76 魔界からの客人
台所に残っているのは、ユリウスとザックの二人だけだった。
拓海は剣術の稽古でかなり疲れたらしく、今夜は早めに休むと言って、さっさと自分の部屋に引き上げてしまった。
手持ち無沙汰になったユリウスとザックは、台所の隅に据え付けられた小さなテレビで、ドラマを観ていた。
テーブルの上には、缶ビールと簡単なつまみがいくつか並んでいる。
いつもなら、そのつまみを狙ってコディがひょっこり顔を見せるところだが、今夜ばかりは、コディも疲れ切ってしまったらしく、拓海と一緒に早々に寝てしまった。
拓海の部屋には、コディ専用の寝床が用意されている。
その布団は、拓海がコディの体格に合いそうなものをネットで探して、プレゼントしたものだ。
宅配便で箱が届いたときのコディのはしゃぎようときたらなかった。今では拓海の部屋の棚の上を、自分だけの特等席だと宣言し、そこに布団を敷いて寝起きするのが、すっかり日常になっている。
テレビでは、中学受験をめぐる親子のドタバタに、受験生同士の恋愛まで絡んだドラマが流れていた。
ザックは真剣な顔で画面に見入っているが、ユリウスはとっくに飽きてしまったらしく、チャンネルを替えようとリモコンに手を伸ばす。
「あ、駄目ですって、ユリウス様! 今、いいところなんですから、やめてください」
「いいところって……あんな子供のテストの成績が悪いくらいで、寝込む親なんているか? ありえないだろう」
画面には、模試の結果を見た母親が、顔面蒼白になってベッドに横たわっている場面が映っている。
「もう、そこまでいちいち指摘しなくていいんです。ドラマに集中できなくなるから、余計なことは言わないでください!」
ザックにぴしゃりと言われて、ユリウスはいったん口をつぐむ。
しかし、少しすると、また口を開いた。
「おいおい、子供のくせに二股をかけるなんて、恋愛に対するモラルが欠如してないか。それに、こっちの男は、受験勉強そっちのけで、片思いしている子に会いに行くなんて、現実が見えてない」
「お願いですから、静かにしてくださいって。セリフが聞こえないんですよ」
ザックが懇願するように訴えても、ユリウスのツッコミは止まらない。
「だってさ、ありえない設定に、都合のよすぎるストーリー展開。いくらテレビの中の話だとしても、もう少し現実味を持たせないと、嘘くさくて仕方ないだろう」
「だーかーらー」
ユリウスの言葉を、ザックが遮った。
「ドラマというのは、そもそも架空の物語で、絵空事なんです。ユリウス様が求めるような、緻密さやリアルさを追い求めるジャンルじゃないんです!」
「えー、それじゃあ中途半端にならないか」
ばん、とザックがテーブルを叩いた。
「それ以上、余計なことを言うと、俺、本当に怒っちゃいますよ……」
ひやりと背中が冷たくなるような、低いザックの声に、ユリウスは思わず姿勢を正した。
「あ、うん。ごめん……もう邪魔しないから、続きはゆっくり鑑賞してくれ」
ザックの反応がおもしろくて茶化していたのだが、さすがにやり過ぎたか……。と、ユリウスは内心で反省した、そのとき。
「あははは」
不意に、ユリウスでもザックでもない、誰かの笑い声がした。
声のした方を見ると、台所の入り口に、ブラッドフォード卿付き第一秘書官のビクトールと、第二秘書官のアンドリューが立っていた。
「なんで、二人がここに!」
ユリウスとザックは、弾かれたように席を立った。
「くつくく。あー、突然ごめんね。ユリウスに頼まれていた本が揃ったから、早く持って行ってやろうと思って来てみたんだけど……ぶっ、ふははは」
どうやらユリウスとザックのやり取りがツボに入ったようで、ビクトールは笑いが止まらない。
「勝手に入ってきて、すまない。ビクトールさんがびっくりさせてやろうって聞かなくて」
アンドリューは困ったように、笑い転げるビクトールを見つめた。
「それにしても、どうやって入ったんです? 玄関には、侵入防止の術式が施されていて、魔法で無理に開錠すれば、雷クラスの電流が流れるはずですよ」
ユリウスの疑問に、ようやく笑いが収まったビクトールが、ポケットから何かを取り出し、上空に軽く放り投げる。落ちてきたところをキャッチし、ひらひらとユリウスに見せてきた。
「魔法を使わなくても、鍵を持ってるんだよね」
「え!」
思わず、ユリウスとザックは顔を見合わせた。
「おいおい。君たちに渡した鍵だって、うちが用意したんだよ。秘書官室にスペアキーがあったっておかしくないだろ」
「あ、確かに……」
そうだった。拓海に関する資料や、この家に施された結界も、すべてブラッドフォード卿付き秘書官たちの働きによるものだった。
「とりあえず、皇子様にご挨拶したいんだけど、取り次いでくれる?」
「すみません。本日、お疲れのようで、すでに就寝されました」
「あっちゃー。来るの、遅すぎたか」
「だから、明日にしようと言ったんです」
「まあ、そう固いこと言わないの」
呆れ顔のアンドリューの前で、相変わらず涼しい顔をしているビクトールが、
「ね、ザック、君たちが飲んでるそれ、僕らにももらえる?」と、テーブルに乗っている缶ビールを指さした。
「あ、はい」
「では、お二人は、こちらへどうぞ」
ユリウスの案内で、二人は、ダイニングテーブルに腰を下ろし、部屋の中をきょろきょろと興味深そうに見回した。
ザックは冷蔵庫を開けて、ビールを取り出しながら、「足りるかな」と、ふと不安になる。あの二人、結構飲むんだよなあ。
念のため、買い置きのビールを冷蔵庫に詰め直してから、ザックは三人の元へ戻った。
「お待たせしました」
こうして、急きょ、思いがけない顔ぶれによる、人間界での宅飲みが始まった。




