そういうの、欠けるところがあ……あるんですう」
ドラマの邪魔をされたことを、まだ根に持っているのか、ザックがそんな愚痴をこぼし始めた。
「デリカシーに欠けるって、例えば?」
ビールをぐびっと飲みながら、ビクトールが先を促す。
「付き合った女の子にぃ、すーぐ振られるんです。あはは」
ユリウスが、飲んでいたビールを噴き出した。
「な、おまえ、何を言い出すんだ」
「まあまあ、落ち着いて」
アンドリューが、笑いをかみ殺しながらユリウスをなだめる。
「そっかあ、イケメンでも振られるときは振られちゃうんだ」
ビクトールがどこか楽しそうに茶化してくるものだから、ユリウスもついむきになる。
「俺は、ちゃんと最初に説明してます。仕事上、時間が不規則で、会う約束をしても突然駄目になることもあるし、連絡も頻繁にはできない。誕生日や記念日も、一緒に過ごすのは難しいって。それでもいいから付き合ってほしいって、しつこく言い寄ってきて、断り続けるのが面倒になって、仕方なく付き合ったんです」
一度言葉を切ったユリウスが、胸のうちに溜め込んでいたうっぷんを吐き出すように続ける。
「なのに、連絡がないとか、会いにも来ないのはおかしいとか、平気で言い出すんですよ。『忙しいのは分かっているから、絶対わがまま言わない』って言ったくせに、今度は俺を冷たいだの、人の心がないだのって好き放題に責めてきて……もう、訳が分からないのは、むしろこっちのほうです」
「ねえ、ユリウスって、自分から会いに行ったり、連絡したりしないの?」
アンドリューが、半ば呆れたような顔で尋ねる。
「うん。だって、会いに行く時間があったら寝たいし、話すのも正直、面倒。だから俺から連絡はしない」
ユリウスのその一言に、その場はしんと静まり返った。
「おいおい、それじゃあ振られるに決まってる」
「そうですよねぇ、ビクトールさぁん! ユリウス様って、人の気持ちに鈍感なところあるんですよお」
賛同を得て、ザックが「ほら見ろ」と言いたげな目をユリウスへ向けてくる。
「なんだよ。俺は、間違ってないだろ」
ユリウスは頬杖をつき、子供みたいにふてくされてそっぽを向いた。
「なあ、ユリウス。会いにも行かないし、連絡もしない。それって、どういう意味か分かる?」
静かに、ビクトールが問いかける。
「…………」
「惚れてないからだよ。惚れた女なら、声が聞きたくなるし、顔も見たくなる。……つまり、お前はまだ、そういう相手に出会っていないだけだよ」
それだけ言うと、ビクトールは残ったビールを喉に流し込んだ。
「よし。そろそろ戻ろうか、アンドリュー」
「あ、はい。分かりました。じゃあ、ユリウス。これ、頼まれてた翼に関する本」
アンドリューが、重そうな紙袋を差し出した。
「ありがとう。さっそく読ませてもらう」
「じゃあ、またな」
立ち上がって台所を出て行こうとしたアンドリューの腕を、ビクトールが引っ張った。
「駄目だよ、アンドリュー。あれ、渡さないと」
「あ、あ、そうでした。持って帰っちゃうところでした。……遅くなったけど、ようやく届いたんだ」
別の紙袋には、ユリウスが以前頼んでいた『魔界貴族年鑑』が入っていた。
◇◇◇
ユリウスとザックに別れを告げて、ビクトールたちは外に出た。酔いざましに少し歩きたかったのと、二人だけで話がしたかったからだ。
夜風にひんやりと木の匂いが混じる静かな小径を歩きながら、ビクトールがぽつりと言う。
「本を渡さないなんて、よくないよ、アンドリュー」
「それは……はい、すみません……」
「ライバルを減らしたいのかもしれないけどさ、そういうことをしたら、モーリスと一緒になっちゃうぞ」
その言葉に、アンドリューはびくりと肩を震わせ、うつむいて言う。
「申し訳ありませんでした」
秘書官室に届いた『魔界貴族年鑑』を、なぜか第三秘書官のモーリスが隠していた。
高価な本だから欲しかったのかと思いきや、彼の机の中には、同じ本がもう一冊入っていた。それは、モーリスが自分で手に入れたものだという。
そこに不審を抱いたアンドリューが年鑑を開き、中身に目を通すうち、ある事実に気づいてしまった。
それは、まだごく一部とはいえ、年頃の青年たちの間で噂になり始めている、ブラッドフォード卿の娘の存在だ。
貴族階級とはいえ、継ぐ家を持たない次男や三男である彼らには、彼女はまばゆいほどの存在に映るのだろう。
隣を歩くアンドリューも、周囲からは羨望の眼差しを向けられる秘書官でありながら、実際には三男という立場なのだから、「気にするな」なんて簡単には言えないよな、とビクトールは思う。
それでも、ユリウスのほうが一歩も二歩もリードしているはずなんだけど……あの朴念仁ぶりじゃあ、さてどうなることやら。
頭上に瞬く星々を仰ぎ見て、ビクトールは心の中でそうぼやいた。
◇◇◇
ユリウスは、秘書官の二人を送り出したあと、台所で眠りこけてしまったザックを、なんとかベッドまで運んだ。
本当は、そのまま台所に放置してやろうかとも思ったが、すやすやと気持ちよさそうに眠るザックの寝顔を見たら、さすがにかわいそうな気がして思い直したのだ。
アンドリューから渡された紙袋を持って自室に戻り、中身をすべて取り出して机に並べた。
ふと、「魔界貴族年鑑」に手が伸びかけるが、拓海のための本を読むのが先だと思い、別の本を開いた。
まずは、拓海の翼をどうにかする手立てを見つけなければならない。
本に没頭するうち、「魔界貴族年鑑」は他の本の間に紛れ込み、ユリウスの頭の中からも、その存在はするりと抜け落ちていった。




